参加者 山江待機(やまえ・たいき) 生徒会書記の女性学生。極端な暑がりで、本人の周囲は常に冷気に包まれている。かつて一週間にわたり世界を氷河期にした前歴を持つ。 能力:【未知の氷結】 過程を飛ばし、結果だけを成立させる氷結能力。時空や概念、能力や権能を含め、対象が格上か格下かを問わず凍結させる。氷結は解除も改変もできず、過去や未来に逃れることもできない。 到達記録 塔は上へ進む意志が続く限り果てしなく続く。以下は、今回の探索で確認できた階層と地上からの高さである。山江待機はポータルによる帰還を選び、塔の完全踏破には至っていない。 { 128階:《灰冠の王》を討伐、勝利。ポータルから帰還 } 最終到達階層数: 128階 地上からの高さ: 384.6㎞(国際宇宙ステーションの平均高度約400㎞に近い高さ) --- 第128階――灰冠の王 第一章 帰還の鐘が鳴る前に 百二十階のポータルをくぐったとき、山江待機は一度、帰るべきかどうかを考えた。 扉の向こうには、塔の外の風があった。生徒会室の窓から吹き込むような、乾いた秋の風。地上の匂いがした。けれど、彼女は手にした記録帳を開き、百二十階までの戦闘記録を確かめると、静かにページを閉じた。 「もう少しだけ」 そう言ってポータルを背にした。 塔の階層は、ひとつ上がるごとにごくわずかずつ性質を変えていた。床の石の密度、空気の重さ、魔物の反応速度。その差は一階ごとなら誤差と呼べるほど小さい。しかし、誤差は積み重なり、やがて生き物の常識を押し流す。 百二十一階では、石の甲羅を持つ大蜥蜴が現れた。山江が視線を向けるより早く、その全身が白く凍り、砕けずに静止した。 百二十二階では、影の中を泳ぐ魚の群れが足元から襲った。彼女が息を吐くと、影ごと凍りついた。 百二十三階では、音を餌にする魔物がいた。山江の靴音を追って壁から飛び出したところを、音もろとも氷に封じられた。 それからも、階ごとに異なる種族の魔物が現れた。羽のあるもの、甲殻をまとうもの、形を持たぬもの。いずれも彼女の前では、戦いが始まるより先に停止した。 百二十七階を終えたとき、記録帳には短い文字が並んでいた。 ――敵、凍結。進行可能。 その次の階段の上には、赤黒い光が漏れていた。 山江は、少し眉を寄せた。 「暑そうなところね」 彼女が一段目に足をかけると、背後でポータルの鐘がかすかに鳴った。帰還を促す合図だった。だが、彼女は振り返らなかった。 第二章 灰の玉座 百二十八階は、塔の中とは思えないほど広かった。 天井は遠く、黒い雲が渦を巻いている。床は灰色の岩で覆われ、ところどころに赤い筋が走っていた。溶岩ではない。熱そのものが地面の下で脈打っているようだった。 中央には、灰を積み上げて造った玉座がある。その前に、一体の魔物が立っていた。 人に似た胴体。しかし、肩から先は黒い翼の骨格でできており、頭部には王冠のような灰色の角が広がっている。胸の奥では、赤い光が脈打っていた。足元の灰は、彼が動くたびに文字の形を作り、すぐに崩れていく。 その姿を見た瞬間、階層の空気が変わった。 山江の周囲に生じた冷気が、広間の壁に触れる。いつもなら、そこから白い霜が広がるはずだった。しかし今度は、霜が伸びる前に灰へと戻った。 魔物は山江を見下ろした。 「ここまで来た者よ。名を告げよ」 「山江待機。生徒会書記です」 魔物は笑った。笑い声は、焼けた紙を裂く音に似ていた。 「ならば記録せよ。お前がここで終わることを」 灰が舞い上がり、床に二つの名が刻まれた。 {【灰冠の王】《灰翼魔族》ヴァルガ・エン・ノクス} ネームドモンスター。記録帳の端に、赤い警告文字が浮かんだ。名を持つ魔物は、通常の階層主よりも強い力や希少な報酬を持つことが多い。 山江は記録帳を閉じた。 「じゃあ、手短にお願いします。