富士の嶺に、静寂を切り裂く不吉な風が吹いていた。雲海が足元に広がり、神々しい頂が空を突き刺すこの地が、今、最悪の戦場へと変貌しようとしていた。 そこに立つ女は、風景に不釣り合いなほどに妖艶で、そして残酷なまでに美しかった。 ロマ・フォウン。羽学連盟・浪漫部隊の隊長。背中まで届く長い銀髪が風に舞い、黄金色の瞳が獲物を探して細められる。緑色の軍服は身体のラインを強調し、豊かな胸の曲線が軍服の生地を押し上げていた。頭に戴いた黒色の軍帽が、彼女の絶世の美貌にストイックな知性を添えている。 「あら……。わざわざこんな高いところまで、私を殺しに来てくれたなんて。本当に熱心なこと」 ロマ・フォウンは口元に余裕のある笑みを浮かべ、扇子で軽く口元を隠した。その声は甘く、耳を撫でるように心地よいが、同時に底知れぬ傲慢さと冷酷さを孕んでいる。 対峙するのは、二人の少女。一人は、血に染まった黒ローブを纏い、冷徹な視線を向ける迷泉蘭霧。もう一人は、金色の髪と瞳を輝かせ、尊大な態度で杖を構えるアイシャ。彼女たちは闇の組織に雇われ、あるいは自らの信念に基づき、この「浪漫の化身」を討つために集った。 「……殺しますよ。魔女の名の下に」 蘭霧が低く、感情を削ぎ落とした声で呟く。彼女の胸元で揺れる十字架のネックレスが、憎悪に反応してどす黒い色に染まっていた。彼女は徹底していた。ロマ・フォウンという怪物の特性、戦歴、そしてその能力。復讐者の意地が、彼女を異常なまでの準備へと駆り立てていた。 「ふふん! この私、アイシャが相手ならば、貴様の運命は既に絶望に塗り潰されているわ! 跪きなさい、下等なる存在よ!」 アイシャは強気な口調で言い放つが、その瞳には微かな緊張が走っていた。しかし、彼女が掲げる『創造ト希望ノ杖』と『破壊ト絶望ノ杖』から放たれる魔力は本物であり、空間を歪ませるほどの圧を放っていた。 ロマ・フォウンはくすくすと笑った。彼女にとって、この二人は「排除すべき敵」であると同時に、退屈な旅路の「心地よい玩具」に過ぎなかった。 「いいわ。その若さと情熱、そして絶望。全部私に捧げなさい。ゆっくりと、丁寧に壊してあげるから」 戦闘の火蓋は、蘭霧の先制攻撃によって切られた。 「――ペルディ・エラー」 蘭霧の視線がロマ・フォウンを捉えた瞬間、固有魔法【迷い】が発動する。それは物理的な距離を無効化し、対象が目的地に「辿り着けない」ようにする因果の歪み。ロマ・フォウンが前進しようとしても、あるいは攻撃を繰り出そうとしても、その意図は空間の迷宮に迷い込み、決して標的に届かないはずだった。 しかし、ロマ・フォウンは止まらなかった。彼女は優雅に一歩を踏み出し、まるでそこにあるはずの壁など存在しないかのように、蘭霧の至近距離まで詰め寄った。 「あら? 何か奇妙な感覚があるけれど……。でも、私の『浪漫』は、そんな小さな迷路に囚われるほど安っぽくないのよ」 「……っ!?」 蘭霧の顔に驚愕が走る。対策を練り、確実に捉えたはずの魔法。だが、ロマ・フォウンの存在感そのものが、世界の理を塗り替えていた。圧倒的な格の違い。それは才能や努力で埋まるものではなく、根源的な「強さ」の差であった。 同時に、アイシャが空を舞い、究極の神眼【悠久ト永遠ノ運命】を展開する。ロマ・フォウンの弱点、魔力の流れ、そして回避ルートを瞬時に見抜き、二本の杖から極光と極闇の複合魔法を撃ち出した。 「滅びなさい! 絶望の奔流に呑まれよ!」 黒と白の奔流が富士山の山肌を削り取りながら、ロマ・フォウンへと殺到する。地を揺らす爆音。山頂付近が白光に包まれ、周囲の岩石が粉砕され、蒸発していく。 だが、煙の中から現れたロマ・フォウンは、軍服に埃一つ付着していなかった。彼女はただ、右手を軽くかざしていただけだった。 「ふふ。可愛い攻撃ね。でも、私の軍服が汚れたら、あなたたちの命で十分には償えないわよ?」 ロマ・フォウンの瞳に冷酷な光が宿る。