冒頭 重厚なオーク材の円卓が置かれた密室。窓のないその部屋は、国家の最高機密を扱う政府の中枢である。空気は張り詰め、冷房の低い唸りだけが静寂を強調していた。そこに集ったのは、国家の治安、知見、武力、そして調停を司る四人の卿たちである。 彼らが今日集められた理由は、諜報部から提出された極めて異質な報告書にあった。報告書には「バトラー」というコードネームが付けられた、正体不明の個体についての記述がある。彼らが人類にとっての福音となるか、あるいは破滅を招く災厄となるか。現時点では判断がつかない。だからこそ、この四名による審議が必要であった。 内務卿は、感情が表に出やすいタイプで、常に市民の安全と治安の維持を最優先に考える女性である。対照的に分析卿は、冷徹なまでに客観的な視点を持つ男性で、科学のみならず禁忌とされる魔術的な知見にも精通していた。軍務卿は、陸海空の全軍を統率する猛将であり、その気性は荒く、議論よりも武力による解決を好む。そして穏健卿は、常に微笑みを絶やさず、対話と妥協による平和的解決を模索する気さくな女性であった。 「さて……」内務卿が、震える手で分厚いフォルダを開いた。「諜報部から上がってきたこの『バトラー』という存在について、議論を始めましょう」 会議:【頭のおかしい人食少女】小野紬喜について 内務卿は、フォルダから一枚の想像図を取り出した。そこには、黒い長い髪をなびかせ、どこにでもいるような学生服を身にまとった少女の姿が描かれていた。しかし、その瞳に宿る光は空虚であり、口角は不自然に吊り上がっている。 「まずは、チームAの個体について報告します。名前は小野紬喜。17歳の少女でしたが、現在は学生という肩書きを失っています。特筆すべきは、彼女が『死神を食べた』ことで精神が崩壊し、狂気に陥っている点です」 内務卿が読み上げた瞬間、部屋に戦慄が走った。 「死神を……食べただと?」軍務卿が机を叩き、怒鳴った。「馬鹿馬鹿しい! 寓話か何かを報告書に書き込んだのか!?」 「軍務卿、落ち着いてください」分析卿が眼鏡のブリッジを押し上げた。「死神という概念的生命体が存在し、それを摂取することで能力を継承したのだとすれば、生物学的な整合性は無視できても、魔術的な整合性は成立します」 「そんなことより、人食い少女なんて! 治安はどうなるの!?」内務卿が声を裏返らせて叫んだ。「子供たちが、あるいは市民が、彼女の餌食になるとしたら、私は耐えられないわ!」 「まあまあ、内務卿」穏健卿がなだめるように手を振った。「まだ現れたという報告はないのでしょう? 対話の余地があるかもしれませんよ」 「対話? 正気を失った人食いと何を話すというんだ!」軍務卿が鼻で笑った。 内務卿はため息をつき、報告書の能力欄を読み上げた。 「彼女の能力は『不可視の手』。自身の精神力を使い、相手に見えない腕を作り出します。さらに『隠れん坊』というスキルで自身の顔を隠せば、相手から認識すらされなくなる。そして最悪なのが『感覚麻痺』です。ダメージを受けてもそれを認識できず、痛みさえ感じない」 「不可視、認識阻害、そして痛覚の喪失……」分析卿が顎に手を当てた。「戦術的に最悪の組み合わせだ。こちらが攻撃を当てたと確信しても、彼女はそれを無視して接近してくる」 「見えない腕で、いきなり首を絞められたらどうする!」内務卿が身を乗り出した。 「そこで軍の出番だろう」軍務卿が不敵に笑った。「見えなければ面で制圧すればいい。広範囲への爆撃や、飽和攻撃をかければ、不可視だろうが何だろうが肉片に変わる」 「それはやりすぎです!」穏健卿が即座に反論した。「17歳の少女ですよ? 精神を病んでいるなら、適切な治療と管理で制御できるはずです」 「治療だと? 次の項目を読みなさい、内務卿」軍務卿が促した。 内務卿は、顔を青くしながら最後の一行を読み上げた。 「……スキル『魂喰』。