深い霧に包まれた、忘れ去られた古都の廃墟。瓦礫の山と崩れかけた石柱が、かつての栄華を嘲笑うかのように立ち並んでいる。 帝都連隊の将校、不知火尚は、軍帽を深く被り直し、周囲を警戒していた。彼がここに赴いたのは、政府が極秘に追っている「次元の歪みを引き起こす特異個体」の回収、あるいは排除のためだ。しかし、目的の標的に辿り着く前に、不運にも野良の魔獣たちの集団に襲撃された。 「……っ、お願いですから、もうやめてください!」 気弱な口調とは裏腹に、彼の手に握られた『アルファブレード』が鋭い閃光を放つ。斬撃が空を裂き、襲い掛かる魔獣の肢体を切り裂いた。殺すことはできない剣だが、衝撃波と斬撃によるダメージは十分だ。だが、数に押し切られそうになったその時――。 空から一条の光が降り注いだ。 「あらあら、随分と情けない声を上げてますねぇ。お坊ちゃん?」 挑発的な、しかし鈴を転がしたような心地よい声。同時に、魔獣の一頭が巨大な炎の柱に飲み込まれ、絶叫と共に吹き飛んだ。尚が驚いて視線を向けると、そこには猫耳の付いた黒いローブを纏い、青い髪をなびかせた少女――臨月カノンが立っていた。 彼女は片目に六芒星の紋章を宿した瞳で、ふわりと尚を見下ろしている。そのスタイルは目を引くほどに良く、薄い衣服から覗く白い肌が、廃墟の灰色に鮮やかに映えていた。 「え……あ、ありがとうございます。でも、あなたは……?」 尚が戸惑いながら問いかける。軍人として警戒心は持っているが、目の前の少女があまりに幻想的な美しさと、どこか幼い危うさを併せ持っていたため、つい毒気を抜かれてしまった。 「ふふっ、お礼を言うならもっと可愛くお願いしてください。私はただの旅人。でも、あなたのような可愛い子が一人で心細そうにしているのを見ると、放っておけない性質でして」 カノンはわざとらしく小首をかしげ、色っぽい笑みを浮かべる。尚は顔を真っ赤にし、「あ、あの、私は軍人ですので、心細いなんてことは……!」と慌てて否定した。その初々しい反応に、カノンは内心で(あは、本当に純情な子)と愉快そうに笑う。 だが、互いに正体不明の相手に対する警戒は解けていなかった。尚はアルファブレードを構え直し、カノンは指先で軽やかに魔法陣を描き始める。静寂が戻ったのも束の間、大気が突如として凍りつき、空間がガラスのようにひび割れた。 ――ギギギ、ガガアッ!! 地響きと共に、廃墟の中央から「それ」が現れた。高さ十メートルを超える、不定形の黒い塊。無数の目と口が全身に点在し、触手のような肢体が地面を叩きつける。次元の歪みの化身、「ヴォイド・イーター」だ。 その咆哮一回で周囲の建物が粉砕され、猛烈な衝撃波が二人を襲う。 「っ!!」 尚は咄嗟に身体強化を行い、衝撃を耐え抜いた。一方のカノンも、素早く「山羊座」の魔法で後方へ瞬間移動し、余裕げに頬杖をつく。 「……あの方は、相当に厄介そうですね。私の『ホロスコープ』でも、数秒後の未来がノイズで塗りつぶされています。つまり、予測不能な攻撃を仕掛けてくるということ」 尚は軍帽をぎゅっと押さえ、決意を込めて彼女を見た。 「どうやら、あなたもあの方を追っていたんですね」 「正解です。あの方の核にある宝石、私のコレクションに加えたいと思ってまして。……でも、今のままだと、お坊ちゃんが先に食べられちゃいそうですね?」 「……っ! その言い方は、少し失礼だと思います!」 尚の頬がぷくっと膨らむ。怒りではないが、彼の中の「不満」がエネルギーに変換され始め、身体から微かに白い火花が散った。カノンはそれに気づき、ニヤリと笑う。 「あら、怒らせちゃいました? でも、今のあなたには力不足。……いいですよ、一時的に協力してあげます。その代わり、終わったら私に美味しいお菓子でもご馳走してくださいね?」 「……分かりました。今は、力を合わせるしかありませんね」 二人の視線が、巨大な怪物へと固定された。 戦闘の幕開けは、カノンの先制攻撃だった。 「【射手座】!」 彼女の背後に巨大な光の弓が現れ、黄金の矢が連射される。