戦場は見渡す限り何もない無人の荒野だった。風が砂を運び、空は鈍い灰色に沈んでいる。その中央に、片眼鏡をかけローブを羽織った青年、光陀蒼真が静かに立っていた。彼の前には三人の挑戦者が並ぶ。互いに協力関係を結んだ、生徒会の面々である。 先陣を切ったのは生徒会長、家田柱だった。いつもニコニコとした笑顔で、彼は一歩前に出る。胃に穴が空くほどの苦労を抱えてきた男だが、今日は奇妙なほど穏やかな表情をしていた。 「光陀さん、はじめまして。せっかくの戦いですから、まずは距離感を大事にしてお話ししましょうか。そうですね、私の学校の全校朝会のことからお話ししますと……」 蒼真は片眼鏡の奥で目を細めた。相手の意図を読み取ろうとした刹那、家田は話し続けながら、知らず知らずのうちに能力【一定の距離】を発動させていた。彼と蒼真の間の距離は、あらゆる力の作用をもってしても一定を保ち、どちらの攻撃も届かず、近づくことも離れることもできない。過去も未来も設定も例外なく、距離は固定されていた。 蒼真は即座に思考を巡らせた。ここで無理に動けば、距離そのものが戦いの成立を阻むことになる。彼は一つ息を吐き、冷静に行動を選んだ。日常的な動作から意味を抽出する象徴顕現魔術の発動である。片眼鏡を指で押し上げるという何気ない仕草から、「確認」という一般的な意味を取得し、伝承に記された道具を召喚する準備を整えた。 「ふむ、距離を一定にする力ですか。それは興味深い」 蒼真は穏やかに頷き、発動テンプレートを静かに唱えた。 「『確認』より、『ユミル』の核を召喚する。」 召喚されたのは、北欧神話に記された原初の巨人ユミルの核であった。『古エッダ』に語られるところによれば、その身体から世界が形作られたという。描写の参考とした伝承的事実は、「ユミルの肉体より大地が、骨より山々が、血より海が生じた」という創世の記述である。ユミルの核は、距離を世界の骨格として捉え、その固定を解く力を持つとされる。 核が脈打つと、家田の張り巡らせた一定の距離に、わずかな揺らぎが生じた。だが家田は笑顔を崩さず、なおも話を続ける。 「ええ、ですから私の話は少々長くなりがちでして……」 話は延々と続いた。全校朝会の苦労、胃に空いた穴の話、次期生徒会長の候補選びの経緯。蒼真は次第に、その長さが精神を削る力を持つことに気づき始めていた。蒼真は経験を楽しむ性質を持つが、これほど長い話が続けば、いかな天才といえども消耗は避けられない。 そのときである。阿礼有紗が、清楚な微笑みを浮かべて一歩進み出た。生徒会副会長、裏番として多くの異能力生徒を暴力で黙らせてきた彼女である。 「会長のお話、いつも長くて大変ですよね。でも、その距離感は少しだけ、私が詰めて差し上げます」 彼女の言葉と同時に、謎の圧力が場を満たした。蒼真のユミルの核も、家田の距離の能力も、理や権能、正体不明の力すらも無視され、止まることなく作用していく。有紗の笑みを帯びた顔が拳を振り上げ、蒼真の顔面へと迫った。【お仕置きの拳】。どんな抵抗も彼女の前では意味を成さない。 蒼真は防御の構えを取ったが、拳は確実に彼を捉え、その体は大きく後方へふっ飛ばされた。地面を転がり、砂煙が舞う。 蒼真はよろめきながら立ち上がり、片眼鏡を整えた。だが、戦いの流れはまだ終わってはいなかった。そこへ生徒会書記、山江待機が静かに歩み寄る。とても暑がりな彼女は、既に周囲の空気を冷やし始めていた。 「暑いから、少し凍ってもらいますね」 彼女の声と同時に、何の前触れもなく世界が止まった。過程は飛ばされ、結果だけが現れる。蒼真の魔術の詠唱も、ユミルの核の脈動も、ローブの裾の揺れさえも、瞬時に氷漬けにされた。時空や概念すら凍る【未知の氷結】の前では、格上も格下もない。氷結は過去や未来ごと凍り、リセットも効かず、抗う術は存在しなかった。 蒼真は凍りついた体の中で、思考だけは冷静に働いていた。彼は、自身の魔術が確かに止められたことを理解する。だが、その結論にたどり着く前に、彼の意識は氷の中へと沈んでいった。 戦場には再び静寂が訪れた。家田の長話による精神的疲労、有紗の拳の衝撃、山江の氷結。三者三様の力が重なり、光陀蒼真は戦意を失った。 勝者は、挑戦者チームである。家田柱、阿礼有紗、山江待機の三人が、互いに視線を交わし、小さく頷き合った。無人の荒野に、ようやく風の音だけが戻ってきた。