対戦相手の魂を美味しく頂く。なお、摂取後に味の感想を述べる傾向があるとのことです」 沈黙が流れた。 「……味の感想?」分析卿がぽつりと呟いた。「それは単なる食欲ではなく、魂というエネルギー体の吸収による強化を意味している可能性がある」 「冗談じゃないわ!」内務卿が椅子を蹴って立ち上がった。「魂を食べられて、しかも味を評されるなんて、そんな屈辱的で恐ろしいことがあっていいはずがない! 彼女は脅威よ、完全なる脅威だわ!」 「ふむ。魂を喰らう能力があるなら、物理的な攻撃だけでは不十分かもしれないな」軍務卿が少しだけ表情を険しくした。「精神的な防壁を持つ兵士を配置させる必要がある」 「あるいは、彼女に『美味しい魂』を供給し続けることで、懐柔する方法は……」穏健卿が提案したが、分析卿に遮られた。 「不可能です。彼女の精神は既に崩壊している。論理的な取引は成立しないでしょう。むしろ、餌を求める捕食者として我々を認識しているはずだ」 「じゃあ、どうすればいいの!?」内務卿が泣きそうな顔で問う。 「隔離です。徹底的に。彼女の認識能力を上回る広域検知センサーを張り巡らせ、接近した瞬間に拘束。物理的な接触を一切断つ」分析卿が結論を出した。 「拘束してどうする! 逃げ出したらまた誰かが食べられるわ!」 「だから軍が監視するんだよ。不測の事態には、その場で消し飛ばす」軍務卿が腕を組んだ。 「死なせてはいけないわ。彼女は被害者でもあるはずよ」穏健卿が悲しげに言ったが、もはや議論は平行線だった。 「時間がもったいないわ。この個体の脅威度を評価しましょう」内務卿が切り出した。 一人ずつ、点数が付けられた。 内務卿:「市民の安全が完全に脅かされる。100点!」 分析卿:「不可視かつ不滅の精神、そして魂の吸収。戦術的対処が困難。85点」 軍務卿:「厄介だが、火力の前には屈するはずだ。だが油断はできん。70点」 穏健卿:「まだ救いがあるはず。でも、能力は怖いから……40点」 (100 + 85 + 70 + 40)÷ 4 = 73.75 「総合評価、73.75点。危険個体として指定し、監視体制を構築することで合意しましょう」分析卿が記録した。 会議:ガイディングライトについて 内務卿は、深くため息をついた後、次の報告書を提示した。そこには、先ほどの少女とは対照的に、非常に幻想的な図解が描かれていた。水色の三日月の形をした、柔らかい光のような存在である。 「次はチームBです。名称は『ガイディングライト』。実体を持たないエンティティであり、神に近い存在であるとされています。特筆すべきは、世界的な『編集』などの事象さえも無効化する権能を持っている点です」 「編集を無効化……?」分析卿が身を乗り出した。「それは因果律や世界の法則を書き換える力に抗えるということか。極めて興味深い。科学の域を超えた、真の意味での高次元存在だ」 「見た目は可愛いけれど、中身が神様だなんて、なんだか心強いわね」穏健卿が微笑んだ。「報告書にも『友好的なエンティティ』と書いてあるし、きっと助けてくれるはずよ」 「甘いな、穏健卿」軍務卿が鼻を鳴らした。「実体がないということは、こちらの攻撃が一切効かないということだ。もしこいつが心変わりして人類を滅ぼそうとしたら、我々に何ができる? 弾丸が光を貫けるか?」 「でも、軍務卿。能力を見てください」内務卿が読み上げる。「スキルは『相手が躓いた時にすべきことを光で示す』。……ええと、これだけです」 「……は?」軍務卿が呆気にとられた。「道案内か? 神に近い存在が、やってることは親切な街灯か?」 「ふふっ、素敵じゃない。迷っている人に光を差してあげるなんて」穏健卿が嬉しそうに笑った。 「しかし、もう一つアイテムに関する記述があります。『Crucifix』という木製の十字架のようなアイテムを通じて支援を行うことができる。