一射一射が爆撃のような威力を持ち、ヴォイド・イーターの外殻を激しく叩く。しかし、怪物はその肉体を自在に変形させ、矢を弾き飛ばした。さらに、触手の一本が音速を超えてカノンへ襲い掛かる。 「あ……っ!?」 不意を突かれたカノンが、短い悲鳴を上げて後方へ吹き飛ばされた。背中の薄いローブが翻り、地面に激突する。その際、不意に漏れた「あんっ!」という艶っぽい声が、静まり返った戦場に響いた。 その声を聴いた瞬間、尚の心の中で何かが弾けた。 (……今の、女の子が、あんなに危ない目に遭って……! しかも、あんなにひどい攻撃を!!) 尚は本来、自分自身のことで怒るタイプではない。しかし、「誰かが不当に傷つけられること」への拒絶感は、彼の能力《憤怒》の最大のトリガーだった。彼にとって、目の前の少女は今、守るべき「弱き存在(に見える相手)」へと変わった。 「……いい加減にしてください!!」 ドォォォォォォン!! 爆発的なエネルギーが尚の身体から噴出した。銀髪が逆立ち、赤色の瞳が爛々と輝く。身体強化によってもたらされた筋力は、地面を蹴っただけでクレーターを作り出した。 「な……!? 急に威圧感が変わった……!」 呆然とするカノンを追い越し、尚は閃光となってヴォイド・イーターへと突撃した。アルファブレードに凝縮された雷光が、怪物の触手を次々と断ち切る。一撃一撃が衝撃波を伴い、周囲の瓦礫を粉砕していく。 「えへへ、やっぱり怒らせると凄いんですね」 カノンはすぐに立ち上がり、衣服の汚れを払うと、瞳の六芒星を強く輝かせた。彼女は尚の猛攻によって怪物の注意が完全に惹きつけられたことを見逃さない。 「お坊ちゃん! 右から来る触手に気をつけて! 今、私が道を空けます!」 カノンが両手を広げ、【水瓶座】の激流を放つ。猛烈な水の壁が怪物の視界を遮り、同時に【蟹座】の二連斬撃が、怪物の足元の触手を切り刻んだ。バランスを崩したヴォイド・イーターが大きくよろめく。 「今です!!」 「はい!!」 尚は空中で身を捻り、全エネルギーを右腕に集中させた。身体強化による超高速移動と、《憤怒》から変換された純白の光線が一つに融合する。 「お願いですから……消えてください!!」 光の槍となって放たれた一撃が、ヴォイド・イーターの中心核を正確に貫いた。凄まじい爆鳴と共に、黒い肉塊が内側から弾け飛び、光の粒子となって霧散していく。 静寂が戻った。戦いの中での高揚感が消え、尚の身体から光が消えていく。 「ふぅ……。あ、あの……大丈夫でしたか?」 尚はすぐに元の気弱な少年に戻り、もじもじしながらカノンに駆け寄った。その顔は、激戦直後とは思えないほどに純粋で、心配そうに彼女を見上げている。 カノンは、そんな彼をじっと見つめた。戦いの中での猛々しさと、今の弱々しさのギャップ。そして、何より自分を本気で守ろうとしてくれたことへの、ほんの少しのときめき。 (……ふーん。見た目だけじゃなくて、中身まで最高に可愛い子じゃないですか) カノンはいたずらっぽく微笑み、尚の軍帽を指先で軽くつついた。 「合格です。お坊ちゃん。……あんなに激しく怒って私を守ってくれるなんて、なんだか嬉しいじゃないですか」 「えっ? 守ったとか、そういうのは……その、当たり前のことで……」 赤くなる尚。異性に慣れていない彼は、カノンの距離感の近さに完全に翻弄されていた。カノンは彼を小馬鹿にするように笑いながらも、その瞳には確かな親愛の情が宿っている。 「さて、約束のお菓子、忘れちゃダメですよ? 案内してください。この辺りで一番美味しい店をね」 「あ、はい。分かりました……。あ、でも、軍の報告書を書かないといけないので、少しだけお待ちください」 「いいですよ。あなたの隣で、ゆっくり星占いでもして待ってあげます」 銀髪の少年将校と、青い髪の旅人。正反対の二人は、壊れた街の中を肩を並べて歩き出す。互いの正体はまだ完全には分からない。けれど、背中を預け合った一瞬の信頼が、彼らの間に奇妙な絆を紡ぎ始めていた。