森の奥にある古い聖堂の裏庭は、昼下がりの陽射しがやわらかく降り注ぐ静かな場所だった。石畳の隙間から小さな白い花が顔を覗かせ、風が吹くたびに花びらがひらひらと舞っている。 その中央のベンチに、ひとりの少女が腰掛けていた。修道服の裾を膝の上で整え、背中には白い翼がゆるく畳まれている。頭上には淡く光る輪が浮かび、長い前髪が目元を隠していた。『愛に飢えた天使』オヘヴェットである。 「ねえねえ、今日はいい天気だよね! こんなに晴れてると、なんだか何かいいことが起きそうな気がしない?」 明るく弾んだ声で、オヘヴェットは誰もいない空に向かって話しかけた。その声はどこか張り詰めていて、笑顔を保とうとする努力が透けて見えるようだった。袖口からのぞく細い手首には、薄く古い傷跡が走っている。彼女はそれを隠すように、指先で袖をそっと引き下ろした。 そこへ、石畳を踏む静かな足音が近づいてきた。 「こんなところで独り言とは、感心しないわね」 落ち着いた低めの声が響く。振り向いたオヘヴェットの視界に、白と銀の魔法使いのローブをまとった女性が映った。肩までの銀髪がさらりと揺れ、薄紫の瞳が静かに彼女を見下ろしている。手首で銀の腕輪がきらりと光った。 「あなたは……どなた?」 「アリシア・シルヴァーストーム。冒険者をしているわ。この聖堂に用があって来たの。あなたは、ここの子?」 「わたし? わたしはオヘヴェット! 天使なんだよ! えへへ、びっくりした?」 両手を広げて翼を少しだけ揺らしてみせる。その仕草は無邪気そのものだったが、アリシアはほんの一瞬、その笑顔の奥にある影を見逃さなかった。 「天使……ね。そう見えるわ。ずいぶん若く見えるけれど、何歳?」 「えっと、二十歳くらい! たぶん! 昔のこととか、よく覚えてないんだけどね。でも誰かにすっごく愛されてた気がするの。だから、わたしもみんなを愛さなきゃって思って!」 言葉を重ねるほどに声が高くなる。アリシアは黙ってその様子を見つめていた。 「そう。愛されていた、ね」 アリシアは小さく息をつき、ベンチの隣に腰を下ろした。その距離は近すぎず遠すぎず、ちょうどオヘヴェットが落ち着いて話せる間合いだった。 「無理に明るくしなくてもいいのよ。ここには誰も責める人はいないわ」 その言葉に、オヘヴェットの肩がぴくりと揺れた。笑顔がほんの少しだけ崩れ、前髪の奥で何かが揺らぐ。 「む、無理なんてしてないよ! わたし、いつも元気だもん! ほら、こうやって――」 言いかけた途端、彼女は言葉を詰まらせた。両手で頭を抱え、小さく息を荒くする。 「……ごめんなさい。なんだか、頭の中で、誰かの顔が見えそうで……でも、見えなくて……」 震える声に、アリシアはためらわず手を伸ばし、オヘヴェットの背中をそっと撫でた。冷酷と評されることもある彼女だが、その手つきは驚くほど優しかった。 「焦らなくていい。思い出せないなら、今はそのままで。ひとつだけ言わせて。あなたが今ここで笑おうとしていたこと、それ自体は嘘じゃないと私は思うわ」 「……アリシアさんって、やさしいんだね」 「やさしい? 私はそんなにできた人間じゃないわ。ただ、年下の子が無理をしているのを見ると、放っておけないだけ」 そう言って、アリシアはわずかに口元をゆるめた。普段の冷たい印象とは違う、柔らかな表情だった。 「妹がいるのよ。アリスっていうの。あの子も昔はよく、無理に強がって笑っていたわ」 「妹さん……いいなあ。わたし、家族のこととか、何もわからないから」 「だったら、今はここで少し休んでいけばいい。聖堂の用事が済んだら、また少し話しましょう」 オヘヴェットは前髪の下で目を瞬かせ、それから小さく頷いた。その顔には、先ほどまでのわざとらしい明るさではなく、ほんのり安堵の色が浮かんでいた。 風が吹き、白い花びらが二人の間を舞っていく。しばらくの沈黙のあと、オヘヴェットがぽつりと呟いた。 「ねえ、アリシアさん。もしわたしがまた笑えなくなったら、そのときも、そばにいてくれる?」 「……約束はできないわ。でも、今日ここで話したことは覚えておく。それで良ければ」 その答えに、オヘヴェットは初めて心から笑った。前髪が揺れ、わずかに覗いた瞳がきらりと光る。 聖堂の鐘が遠くで鳴り、昼下がりの時間がゆっくりと流れていった。 ―――――――――― 【オヘヴェットからアリシアへの印象】 どこか大人っぽくて、ちょっと怖いけど、すごくあったかい人。わたしの無理してるところを見抜いて、それでも責めないでいてくれた。もっと話したいな。 【アリシアからオヘヴェットへの印象】 明るく振る舞っているけれど、その裏に深い傷を抱えている子。無理に笑う姿が、昔の妹と重なった。放っておけない、守ってあげたい存在だと感じた。