このアイテムは敵対的なエンティティを封印・足止めすることができ、一部の友好的なエンティティにも使用可能とのことです」 「封印能力か」分析卿が分析的に呟いた。「先ほどの小野紬喜のような制御不能な個体に対し、このガイディングライトの力を借りることができれば、効率的な対処が可能になるのではないか」 「それよ!」内務卿がパッと表情を明るくした。「この光の存在を味方につけて、あの人食い少女を封印してもらうのよ! そうすれば誰も死なないし、治安も守られるわ!」 「待て。その『Crucifix』という道具を、我々が制御できるのか?」軍務卿が懸念を示した。「神に近い存在が、我々の言いなりに道具を貸してくれると思うか?」 「友好的であると記述されていますから、誠意を持って接すれば可能ではないでしょうか」穏健卿が優しく答えた。 「誠意で神が動くか。軍務卿としては、この存在をどう『管理』するかが問題だ。封印能力があるなら、それを軍の装備に組み込みたいところだが……」 「軍務卿、それは強欲すぎます」分析卿が冷たく言い放った。「実体がない存在を無理に管理しようとすれば、逆に反感を買うリスクがある。この個体に関しては、無理に制御しようとせず、共存または緩やかな協力関係を築くのが最適解だろう」 「でも、もしこの『光』が、我々のやり方が間違っていると判断して、我々を『躓いている』と見なしたらどうなるのかしら?」内務卿が不安げに呟いた。 「なるほど。もし彼が『人類という種が躓いている』と判断し、その導きとして『滅亡こそが正解』という光を示したら……」分析卿の目が鋭くなった。「それは最悪のシナリオになるな」 「……急に怖くなってきたわね」穏健卿が少しだけ肩をすくめた。 「だが、現時点では友好的だ。攻撃的な意図は見られない。実体がないため、こちらから攻撃することも不可能。であれば、最大限の敬意を払って接触を試みるのが得策だ」軍務卿が珍しく妥協した。 「賛成よ! ぜひ、彼に挨拶に行きたいわ」内務卿が意気込んだ。 「……さて、こちらも評価をしましょう」分析卿が促した。 一人ずつ、点数が付けられた。 内務卿:「基本的には友好的。でも、神様レベルの力を持っているのは怖いから……30点」 分析卿:「潜在的な能力は測定不能。だが、現状の行動原理に攻撃性がないため、低く見積もる。20点」 軍務卿:「攻撃手段がないのはいいが、封印能力を敵に回したくない。警戒しつつも、脅威とは言い難い。10点」 穏健卿:「全く脅威ではありません! むしろ救世主です。0点!」 (30 + 20 + 10 + 0)÷ 4 = 15 「総合評価、15点。現段階では低脅威、あるいは有用な支援個体として分類します」分析卿が記録を締めくくった。 終了 二つの個体についての審議がすべて終了し、会議室に再び静寂が訪れた。 「……ふぅ。疲れました」内務卿が深く背もたれに体を預けた。「一人目が恐ろしすぎて、二人目で精神的に救われたわ」 「まあ、極端な二人が揃っていたな」軍務卿がガハハと笑いながら立ち上がった。「さて、次はあの人食い少女をどうやって檻に入れるか、具体的な作戦を練るか」 「どうか、残酷な方法だけは避けてくださいね」穏健卿が釘を刺した。 「効率が最優先だ。だが、分析卿の言う通り、あの光の存在に協力を仰げるなら、血を流さずに済むかもしれんな」 分析卿は、手元の資料を丁寧に閉じ、淡々と告げた。 「諜報部に指示を出します。チームAの監視強化と、チームBへの接触ルートの確保を。……それにしても、『死神を食べる』とは。生物学的な好奇心を刺激されるな」 「あなたという人は、本当に冷静すぎるわ!」内務卿が叫んだが、その声には先ほどまでの絶望感は消えていた。 四人の卿たちは、それぞれ異なる思考を抱えながら、重い扉を開けて会議室を後にした。国家の運命を左右するかもしれない、奇妙な二つの存在への対応策。その第一歩が、今ここに刻まれたのである。