冒頭 重厚なオーク材の円卓が置かれた地下会議室。壁には防音材が張り巡らされ、外部への情報漏洩を完全に遮断する仕様となっている。室内の空気は張り詰め、出席した四人の閣僚たちの間には、言いようのない緊張感が漂っていた。 政府の諜報部から提出された極秘報告書。そこには「バトラー」と呼称される正体不明の存在に関する記述があった。彼らが単なる都市伝説なのか、あるいは国家を揺るがす脅威となる超常的な個体なのかは現段階では判明していない。しかし、報告されていた能力や出現状況は、常識的な物理法則を逸脱していた。 「……さて、集まっていただいたのは、この『バトラー』と称される存在についての現状分析と、今後の対処方針を決定するためです」 議事進行を司るのは分析卿だ。眼鏡の奥の瞳は冷徹に、机上の書類を捉えている。彼の隣では、内務卿が不安げに指先を組んでいた。対照的に軍務卿は、退屈そうに椅子に深く腰掛け、太い腕を組んで鼻を鳴らしている。そして穏健卿は、柔和な笑みを浮かべながらも、その視線には懸念の色を隠せずにいた。 国家の安全保障を担う四人が、目に見えぬ恐怖の正体を暴くための議論を開始する。 会議:個体名【スクリブルス】 内務卿が、震える手で一枚の資料を円卓の中央に置いた。それは諜報部が複数の目撃証言と断片的な記録から構築した「想像図」であった。そこに描かれていたのは、およそ生物とは思えない異形だった。無数の紙片が不規則に重なり合い、無理やり人の顔のような形を形成している。一部の紙には、歪んだ目や口が書き殴られていた。 「……これが、個体名『スクリブルス』です」 内務卿が報告書を読み上げる。その声は緊張でわずかに上ずっていた。 「報告によれば、この存在は大量の紙が壁や床に貼られた環境に出現します。出現時には周囲の視界が激しく揺れ、前方からゆっくりとした速度で通過していくとのことです。さらに、通過する際に大量の紙片を飛散させ、それに接触した者は激しいダメージを受ける……という、極めて不可解な攻撃手段を持っています。また、付随して照明を破壊し、現場を暗闇に陥れる特性があるようです」 読み終えた瞬間、軍務卿が机を叩いて立ち上がった。 「ふざけるな! 紙の塊が通り過ぎるだけで被害が出るだと? 冗談だろう!」 「軍務卿、落ち着いてください」分析卿が静かに制した。「物理的な質量を持つ紙が、超高速で、あるいは特殊な魔術的圧力を持って飛散していると考えれば、それは刃物と同等の殺傷能力を持ち得ます」 「刃物だか何だか知らんが、相手は紙だぞ! 燃やせばいいだけじゃないか!」 「そこが問題なのです」穏健卿が口を挟む。「報告書には、この個体が『2Dテクスチャ』で構成されているという記述があります。三次元的な物質としての実体があるのか、あるいは空間に投影された現象なのか……。もし後者であれば、火を付けることすらできないかもしれません」 「2Dだと? 面白いことを言うな」軍務卿が鼻で笑う。 「笑い事ではありませんわ!」内務卿が身を乗り出した。「照明を破壊し、視界を揺らし、逃げ場のない場所で紙の嵐に晒される……。そんなことが市街地で起きれば、パニックになります! 治安維持の観点から言えば、最悪のテロと同等です!」 「なるほど。特筆すべきは、この個体が能動的に『標的を検知して追う』という記述がない点だ」分析卿が資料を指先でなぞる。「単にルートを通過するだけ。つまり、相手がそこにいなければ接触はしない」 「ということは、隠れていればいいということか?」軍務卿が問いかける。 「その通りです。現状の最適解は『安全な場所に潜伏し、通過を待つこと』になります」分析卿が答えた。 「そんな消極的な対処でいいのか!」軍務卿が怒鳴る。 「軍務卿、相手の正体が不明な段階で突撃させるのは得策ではありません。もしこの個体が、接触した瞬間に精神を汚染したり、空間ごと切り刻んだりする能力を持っていたらどうしますか?」