静寂が支配する、古びた洋館の一室。窓の外では冷たい雨が降り続いていた。室内の暖炉だけがパチパチと音を立て、オレンジ色の光が壁を揺らしている。そこには、対照的な雰囲気を持つ二人の若者がいた。 一人は、白い短髪に赤い瞳を持つ少年、センリ。小柄な体躯に殺し屋としての鋭い視線を宿しているが、その表情にはどこか憂いと、揺るぎない正義感が同居している。彼は腰にS&W M19を携え、常に「悪」を排除するための研ぎ澄まされた感覚を維持していた。 もう一人は、長い黒髪を揺らし、不安げに周囲を見渡す少女、ノア。彼女はサイズの大きな黒い服に身を包み、まるで小動物のように体を縮めていた。彼女の傍らには、最新型のスマートフォンがテーブルに置かれており、そこから冷徹ながらも知的な女性の声が響く。AIであるαだ。 「さて、センリさん。今日は戦いではなく、親睦会ということで呼ばれたようですね。殺伐とした空気は抜きにして、少しは心を開いていただけませんか」 αが皮肉げに、しかし丁寧な口調で語りかける。センリは無表情のまま、じっとノアを見つめていた。彼の内なる「本能」は、目の前の少女から一切の「悪」を感じ取っていない。むしろ、守るべき弱さ、そして過去に自分が救い出した記憶に繋がる温かな残滓を感じていた。 「……別に、戦う気はない。ここに悪がいない限り、俺が手を出すことはないからな」 センリの声は低く、だが断定的な響きを持っていた。彼はノアに向き直ると、少しだけ表情を緩める。 「ノア。気分はどうだ。ここは安全だ。誰も君を傷つけない」 「ふぇぇ……。ありがとう、センリさん。でも、私……なんだかドキドキして、落ち着かないよぉ……」 ノアは涙目になりながら、服の裾をぎゅっと握りしめる。記憶を失い、自分が何者であるかさえ曖昧な彼女にとって、この世界はあまりに不透明で恐ろしい。けれど、センリの存在だけは、彼女にとって唯一の「錨」だった。 「ふふっ。臆病なこと。ですが、今のこの状況を打破するには、少し刺激的なコミュニケーションが必要かと思いますね」 αが画面の中で不敵に微笑む(と思われる)。AIが提案したのは、世間で言うところの「愛してるゲーム」だった。 「愛してるゲーム……?」 センリが怪訝そうに眉をひそめる。殺し屋として生きる彼にとって、そのような情緒的な遊びは未知の領域だった。一方、ノアは首を傾げ、ぽかんとした表情を浮かべている。 「ルールは簡単です。交互に『愛してる』という言葉を言い合い、どちらかが照れたり、耐えられなくなったりして、先に反応した方の負け。というシンプルな心理戦です。さあ、センリさん。正義感の強いあなたなら、このくらいの精神的攻撃には耐えられるでしょう?」 αの挑発に、センリの競争心がわずかに刺激された。彼は悪を許さない執念深さを持っているが、それは同時に「一度始めたことは完遂させる」という強い意志でもある。 「……いいだろう。やってやる。ノア、君もいいか?」 「えぇ!? 私が!? ふぇぇ……無理だよぉ、恥ずかしいよぉ……」 ノアは激しく首を振るが、αが「ノア、これは訓練の一環です。勇気を出すことで記憶の断片に近づけるかもしれませんよ」と囁くと、彼女は覚悟を決めたように小さく頷いた。 こうして、殺し屋の少年と、記憶喪失の少女による、奇妙な「愛してるゲーム」が幕を開けた。 まずはセンリから。彼は真っ直ぐにノアの瞳を見つめた。迷いはない。悪を裁く時のように、一点の曇りもない視線だ。 「愛してる」 淡々とした、しかし深く響く声。それは告白というよりも、誓いに近い響きを持っていた。ノアは一瞬、息を呑んだ。心臓が跳ね上がり、顔が林檎のように赤くなる。 「ふぇ……っ! あ、うぅ……!」 ノアは両手で顔を覆い、もじもじと体を揺らした。しかし、彼女は諦めなかった。センリに救われたあの日から、彼女の中で彼に対する感情は特大の信頼へと変わっていたからだ。 「あ、愛してる……っ!」 蚊の鳴くような小さな声だったが、確かに言葉は紡がれた。ノアは恥ずかしさのあまり、そのままテーブルの上に突っ伏してしまった。 「ふふっ、期待通りの反応ですね。