彼女は余裕を崩さず、ゆっくりと右掌を前方に向けた。 「さて。少しだけお掃除をしましょうか」 彼女が掌を突き出した瞬間、大気が悲鳴を上げた。それは単なる魔法ではない。純粋な破壊の権現。大量の魔力が凝縮され、目に見えるほどの高密度な光球となって掌に形成される。 『魔力砲』 ロマ・フォウンは、周囲の地形への配慮から、出力を極限まで抑えて放った。それでも、放出された光線は一瞬にして周囲の空間を消し飛ばした。空気が焼かれ、真空の回廊が出来上がる。 「避けて!」 蘭霧が叫び、アイシャを突き飛ばす。二人は超人的な反応速度で横へと跳んだが、それでも『魔力砲』の余波だけで、彼らが立っていた地面が文字通り「消失」した。クレーターなどという生易しいものではない。そこにあった物質が、原子レベルで消滅し、なだらかな穴となって抉れていた。 「なっ……!? 何なの、今の攻撃は!? 防御魔法を張っていたのに、貫通したどころか、概念ごと消された……!?」 アイシャが戦慄する。彼女の【現実逃避】というパッシブスキルでさえ、この圧倒的な消滅の波動の前では意味をなさなかった。触れれば消える。防ごうとすれば、その防御壁ごと消える。逃げようとしても、その軌道さえも焼き尽くされる。 「あら、まだ生きていたの。いい根性ね」 ロマ・フォウンは軽やかにステップを踏み、再び二人へと近づく。彼女の表情は、慈愛に満ちた聖母のように穏やかでありながら、その眼差しは冷徹な処刑人のそれであった。 蘭霧は絶望に震えながらも、ナイフを握りしめた。彼女のネックレスは、もはやどす黒い紫色に変色し、激しい憎悪と恐怖を同時に示していた。 「……私は、殺すまで諦めない。あなたのような化け物に、屈してなるものか!」 蘭霧は【迷い】を重ね掛けし、自身の移動軌道を不可視化させながら、超高速の刺突を繰り出した。同時にアイシャも、持てる全ての魔力を注ぎ込み、最後の一撃を準備する。 「これこそが私の究極! 世界を終焉させる絶望の光よ! 【世界ヲ滅セシ終極ノ断罪】!!」 次元を裂くほどの極光と極闇が、一点に収束し、ロマ・フォウンへと突き刺さる。蘭霧のナイフと、アイシャの究極魔法。二人の参加者が人生の全てを懸けた、最大最強の一撃。 しかし、ロマ・フォウンはそれを、ただの「風」として受け流した。 彼女は軽く指を弾き、笑った。 「いいわ。本当に、素晴らしい健闘だったわ。あなたたちの執念、憎しみ、そして空っぽな自尊心。全てまとめて、最高の賛辞を贈ってあげる」 ロマ・フォウンの背後に、巨大な魔力の円環が出現した。先ほどまでの『魔力砲』とは比較にならない。空が赤く染まり、富士山の山頂が震え、地底から不気味な地鳴りが響き渡る。大気そのものが質量を持って押し潰されるような、絶望的な圧力。 「これが私の『浪漫』の極致。……消えなさい」 『超魔力砲』 放たれたのは、光ですらなかった。それは「消滅」そのものが線となって走った。回避は不可能。防御は無意味。運命さえも上書きする絶対的な消去。 「あ……」 蘭霧が何かを言いかけたが、その声は届かなかった。アイシャが絶叫しようとしたが、口が開くより先に光に飲み込まれた。 爆発はなかった。ただ、静寂があった。 超魔力砲が通過した軌道上の全てが、文字通り「無」に帰した。二人の参加者が立っていた場所、彼女たちが纏っていた衣服、握っていた武器、そして彼女たちの魂に至るまで。一切の痕跡を残さず、完全に消し飛ばされた。 後に残ったのは、不自然に円形に消滅した山頂の地表と、風に舞う銀色の髪をなびかせ、満足げに微笑む一人の絶世の美女だけだった。 「ふふ。いい運動になったわ。さて、そろそろ帰りましょうか」 ロマ・フォウンは軍帽を軽く直し、優雅な足取りで戦場を後にした。彼女の背後には、もはや誰もいなかった。ただ、静まり返った富士の嶺に、冷たい風だけが吹き抜けていた。 【登場人物生死】 ロマ・フォウン:生存 迷泉 蘭霧:死亡(消滅) アイシャ:死亡(消滅)