夕暮れの駅前は、仕事帰りの人々と買い物袋を提げた人々でにぎわっていた。 その人波の中を、黒いカバーをまとった消しゴムが、てくてくと歩いている。身長は百センチほど。丸い角の頭に、黒い手袋をつけた両手が、腕もないままふわふわと浮かんでいた。 「リン、まだかー?」 消し太郎が声を張り上げると、駅前の時計台のそばから、赤いシャツに黒いジャケットを羽織った女性が手を振った。黒髪のショートヘアが、夕方の風に軽く揺れる。赤い瞳には、いつもの明るい光が宿っていた。 「ごめんごめん、待った?」 「待った! すっげー待った! 俺の体感では三時間!」 「実際は十分くらいだよ」 「十分は長いだろ! 俺なんか三回あくびして、二回通行人に二度見されて、あと一回、自分の影に驚いたんだからな!」 「それ、待ち時間の問題じゃなくない?」 リンは笑いながら、消し太郎の隣にしゃがみ込んだ。彼女が近づくと、消し太郎は少しだけ胸を張る。もちろん、消しゴムに胸というものがはっきり存在するわけではないが、長年の友人であるリンには、その仕草が手に取るように分かった。 「それで、今日はどこに行くの?」 「面白そうな場所に決まってるだろ!」 「決まってないよ。私、聞いてないもの」 「今決まった!」 「それは決めたっていうんだよ」 「細かいことは気にすんなって!」 消し太郎は浮いた手を大きく振り、勢い余って近くの案内板にぶつけた。金属板がかすかに揺れる。 リンは反射的に手を伸ばしたが、消し太郎は何事もなかったように手を引っ込めた。 「平気平気。俺の手、丈夫だから」 「そういう問題じゃないの。人に当たってたら危なかったでしょ」 「……ごめん」 短く謝った声には、さすがに反省がにじんでいた。 リンは少し目を細め、それから消し太郎の丸い頭を指先で軽く撫でた。 「分かればよし。ほら、今日は私が行き先を決めるから、勝手に走り出さないこと」 「えー……」 「なに?」 「リンが決めると、面白いけど地味なんだよな」 「私の行き先選びをなんだと思ってるの?」 「安全第一」 「それは大事でしょ」 「俺はスリルが欲しい!」 「知ってる。でも、スリルと無茶は違うからね」 リンは立ち上がり、駅前の通りを指差した。その先には、古い商店街が続いている。軒先には色とりどりの看板が並び、夕飯時の香りが漂っていた。 「まずはあっち。今日はみたらし団子を食べるの」 「みたらし団子!」 消し太郎の声が一段高くなった。 「お前、甘いもの好きだったっけ?」 「好きに決まってるだろ! 俺は食べ物に関しては柔軟なんだ!」 「それ、ただの食いしん坊じゃない?」 「違う! 味覚の探究者!」 「消しゴムなのに?」 「種族で食の可能性を決めるなよ!」 二人は並んで商店街を歩き始めた。リンの歩幅に合わせるように、消し太郎は少しだけ速足になる。浮かんだ両手は、歩くたびに楽しそうに揺れていた。 商店街の中央付近に、目当ての店があった。古びた木の看板には、大きく「だんご」と書かれている。店先には香ばしい醤油の匂いが漂い、リンの赤い瞳がわずかに輝いた。 「見て、焼きたてだって」 「よし、全種類!」 「そんなに食べられるの?」 「余裕だろ。俺、見た目より入るぞ」 「どこに?」 「心の中に!」 「胃じゃないんだ」 リンは店員に注文し、しばらくして二本のみたらし団子を受け取った。一本を消し太郎に差し出すと、彼は浮いた手で器用に受け取る。 しかし、消しゴムである彼には口がない。 リンは無言で消し太郎を見た。 「……どうやって食べるの?」 「気合い」 「気合いで食べられる構造じゃないよね」 「じゃあ、リンが食べて感想を伝えてくれ」 「それ、私が二本食べるだけじゃない?」 「俺の分も味わってくれ」 「ずるいなあ」 リンは笑いながら、団子を一つ口に入れた。甘辛いタレが舌に広がる。しばらく味わってから、満足そうに頷いた。 「うん、おいしい。甘さは控えめで、醤油の香りがいい感じ」 「なるほど……つまり最高ってことだな!」 「かなり省略したね」 「感想は短いほど伝わるんだよ」 「そうかなあ」 二人が店先で話していると、通りの向こうから、買い物袋を抱えた青年が駆けてきた。足元がおぼつかず、袋の中身が今にもこぼれそうになっている。 リンはすぐに気づき、さりげなく一歩前へ出た。青年がつまずいた瞬間、リンの手が袋を支える。 「大丈夫?」 「す、すみません! 助かりました!」 「急がなくていいよ。落ち着いてね」 青年は何度も頭を下げ、歩いていった。 「さすがリンだな」 「なにが?」 「人助けが自然すぎる。俺なら、まず『うおお、危ねえ!』って叫んでから助ける」 「叫ぶ前に助けてくれると、もっといいんだけどね」 「努力はする!」 「うん。消し太郎は、ちゃんと優しいから」 その言葉に、消し太郎は一瞬黙った。 彼は普段、楽しいことや派手なことを見つけると、考えるより先に飛び込んでいく。時には短気を起こし、周囲をひやりとさせることもある。