秋の陽光が、東洋の深い山々に紅葉の錦を織りなしていた。静寂に包まれた峻険な山道を、対照的な二つのグループが歩んでいた。 「見て見て! この紅葉、本当に綺麗だね! 空気が澄んでいて、身も心も洗われるようだ!」 豪勢な服を纏い、黒と白のメッシュが入ったボブヘアを揺らしてはしゃぐのは、魔族でありながら勇者を自称する青年、オルヘルトである。その隣では、もっさりとしたマッシュヘアに狼耳をぴょこぴょこと動かした少年、バンチが退屈そうに欠伸をしていた。 「へへん、景色はいいけど、もっとこう、ガツンと腕試しできる奴はいねぇのかねぇ。あー、歩くだけじゃ飽きちゃうぜ」 「もう、バンチはせっかちだなぁ。たまにはこういう静かな時間も大切だよ」 一方、彼らの少し後方からは、黒い甲冑に身を包んだ小柄な女性剣士ミシウと、安物の魔術師衣装に身を包んだ魔族の女性メワが歩いていた。ミシウは不機嫌そうに鼻を鳴らし、腰の黒剣に手を添えている。 「……チッ、こんな辺境まで来させるとはな。ま、たまには毒気を抜くのも悪くねぇが」 「そうですよミシウさん! 休息こそが最大の戦略であります! 私のような元・軍作戦担当が言うんだから間違いありません!」 メワは頼りない足取りながらも、胸を張って「であります!」と力強く宣言する。もとは魔王軍の将軍の下にいた彼女だが、現在は職を失った身だ。それでも、その瞳には強い反骨精神が宿っていた。 やがて彼らが辿り着いたのは、深い森の奥にひっそりと佇む老舗旅館「栄愛之湯」。古色蒼然とした佇まいに、湯気がゆったりと立ち上っている。 「いらっしゃい。よく来たねぇ」 出迎えたのは、腰の曲がった、だが眼光だけは鋭い経営主の婆さんだった。チェックインを済ませ、彼らは男女別の大部屋へと案内される。 男部屋では、オルヘルトが畳に大の字になって、バンチと近況を語り合っていた。 「僕はね、いつか魔王になって、魔族と人類の争いを完全に止めたいんだ! そのためには、まずはみんなに認められる強い勇者……いや、リーダーにならなきゃいけない」 「へー、あんた意外と真面目なんだな! オレはただ強い奴をぶっ飛ばして、誰よりも速い連撃を叩き込みてぇだけだぜ!」 二人は年頃の若者らしく、互いの目標や趣味について、賑やかに笑い声を上げていた。 一方、女部屋では、ミシウが布団に腰掛け、メワの話を半分聞き流しながら聞いていた。 「……であります! だから私は、いつかあの将軍に見返してやりたいのであります! 知略と魔法を組み合わせて、完璧な作戦を……」 「ふん、理想だけじゃ腹は膨れねぇぞ。だが、お前のその『諦めない心』だけは認めてやる。……おい、茶が冷める前に飲め」 ぶっきらぼうに茶を差し出すミシウ。そのお節介な優しさに、メワは「ミシウさんは本当にいい人であります!」と感激していた。 そして、待ちに待った夕食後。彼らは旅館自慢の貸切露天風呂へと向かった。 男女別の風呂は、美しく編み込まれた竹垣によって隔てられている。目の前には燃えるような紅葉が広がり、心地よい湯に浸かって、全員が心身ともに弛緩していた。 「あぁ……極楽だねぇ……」 オルヘルトが目を細めた、その時だった。 ――ドォォォォン!! 突如として、男風呂側の壁を突き破り、巨大な「何か」が乱入してきた。それは、半透明の巨大な粘液の塊――人造スライムの『ヌ・スポロコッケオ』であった。空腹のあまり理性を失い、食欲という名の敵対心剥き出しで襲撃してきたのである。 「な、なんだ!? いきなり!?」 バンチが飛び起きるが、その衝撃は凄まじかった。ヌ・スポロコッケオが激しく身をよじった拍子に、男女の風呂を隔てていた竹垣が、見るも無残に粉砕され、跡形もなく崩れ去った。 「きゃあああ!?」 「うおわあああ!?」 視界が開け、そこには全裸の男女が互いに目を見合わせて硬直しているという地獄絵図が広がっていた。しかし、状況は混乱を極める。ヌ・スポロコッケオが触手を激しく振り回し、湯船をかき乱し始めたからだ。 「とにかく、あいつを追い出すぞ! チームA、B、共同戦線だ!」 