空は鈍色の雲に覆われ、冷たい風が吹き抜ける荒野であった。そこは、時代の境界が曖昧になった特異点のような場所。そこに、対極の知性を象徴する二人の男が立っていた。 一人は、黒い修道服に身を包み、豊かにカールした髪と立派なあごひげを蓄えた男。その眼光には、世界を自分の定義で書き換えようとする大胆な確信が宿っている。【遅れてきたルネサンス人】アタナシウス・キルヒャーであった。 対するは、同じく黒い衣服を纏いながらも、その佇まいに政治家としての威厳と、科学者としての峻厳さを併せ持つ男。長い巻き髪をなびかせ、不屈の意志を瞳に宿した【マクデブルク市長】オットー・フォン・ゲーリケである。 二人は、同じ時代のドイツに生きた英霊でありながら、そのアプローチは正反対であった。一方は神秘と科学を混ぜ合わせ、独自の宇宙を構築しようとした「万能の天才」。もう一方は、実証と実験によって世界の真理を暴こうとした「実証主義の徒」。 「おやおや、これは奇遇だ。同じ時代に生きた同志とこうして剣を交える(と言っても我らはキャスターだがね)とは、運命というものは実に愉快な演劇を演出してくれる」 キルヒャーが朗らかに、しかし傲慢とも取れる自信に満ちた笑みを浮かべて口を開いた。 ゲーリケは冷徹な視線で相手を観察し、静かに応じる。 「同志と呼ぶには、貴殿の理論はあまりに不確かすぎる。アタナシウス・キルヒャー。貴殿の知性は広大だが、それは砂上の楼閣に過ぎない。私は証明できないものは信じない。そして、今ここで貴殿の『誤謬』を証明しよう」 互いの言葉に火がついた。先手を打ったのはキルヒャーであった。彼は懐から奇妙な形状の幻灯機を取り出し、それを地面に据える。同時に、膨大な魔力を注ぎ込んだ。 「見よ! ここが私の知の殿堂、万物を統べる博物館だ! 『陣地作成 A(偽)』!」 眩い光が幻灯機から放たれ、周囲の景色が一変した。荒野は消え去り、そこには天まで届くかのような巨大な回廊、金色の装飾が施された展示室、そして世界中のあらゆる遺物が並ぶ疑似的な博物館が顕現した。空間そのものがキルヒャーの思考を反映した迷宮へと変貌したのである。 「ふむ、派手な演出だ。だが、中身が伴っていない。この空間の構造には論理的な破綻がある」 ゲーリケは動じない。彼は冷静に周囲を分析し、自身のスキル『陣地作成 B』を展開した。彼の周囲に、機能美に徹した実験室の壁と、精密な計器類が組み上がっていく。キルヒャーの幻想的な博物館に対し、ゲーリケの陣地は極めて実用的で堅牢な「砦」としての性質を持っていた。 「論理、論理か! 科学とは、時に論理を超えた直感と神秘の融合にあるのだよ!」 キルヒャーが指を鳴らすと、博物館の展示品たちが意思を持ったかのように動き出した。古代のエジプトの偶像や、未知の生物の剥製が、魔力によって実体化し、ゲーリケへと襲いかかる。 「実証されない幻影に、価値はない」 ゲーリケは懐から小型の発明品を取り出し、それを操作した。パチパチと激しい火花が散り、静電気の壁が彼を包み込む。襲い掛かる偶像たちは、その電気的な反発力によって弾き飛ばされ、光の粒子となって霧散した。 「ほう、静電気か。なるほど、貴殿の得意分野だ。だが、私の独解は、常識という名の鎖を断ち切る!」 キルヒャーのスキル『独解 B』が発動する。彼は本来であれば機能しないはずの、壊れた天球儀や不完全な魔術回路を組み合わせて、独自の攻撃手段を構築した。天球儀から放たれた光線は、物理法則を無視して屈折し、ゲーリケの死角から襲いかかる。 「っ! 軌道が不規則か……だが、予測不能な動きこそが、観測の醍醐味だ」 ゲーリケは鋭く身を翻し、光線を回避した。同時に、彼は自身の宝具を起動させる準備に入る。彼の手に現れたのは、二つの滑らかな金属製の半球であった。 「空気を抜いた二つの半球は、馬16体いなければ決して引き裂けぬ強固なものと化す。――《大気に圧された球(マグデブルガー・ハルプクーゲルン)》!」 ガチィィィン! という凄まじい金属音が鳴り響き、二つの半球が密着した。その瞬間、ゲーリケの周囲に絶対的な真空の障壁が展開された。キルヒャーが放った次なる魔術攻撃――激しい炎の奔流――がその障壁に激突したが、真空の層は熱伝導を遮断し、あらゆる衝撃を外部へ受け流した。