灰色の空から、絶え間なく黒い雪のような灰が降り注いでいた。そこは、かつて文明が栄え、今はただ因果の澱みだけが溜まった「境界の廃都」。 【交錯せぬ因果】辺生コウは、ボロボロの旅人装束を風に靡かせ、静かに歩いていた。彼の足音は、奇妙なほどに世界に響かない。彼がそこに在るということは、世界にとって「計算外」であることを意味する。彼を縛る運命はなく、彼を導く導線もない。ただ、冷徹な瞳だけが、目的とする「特異点」を捉えていた。 だが、その静寂は、不意に襲いかかった異形の群れによって破られた。空間を裂いて現れたのは、形を持たぬ肉塊の化身たち。彼らは本能的に、この世界に不調和をもたらすコウを排除しようと、どす黒い触手を突き出す。 「……煩いな」 コウが小さく呟き、ただ手をかざす。触手の一撃が彼の胸を貫いた――はずだった。だが、結果は異なる。貫かれたという事実は、彼という存在に「交錯」せず、霧のように消え去った。不利益という結果が、彼に届かない。コウは無表情のまま、触手の核を指先で弾いた。ただの軽い衝撃。しかし、その「結果」だけが鋭利な刃となって化身を内部から崩壊させた。 その時だ。背後から、空間を強制的に塗り替えるほどの圧倒的な「正解」が突き抜けた。 ――ドォォォォン!! 凄まじい衝撃波と共に、コウを囲んでいた残りの化身たちが、一瞬にして圧殺された。まるで世界そのものが「ここに敵がいるから消すべきだ」と判断し、物理法則を無視して質量を集中させたかのような攻撃。 煙の中から現れたのは、汚れ一つない白いスーツに身を包んだ青年。堂々たる佇まいで、不敵な笑みを浮かべている。足然シュウであった。 「おやおや。随分と不器用な戦い方をするね。世界を敵に回して歩くのは疲れないかい?」 コウは視線を向け、冷たく言い放った。 「……誰だ。僕の領域に足を踏み入れるな」 「領域? ははっ、面白いことを言う。この世界は僕の庭のようなものだ。僕が歩けば道ができ、僕が望めば勝利が舞い降りる。それがこの世界の『正解』なんだよ」 二人の間に、張り詰めた緊張感が走る。コウは本能的に理解した。目の前の男は、自分とは正反対の性質を持っている。自分は世界から切り離された「非交錯」の存在。対してこの男は、世界のすべてを自分へと引き寄せる「交錯」の権化だ。 互いに警戒し、指先一つ、視線一つに殺意を込める。触れ合えば、互いの因果が激突し、この廃都ごと消滅しかねない。探り合いが続く中、突然、地響きと共に空が割れた。 「ギ…………アアアアアアア!!」 絶叫と共に現れたのは、この地の最深部に潜んでいた強敵――【因果を喰らう虚無の龍】。山ほどもある巨躯は半透明で、周囲の物質を、そして「時間」さえも飲み込みながら実体化していく。龍がひとたび咆哮すれば、周囲の空間がガラスのように砕け散り、存在していたはずの建物が「最初からなかったこと」に書き換えられていく。 龍の目的は、この世界に残されたわずかな因果の断片を喰らい尽くし、完全なる無に回帰すること。それが達成されれば、この次元は消滅する。 コウとシュウは、同時に龍を見た。二人とも、奴を討つことが目的だった。 「……最悪のタイミングで、最悪の客人が来たな」 コウが溜息をつく。シュウは肩をすくめ、スーツの襟を正した。 「全くだ。僕の完璧なエスコートに泥を塗るなんて、礼儀知らずな龍だね。……さて、辺生くんと言ったかな。君の能力は興味深いが、今の僕たちにとって、あの大食漢を放置するのは得策じゃない」 「……同意する。今は、力を合わせるだけだな」 冷徹な青年と、不敗の貴公子。決して交わるはずのない二つの因果が、一時的な共闘という不自然な形を結んだ。 戦闘が始まった。龍が巨大な爪を振り下ろす。その一撃は、空間ごとすべてを圧壊させる絶対的な破壊。しかし、コウがその爪の正面に立ちはだかった。 ガギィィィィン!! 衝撃波が周囲を吹き飛ばすが、コウだけは微動だにしない。爪が彼の身体に触れた瞬間、その「破壊」という結果が、コウという存在に交錯することを拒絶した。どれほど強大な力であっても、コウにとっては「自分に影響を及ぼさない」という結論が先にある。 「今だ、シュウ!」 コウの合図に合わせ、シュウが軽やかに跳躍した。彼は武器さえ持っていない。ただ、空中で指をパチンと鳴らしただけだ。 だが、その瞬間。空から落雷が降り注ぎ、地からは鋭い岩牙が突き出し、同時に龍の鱗の隙間に謎の亀裂が走った。偶然などではない。シュウが指を鳴らしたという「矮小な行動」が、世界というシステムを通じて「龍への致命的な複合攻撃」という結果へと強制的に交錯したのだ。 「ははっ! 見たかい? 世界はいつだって僕の味方なんだよ!」 龍は激昂し、口から「因果崩壊の波動」を放った。触れたものすべてを無に帰す、回避不能の広域消滅攻撃。逃げ場はない。だが、二人は逃げなかった。 コウが前に出る。波動が彼を飲み込むが、彼はただ歩き続ける。消滅という結果が彼に交錯しないため、彼は「消えない」という絶対的な事実としてそこに在り続ける。そして、その波動の真っ只中を突き抜け、龍の懐へと潜り込んだ。 「君の不敗は、僕の不在の前では意味をなさない……!」 コウが龍の心臓部に手を触れる。その瞬間、コウのスキルが発動した。龍が持つ「不死」や「再生」という優位性、そして「すべてを喰らう」という存在基盤そのものを、結果から切り離す。「龍が勝利する」という結末を、完全に消去した。 そこへ、シュウの追撃が重なる。シュウが軽く拳を突き出した。その一撃は、本来なら龍の硬い鱗に弾かれる程度の威力だっただろう。しかし、世界がそれを拒まない。いや、世界がそれを「必殺の一撃」へと書き換えた。 「チェックメイトだ。すべては僕の為に、そして僕の手の中で」 【交錯せぬ因果】による防御と無効化。そして【交錯する因果】による絶対的な命中と勝利。 矛盾する二つの力が、龍という一つの標的に対して完璧な調和を持って叩き込まれた。龍は断末魔を上げる間もなく、その存在基盤を喪失し、光の粒子となって霧散していった。 静寂が戻る。灰の雨は止み、雲の切れ間から鈍い光が差し込んでいた。 二人は背中を向け合い、ゆっくりと距離を取る。先ほどまでの共闘が嘘のように、再び冷ややかな空気が二人を包み込んだ。 「ふむ。意外と使い勝手のいい能力だね。もし君が僕の味方なら、世界を統べるのも容易かっただろうに」 シュウが軽快に笑いながら言う。コウはボロボロの装束を払い、振り返らずに答えた。 「……お断りだ。君のような、世界に愛されすぎた人間は反吐が出る」 「手厳しいな。まあいい、そういうところも嫌いじゃないよ」 コウは歩き出す。その足取りは相変わらず、世界に痕跡を残さない。 「君のことは、忘れるまで忘れないよ。……次に会うときは、どちらの因果が正しいか、白黒つけようか」 「いいだろう。楽しみに待っているよ、辺生くん」 交錯せぬ青年と、交錯させる青年。二人の道は再び分かたれた。しかし、この廃都の土壌には、決して消えることのない「奇妙な共闘」という記憶が、一瞬だけ刻まれていた。