オルヘルトが叫び、咄嗟に【退魔の聖剣】を召喚する。しかし、そこは濡れたタイル床である。 「いくぞ! リードブローーー!!」 バンチが猛然と踏み込んだ瞬間、「ズサーッ!!」と派手な音を立てて足が滑った。勢いそのままに、彼は隣にいたオルヘルトの足に絡まり、二人して派手に転倒。そのまま「もみくちゃ」になりながら、もろとも湯船に水没した。 「ちょっと! 何やってんのあんたたち!!」 ミシウが怒鳴りながら黒剣を構えるが、彼女もまた、ヌルヌルの粘液に足を取られてバランスを崩す。 「わああ! 滑ります! 滑りますであります!!」 メワがパニックになりながら補助魔法を展開しようとするが、足元に伸びてきた触手に足を絡め取られた。そのままズルズルと引きずられ、運悪くミシウの背中に激突。二人はもつれ合い、そのまま「どぷん!」と湯船へダイブした。 「きゃっ!? ちょっと、どこ触ってるのよ!!」 「すみません! 止まりませんであります!!」 戦場はもはや混沌(カオス)だった。オルヘルトが【極彩色の魔力】を纏って立ち上がろうとすると、滑ってきたバンチが彼を突き飛ばし、その拍子にオルヘルトがミシウの方へダイブ。さらにそこに、触手に弾き飛ばされたメワが追撃するように重なる。物理的な衝突の連続に、ラッキースケベの嵐が吹き荒れていた。 「キュゥゥゥ!!(食わせろー!!)」 ヌ・スポロコッケオが勝ち誇ったように巨大な触手を振り上げる。だが、その拍子に彼は、自分の核(コア)である紫の玉を、転がってきたバンチの頭で丁度いい具合に圧迫してしまった。 「いってぇ! なんだこのぷにぷにしたやつ!」 「!?(ビクゥッ!!)」 核を刺激されたヌ・スポロコッケオは、あまりの衝撃に全身の力が抜け、みるみるうちに小さな水溜まりのようなサイズに縮んでしまった。絶好のチャンス。ミシウが体勢を立て直し、溜めていた魔力を解放する。 「逃がすか! 聖剣・追討!!」 眩い光を纏った一撃が、小さくなったスライムを直撃。爆風と共に、ヌ・スポロコッケオは遥か彼方の山奥まで吹き飛ばされていった。 静寂が戻った。 湯船の中で、男女が奇妙な体勢で重なり合ったまま、互いの心臓の鼓動が聞こえるほどの至近距離で視線を合わせていた。紅葉の美しさなど完全に忘れ去られ、そこには「なんとも言えない気まずい雰囲気」だけが漂っていた。 「……あ、えーと。ごめん」 オルヘルトが顔を真っ赤にして、ゆっくりと離れる。 「……チッ。最悪だ」 ミシウは顔を背けたが、耳の先まで赤い。メワは呆然として天井を見ており、バンチだけが「いやー、すごい戦いだったな!」と呑気に笑っていた。 その後、彼らは気まずさを隠すように、共同で竹垣の修復作業に当たった。慣れない手つきで竹を組み、泥と汗にまみれながらも、なんとか元の形に近づけた彼らは、婆さんの元へ行き、深々と頭を下げて謝罪した。 「ごめんねぇ。次は、もっと丈夫な壁にするよ」 婆さんの慈悲深い言葉に救われながら、彼らはそれぞれの部屋へと戻った。 布団に入ったオルヘルトは、天井を見つめて考え込んでいた。勇者として、もっと冷静に状況を判断すべきだったのではないか。そして、あの一瞬の視線の交錯に、心臓がまだうるさい。 バンチは「次はもっと滑らない靴を持ってこなきゃな」と単純な反省をしていた。ミシウは布団を頭まで被り、「あんな格好を……死んでも忘れられない」と悶絶していた。メワは「作戦上の不備があったであります……」と、反省の色を出しつつも、密かにミシウの意外な体格の良さに気づき、頬を染めていた。 翌朝。彼らは静かにチェックアウトを済ませた。 「またいつか、来ようね」 オルヘルトが言った言葉に、三人はそれぞれ違う反応を示した。 「おう! 今度はもっと強い奴がいる場所でな!」 「……まあ、たまになら、悪くねぇな」 「次は完璧な宿泊プランを立案しますであります!!」 それぞれが心に秘めた想いを抱え、あるいは言葉にできぬまま、彼らは秋の山道を下り、それぞれの帰路に着いた。栄愛之湯の煙突から昇る煙が、昨夜の騒動を包み隠すように、静かに空へと溶けていった。