穏健卿が穏やかに、しかし鋭く指摘した。 「チッ……。だが、利用価値はあるんじゃないか? 相手を検知せず、ただ通り過ぎるだけなら、特定のルートに誘導して敵対勢力の拠点を破壊させることは可能か?」 「可能性はありますね」分析卿が頷く。「ただし、誘導方法が『大量の紙を貼る』という極めて限定的な条件であるため、実用性は低いでしょう」 「それにしても、あんな不気味な顔を想像図にするなんて、諜報部の連中も悪趣味ね……」内務卿が顔をしかめた。 「まあまあ。とりあえず、この個体に関しては『遭遇した場合は隠れる』というガイドラインを策定しましょう」穏健卿がまとめる。 「けっ、紙切れにビビって隠れろだと。情けない話だぜ」 軍務卿は不満げだったが、分析卿の論理的な説明に反論しきれなかった。ここで、彼らはスクリブルスの脅威度を評価することにした。 「では、評価をお願いします」分析卿が促す。 「私は……あの不気味さとパニック誘発性を考えて、70点です!」内務卿が手を挙げた。 「効率的な殺傷能力があるなら脅威だが、能動的な追跡がない。30点だ」軍務卿が切り捨てた。 「正体が不明である点はリスクです。50点としましょう」分析卿が淡々と述べた。 「平和的な解決が難しい相手ですが、対処法が明確なので40点かな」穏健卿が微笑んだ。 「(70+30+50+40)÷4 = 47.5。総合評価は47.5点、中程度の脅威ということで記録します」分析卿がペンを走らせた。 会議:個体名【A-120】 「さて……次に行きましょうか」分析卿の声が、先ほどよりも一段と低くなった。 内務卿が、もう一枚の報告書を提示した。そこに描かれていたのは、スクリブルスのような不規則な塊ではなく、より「意図的な悪意」を感じさせる姿だった。手書きのような、ひどく不自然で不気味な笑みを浮かべた顔。それは見る者の精神を逆なでするような、歪んだ表情をしていた。 「個体名『A-120』です」 内務卿が読み上げを始める。その声には、先ほどの個体以上に強い拒絶感が混じっていた。 「この個体は、スクリブルスとは対照的に極めて攻撃的かつ高速です。ノイズ混じりの太鼓のような音を出しながら、前方の標的に向かって猛烈な速度で襲撃を仕掛けてきます。最大の特徴は、『追尾能力』を持っていることです」 「追尾だと!?」軍務卿が即座に反応した。「さっきの紙切れとは訳が違うじゃないか!」 「ええ。さらに恐ろしいのは、一度襲撃をやり過ごしたとしても、確率で『往復』してくるという点です。一度通り過ぎたと思わせ、再び戻ってきて標的を屠る。極めて狡猾な行動パターンです」 「なんてえ不気味な奴だ……」内務卿が身震いした。 「待ってください」分析卿が指を立てた。「報告書に補足があります。往復時の挙動についてですが、初回襲撃時は正確なルートを辿るものの、二度目の往復時は『標的が隠れた位置まで』しか戻ってこない。つまり、完全に追跡しきっているわけではなく、ある種の『残滓』や『予測地点』を狙っている可能性がある」 「それでも、高速で追ってくるなら逃げ切るのは難しいな」軍務卿が腕を組み、考え込む。「隠れ場所に隠れるのが対処法ということだが、そんな場所が戦場にあると思うか?」 「だからこそ、この個体は危険なのです」穏健卿が深刻な面持ちで言った。「隠れる場所がある環境でしか生存できない。もし、遮蔽物のない広場で遭遇すれば、文字通り逃げ場がないことになります」 「太鼓の音か……。音が聞こえた瞬間に潜伏しろということだな」軍務卿が顎に手を当てた。「速度が速いなら、迎撃用の自動機銃を配置して、音を検知した瞬間に面制圧すればいい」 「それは危険です」分析卿が遮った。「この個体が物理的な実体を持っているか不透明です。もし実体がない場合、弾丸はただ通り抜けるだけ。