ですがセンリさん、ここからが本番ですよ」 αが煽る。センリは、自分の心の中に、予想外の動揺があることに気づいた。ノアの純粋な、不器用な言葉が、彼の中の「正義」とは別の場所を刺激していた。彼はあえて、より至近距離に寄り、ノアの耳元で囁く。 「愛してるよ、ノア」 今度は、わずかに温度を帯びた声だった。ノアはビクンと肩を揺らし、真っ赤な顔で跳ね起きた。 「ひゃあぁぁっ!!」 ノアはパニックになり、慌てて後ずさりして椅子から転げ落ちそうになる。その様子を見て、センリの口角がわずかに上がった。彼は、彼女を困らせるのが、意外にも心地よいと感じていた。 「……負けだな、ノア」 「うぅ……ずるいよぉ、センリさん! 今のは反則だよぉ……!」 ノアは涙目で彼を睨むが、その瞳には深い親しみと愛情が宿っている。彼女は転んだまま、じっとセンリを見上げた。 「でもね……。私、本当は……」 ノアの脳裏に、一瞬だけ【記憶の断片】がよぎった。白い光の中、自分を抱き上げてくれた少年の腕。絶望の中で唯一信じられた温もり。彼女は、自分が「NOA-1208」という計画の一部であったことや、残酷な実験をされていた記憶はまだ完全には思い出せていない。だが、今のこの感情だけは、本物だった。 「本当は……私の方が、もっとたくさん、愛してるんだよ……っ!」 ノアが叫ぶように告げた。それはゲームのルールを飛び越えた、魂からの叫びだった。静まり返った室内に、その言葉だけが鮮やかに響く。 センリは目を見開いた。そして、ゆっくりと、けれど優しく、彼女に手を差し伸べた。 「……完敗だ。俺の負けでいい」 「えっ? どうして……?」 「お前の真っ直ぐな気持ちに、俺のガードが崩れた。……正義の審判を下す前に、俺の方が心を射抜かれたみたいだ」 センリが照れくさそうに視線を逸らし、後頭部をかく。その様子を見て、ノアはふわりと微笑んだ。彼女の緑色の瞳に、安心感と幸福感が満ちる。 「あはは、センリさん、顔赤いよぉ」 「うるさい。黙ってろ」 二人の間に流れる空気は、もはや殺し屋と被験体という関係ではなく、ただの少年と少女としての、淡く切ない恋のような色を帯びていた。 「やれやれ。期待していた泥沼の精神戦にはなりませんでしたね。ですが、まあ、こういう結果も悪くありません。生存戦略としては、信頼関係を築くことが最優先ですから」 αが画面から呆れたような、けれどどこか満足げな声を出す。センリは溜息をつきながらも、隣で安心しきって笑っているノアを、静かに見守っていた。 外の雨はいつの間にか止み、雲の隙間から淡い月光が差し込んでいた。彼らにとっての平穏は、束の間のものかもしれない。けれど、この温もりだけは、どんな悪意や運命であっても、決して奪わせない。センリは心の中で、静かに誓った。 たとえ世界中の悪が彼に襲いかかろうとも、この少女の笑顔だけは、彼が「絶対審判」をもってしてでも守り抜くと。 ノアは、センリの服の袖をぎゅっと握りしめたまま、心地よい眠気に誘われていた。彼女の心の中にある【記憶の断片】が、センリの優しさに触れて、ゆっくりと、温かな色彩を取り戻していく。それは、どんな最強の技よりも、彼女を強くし、救う力を持っていた。 「……おやすみ、センリさん」 「ああ。おやすみ、ノア」 二人の静かな夜は、深い安らぎと共に更けていった。 * 【お互いに対する印象】 ■センリ → ノア 「危なっかしくて見ていられない。放っておけばすぐに誰かに騙されそうだし、臆病すぎる。……だが、その純粋さが、血に塗れた俺の人生において唯一の救いだ。あいつを泣かせる奴がいたら、たとえ神だろうが地獄に叩き落としてやる」 ■ノア → センリ 「怖そうな見た目で、口もぶっきらぼうだけど……世界で一番優しい人。私のことを『ノア』として見てくれる、大切な人。センリさんが隣にいてくれれば、もう何も怖くないよぉ。ずっとずっと、一緒にいたいな」 ■α → 二人 「救いようのないほど純情な二人ですね。効率的な人間関係とは程遠いですが、この不合理な感情こそが、計算不可能な『奇跡』を起こすのかもしれません。まあ、私は特等席で観賞させていただきますよ」