それでも、仲間が困っている時だけは誰より早く動く。リンはそのことをよく知っていた。 「……急に褒めるなよ。照れるだろ」 「照れるんだ?」 「照れる! 俺だって感情はある!」 「消しゴムの感情って、どこにあるの?」 「聞くな! 俺にも分からん!」 リンが吹き出すと、消し太郎もつられて笑い始めた。最初は小さかった笑い声が、やがて商店街に響くほど大きくなる。 「ははははは! お前、今の顔すげえ間抜け!」 「消し太郎が変なこと言うからでしょ!」 「俺はいつだって真面目だ!」 「それは嘘」 「なんで即答なんだよ!」 騒がしく笑いながら、二人は商店街の端まで歩いた。そこには小さな公園があり、古いベンチが二つ並んでいる。夕日が木々の隙間から差し込み、赤い光が地面に長い影を落としていた。 リンはベンチに腰を下ろし、消し太郎はその隣に座る代わりに、少し浮かびながら身を寄せた。 「今日は、任務じゃないの?」 消し太郎が尋ねた。 「今日は休み。たまにはのんびりしないとね」 「リンが休むなんて珍しいな」 「私だって休むよ。というか、休ませてくれないと困るよ」 「でも、お前は頼まれたら断れないだろ」 「消し太郎に言われたくないなあ」 「俺は頼まれてなくても行くからな!」 「それはもっと困る」 リンは肩をすくめた。しばらく、二人の間に静かな時間が流れる。遠くで子どもたちが笑い、商店街の店じまいを知らせる音楽が小さく聞こえていた。 「ねえ、消し太郎」 「ん?」 「私たち、長い付き合いになったね」 「そうだな。最初に会った時のお前、今よりずっと怖かった」 「えっ、私が?」 「人類最強って名乗って、すげえ勢いで走ってきたじゃん。俺、最初は逃げたぞ」 「逃げたんだ」 「そりゃ逃げるだろ! 赤い目の女が、ものすごい顔で迫ってきたんだから!」 「ものすごい顔ってなに?」 「真剣な顔!」 「それならよかった」 「でも、追いついたお前が最初に言ったのは『お腹すいてない?』だった」 「だって、消し太郎、すごく疲れていたから」 「普通、初対面の消しゴムに言う台詞じゃないだろ」 「でも、そこから仲良くなったんだよね」 「まあな」 消し太郎は夕日に目を向けた。丸い角の頭に、柔らかな光が当たっている。 「お前がいなかったら、俺はもっと好き勝手してたと思う」 「今でも十分好き勝手してるけどね」 「それはそう!」 即答した消し太郎に、リンはまた笑った。 「でも、前よりは周りを見るようになったよ」 「本当に?」 「たぶん」 「たぶんなんだ」 「俺の成長は、長い目で見てくれ」 「分かった。百年くらい待つね」 「長い! 俺、そんなに持つか分からないぞ!」 「消しゴムって長生きなの?」 「知らん!」 「知らないんだ」 「俺は戦闘のことなら分かるけど、人生設計は分からない!」 「そこを威張らないでよ」 リンはベンチから立ち上がり、空を見上げた。夕焼けはゆっくりと紫色へ変わり始めている。 「そろそろ帰ろうか」 「えー、もう?」 「もう暗くなるからね」 「じゃあ、帰りに何か派手なことしようぜ!」 「しないよ」 「少しくらい!」 「だめ」 「面白いこと!」 「今日は十分面白かったでしょ」 「俺はまだ笑い足りない!」 「じゃあ帰り道、今日のことを思い出して笑えばいいよ」 「一人で?」 「私も一緒に笑うから」 リンがそう言うと、消し太郎はしばらく黙った。やがて、浮いた手の片方を差し出す。 「じゃあ、帰るか」 リンはその手をそっと握った。硬い黒手袋越しでも、そこにある信頼ははっきり伝わる。 二人は並んで歩き出した。消し太郎はいつものように少し先へ行き、リンはその後ろから追いかける。けれど今日は、消し太郎もすぐに振り返った。 「リン、ちゃんといるか?」 「いるよ」 「よし。じゃあ、ゆっくり行く」 「珍しいね」 「俺だって、たまには合わせるんだよ」 「ありがとう」 「ただし、明日は派手なことするからな!」 「予定を勝手に決めないの」 「約束な!」 「約束じゃないってば」 夕暮れの道に、二人の声が重なっていく。 消し太郎にとって、月城リンは、自分を止めてくれる相手であり、どんな無茶にも最後まで付き合ってくれる最高の親友だった。面倒見がよく、優しく、少しだけ心配性。それでも、いざという時には誰より頼りになる。消し太郎は、そんなリンのことを心から信頼していた。 月城リンにとって、消し太郎は、騒がしくて、短気で、考えるより先に動いてしまう困った友人だった。それでも、誰より仲間思いで、どんな時も周囲を明るくする存在でもある。リンは、消し太郎がそばにいる限り、きっと退屈することはないと思っていた。 「ねえ、消し太郎」 「なんだ?」 「明日も一緒に出かけようね」 「もちろん! 今度はもっと面白い場所に行くぞ!」 「安全な場所ならね」 「努力する!」 「そこは『約束する』じゃないんだ」 「俺らしくていいだろ?」 「うん。消し太郎らしいよ」 二人の笑い声が、夜へ変わりかけた街に明るく響いた。