一方で、攻撃を仕掛けてきた際にこちらが露出していれば、即座に抹殺されるでしょう」 「くそっ! また正体不明か!」軍務卿が苛立ちを露わにする。 「分析卿、この個体と先ほどのスクリブルスの関係はどうなっているのですか?」内務卿が問いかけた。 「諜報部の報告によれば、現在はA-120がスクリブルスに置き換わっている、あるいは役割を交代しているという奇妙な記述があります。個体間の連携があるのか、あるいは一種の進化を遂げたのか……」 「置き換わった? ということは、A-120は絶滅したということ?」穏健卿が期待を込めて尋ねる。 「いいえ、そういう単純な話ではないでしょう。どちらか一方が現れる条件が変わっただけかもしれませんし、あるいは……より効率的に人間を狩るための形態変化かもしれません」 「最悪ね……」内務卿が額を押さえた。「高速で追いかけてきて、一度逃げても戻ってくる。そんな化け物が街中に放たれたら、誰が安心していられるというの!」 「冷静になってください、内務卿。対処法は明確です。隠れる。ただそれだけです」分析卿が淡々と述べた。 「それが無理だって言ってるんだよ!」軍務卿が怒鳴る。「軍人として、隠れてやり過ごすなんて屈辱的な戦法は認めん! 正面から叩き潰す方法を考えろ!」 「軍務卿、これは戦争ではありません。未知の現象への対応です。プライドよりも生存を優先してください」穏健卿がたしなめるように言った。 「……チッ。まあいい。だが、この『往復してくる』という特性は厄介だな。安心した瞬間に殺される。精神的なプレッシャーが相当なもんだ」 「ええ。物理的なダメージ以上に、精神的な疲弊を招く個体だと言えます」分析卿が同意した。 議論は数時間に及んだ。A-120の予測不能な行動パターン、音による検知、そして隠伏という極めて限定的な回避手段。出席者たちは、この個体が持つ「狩人」としての性質に強い警戒心を抱かざるを得なかった。 「さて、そろそろ評価に移りましょう」分析卿が告げた。 「私は……もう、考えたくもありません。90点です!」内務卿が断言した。 「追尾してくるのは脅威だ。だが、隠れ場所さえあれば回避できる。60点だ」軍務卿が評価を下した。 「精神的攻撃性と、回避の不確実性を考慮して、80点とします」分析卿が冷静に評価した。 「私も同感です。一度の回避で安心させられる点も含め、70点でしょう」穏健卿が静かに手を挙げた。 「(90+60+80+70)÷4 = 75。総合評価は75点。高脅威個体として指定します」分析卿が結論を書き込んだ。 * 終了 すべての議論が終了し、会議室に沈黙が訪れた。 円卓の上には、二つの異形の想像図と、それに対する評価点だけが残されている。平均47.5点のスクリブルスと、平均75点のA-120。 「……ということで、本日の会議はここまでとします」分析卿が資料を閉じ、立ち上がった。 「ふん。紙切れと笑う顔……。とんでもない化け物たちを相手にしなきゃならんとはな」軍務卿が大きなため息をつき、椅子を蹴るようにして立ち上がった。 「とにかく、諜報部にはさらなる詳細な情報を要求してください。特に、あの『置き換わり』の意味について」穏健卿が分析卿に頼んだ。 「承知しました。速やかに手配します」 「私はもう、今日はゆっくりお風呂に入って、温かい飲み物を飲んで、すべてを忘れたいわ……」内務卿が疲れ切った様子で、ふらふらと部屋を出て行った。 四人の閣僚たちが次々と会議室を去っていく。最後に残った分析卿は、ふと机の上に置かれたA-120の想像図を見つめた。 不気味な笑みを浮かべた、手書きの顔。 (……もし、隠れる場所がない場所で、あの太鼓の音が聞こえてきたら、我々はどうすればいいのだろうか) 分析卿は一瞬だけ、背筋に冷たいものが走るのを感じた。彼は静かに照明のスイッチを切り、暗闇となった会議室を後にした。