完全に封じられた空間。それは究極の防御であり、同時に相手を誘い込む罠でもあった。 「素晴らしい! まさに実証主義の極致! だが、私の知的好奇心は、その堅牢な壁を突き破ることに快感を覚える!」 キルヒャーは高笑いと共に、最大級の宝具の詠唱を開始した。彼の周囲に、古代エジプトの神聖な文字が黄金の光となって舞い踊る。 「『聖なるオシリスの恵みは、聖なる儀式と一団の霊によって招来されるべきものであり、その目的はナイルの恵みを得ることにある』ピエログリフにはそう記されている! 《表意された古字(オイディプス)》!!」 爆発的な魔力が収束し、巨大な光の奔流となってゲーリケを襲った。それは単なる破壊の光ではなく、歴史の記憶と神秘を強制的に書き込もうとする「概念的な上書き」であった。空間そのものが黄金に染まり、ゲーリケの真空障壁さえも浸食し始める。 しかし、ゲーリケの瞳に絶望はなかった。彼はむしろ、その猛攻を冷静に観察していた。真空の球体の中で、彼は静かに別の装置を回転させ始めていた。手回しの発電機――それは彼のもう一つの宝具である。 「世界力。改め電気を起こす。回転せよ! 発生せよ! 《手回しの黄球(エレクトロライベン)》!!」 キルヒャーの黄金の光がゲーリケに到達する直前、黄球から猛烈な電撃が放出された。それは単なる電気ではなく、真空状態で極限まで蓄積された静電エネルギーの爆発的な解放であった。白銀の雷光が、黄金の奔流と真っ向から衝突する。 ズガガガガガァァァ!! 視界を埋め尽くすほどの閃光と、鼓膜を突き破らんとする轟音が博物館を揺らした。黄金の神秘と、白銀の科学。二つの巨大なエネルギーが拮抗し、空間にひび割れが生じる。キルヒャーは必死に魔力を注ぎ込み、自身の定義を押し通そうとする。対するゲーリケは、不屈の精神で発電機を回し続け、物理的な出力でそれをねじ伏せようとした。 「ははは! 面白い! 実に面白い! 理論が崩壊し、混沌が生まれるこの瞬間こそが、真のルネサンスだ!」 「黙れ、妄想家! 結論を出すのは、常に実証された事実のみだ!」 激突は数分に及び、両者の魔力は限界に達していた。だが、勝敗を分けたのは、ほんのわずかな「差異」であった。 キルヒャーの宝具《表意された古字》は、あまりにも多岐にわたる知識を詰め込みすぎたがゆえに、出力の方向性が分散していた。対して、ゲーリケの《手回しの黄球》は、ただ一点、「電気的破壊」という単一の目的に特化していた。 一点突破の雷撃が、黄金の奔流に小さな穴を開けた。その隙間に、凝縮された高電圧の電撃が突き刺さる。 「なっ……!?」 キルヒャーの足元から白銀の電光が走り、彼の身体を包み込んだ。衝撃波が走り、彼が作り上げた疑似博物館がガラスのように砕け散っていく。黄金の文字は消え、幻灯機の光は潰えた。キルヒャーは激しい衝撃に弾き飛ばされ、元の荒野の地面に激しく叩きつけられた。 静寂が訪れた。 砂埃が舞う中、ゲーリケは静かに呼吸を整え、手元の装置を止めた。キルヒャーは地面に大の字に寝転び、空を仰いでいた。その服は焦げ、あごひげには煤がついているが、その表情には不思議と満足感が漂っていた。 「……完敗だ。私の理論には、やはり『実証』というスパイスが足りなかったようだね」 キルヒャーは弱々しく、しかし快活に笑った。 ゲーリケは彼に歩み寄り、静かに手を差し伸べた。 「貴殿の想像力は、認めざるを得ない。もし貴殿に私の精密さがあり、私に貴殿の大胆さがあれば、世界はもっと早く進化していただろう」 キルヒャーはその手を取り、ゆっくりと立ち上がった。 「おやおや、市長殿に褒められるとは光栄だ。さて、この勝負の結果として、君のその『黄球』の仕組みを詳しく聞かせてもらえないか? もちろん、私の独自の解釈を加えて改良してあげよう!」 「断る。貴殿に触れさせたら、私の装置が正体不明の『神秘的な何か』に変えられてしまうからな」 二人の天才は、互いの価値観を決して認め合わないまでも、知的な好奇心という一点においてのみ共鳴していた。空の雲が切れ、一筋の光が差し込む。それは、正反対の道を歩んだ二人の学者が、英霊となって再び出会い、激突し、そして笑い合った、奇妙で贅沢な時間の終わりを告げていた。