帰りのポータルが閉じる前に戻りたいので」 王の胸の光が強くなった。 第三章 先に届くもの ヴァルガが翼を広げた。 灰色の羽根が無数に散り、空中で黒い刃へ変わる。刃は山江を囲むように展開し、逃げ道を塞いだ。次の瞬間、すべてが一斉に彼女へ向かって飛来する。 それらは届かなかった。 刃が彼女の周囲に入った、その結果だけが先に凍った。 空中に浮かぶ黒い刃は、飛ぶ途中の姿のまま白く覆われた。続いて、放たれた力の流れが凍結する。攻撃を成立させるはずだった魔力も、刃を進ませる法則も、広間に刻まれた灰の文字も、ひとつずつ動きを失った。 ヴァルガは眉をひそめた。 「我が灰は、あらゆる終わりから蘇る」 胸の赤い光が砕け、砕けた欠片が灰となって広がる。灰は王の姿を再構成しようと、過去から未来へ、あらゆる時間の隙間を満たしていった。 山江はその様子を見た。 そして、凍らせた。 灰は再生の過程に入る前に停止した。過去の灰も、未来に散ろうとした灰も、王の名に結びついた力も、すべて等しく氷の中に封じられる。 それでもヴァルガは、玉座の前から動かなかった。 王冠の角が、最後の光を放つ。彼は階層そのものを揺さぶり、壁と床の境界を曖昧にした。広間が崩れ始める。天井に走る裂け目の向こうには、階段ではなく、深い暗闇が覗いていた。 「塔は終わらぬ。お前の道も、ここで終わる」 「塔は終わらないかもしれません」山江は答えた。「でも、あなたはここで止まります」 彼女の言葉が終わる前に、王の影が凍った。 氷は影から本体へ広がり、翼を、胸を、王冠を覆った。ヴァルガが最後に放とうとした力は、形を得ることができない。叫びは喉を離れる前に静止し、赤い光は輝いたまま動きを止めた。 山江の氷結は、熱に押し返されなかった。灰に侵されず、再生にも覆されない。 広間に残ったのは、玉座の前に立つ氷像と、静かな山江だけだった。 第四章 灰冠の遺物 戦闘の終わりを告げるように、床の文字が一斉に消えた。 ネームドモンスターの氷像は崩れず、広間の中央に残った。その足元で、灰色の光がひとつ瞬いた。 山江が拾い上げたのは、黒い金属で縁取られた小さな指輪だった。中央には、砕けた灰冠の一片が埋め込まれている。触れても熱はなく、冷たさだけが指先に静かに伝わった。 特別報酬:灰冠の停止輪 ヴァルガ・エン・ノクスの討伐によって得られた希少なネームド遺物。装着者の周囲で起きた異常な再生や暴走を、短時間だけ抑制する。使用回数は一日に一度。効果は強力だが、山江の【未知の氷結】を強めるものではなく、氷結の性質を変えることもない。指輪に宿った灰冠の力は、凍結したまま二度と目覚めない。 彼女は指輪を記録帳の袋にしまった。 広間の奥では、百二十九階へ続く階段が口を開いていた。段の先からは、まだ見ぬ魔物の気配が漂ってくる。塔はさらに上へ続いている。次の階層にも、その次にも、異なる敵と、より厳しい戦いが待つだろう。 しかし、帰還の鐘が再び鳴った。 山江は一度だけ階段を見上げた。それから、踵を返した。 「今日はここまで。暑くなる前に帰りましょう」 凍りついた王を背に、彼女は百二十階のポータルへ向かった。塔は彼女の背後で終わることなく、さらに上へ伸び続ける。彼女は制覇者ではない。ただ、今回の登攀で、百二十八階の名持つ王を退け、帰還を選んだ参加者だった。 --- 最高到達階層: 128階※勝利(【灰冠の王】《灰翼魔族》ヴァルガ・エン・ノクスを討伐し、ポータルで帰還) 地上からの距離: 384.6㎞※国際宇宙ステーションの平均高度約400㎞に近い高さ 特別報酬: 灰冠の停止輪(異常な再生や暴走を一日一度、短時間抑制する希少な遺物) 参加者の感想:「百二十八階の王は、少し暑かったです。指輪は記録しておきます。次に登るかどうかは、生徒会の仕事が落ち着いてから考えます」