昼とも夜ともつかぬ、裏市場。 巨大な地下都市のように広がるその場所では、天井から吊られた無数のランタンが赤や青の光を投げ、昼夜の区別を奪っていた。情報屋が耳打ちをし、賞金稼ぎが獲物の顔写真を売り、怪しい商人が瓶詰めの魔獣や禁制薬、呪われた武器を並べている。客の怒号、値切り声、獣の唸り、鉄貨の音が絶え間なく響いていた。 山神累音は、黒髪を背中に流し、目立たぬ外套を羽織って市場を歩いていた。 表向きは学生であり、風紀委員長。だが裏では自警団として、この市場に流れ込んだ違法武器の取引を探っている。 気配遮断を働かせていた彼女に気づく者は少ない。銀色の瞳だけが、薄暗い通路の中で冷静に光っていた。 目的は、数日前から出回っている違法な魔導銃の出所を探ることだった。 だが、露店の間を抜けたとき、彼女の足が止まった。 寿司屋の屋台の前に、小柄な女が立っていた。 黒髪。青い瞳。肌けた和服。身長は低く、輪郭はどこか朧げで、まるで蜃気楼が人の形を取っているようだった。 その腰には、異様に長く鋭い重太刀が吊られている。 朧月芒華。 裏市場では、剣を抜いた瞬間に何人もの賞金稼ぎを置き去りにした怪剣士として知られている。 累音が視線を逸らそうとした、そのときだった。 「……ふむ。そこの狼娘」 芒華が、寿司を一貫つまみながら振り返った。 「妾の刀を盗み見たであろう」 「見ただけ。あなたの私物に興味はないわ」 「嘘じゃな」 芒華の青い瞳が細まった。 「妾は嘘を見抜く。そなた、刀ではなく、その刀を持つ妾自身を観察しておった」 累音は無表情のまま返した。 「自意識過剰ね」 「ほう?」 芒華の口元から笑みが消えた。 「妾を見下したか」 「別に。けれど、その刀を市場の真ん中で振り回すなら、周囲の客に迷惑をかけないことね」 その一言が、芒華の癇に障った。 彼女は突然、手にしていた寿司を屋台の主人へ押しつけた。 「気に入らぬ」 「何が?」 「その目、その口、その態度。正義の味方を気取ったような顔で、妾を子供扱いするとは不届き千万」 「あなたが勝手に怒っているだけでしょう」 「左様。だから喧嘩を売る」 芒華はセツナの柄に手をかけた。 「一刀、交えようかの?」 周囲の客が一斉に道を空けた。露店商たちは商品を抱えて後退し、何人かの賞金稼ぎは面白そうに観客席を作り始める。 累音はため息をついた。 「ここで? 商品を壊したら弁償する気はあるの?」 「壊した者が勝者ならば、敗者に請求すればよい」 「つまり、払う気はないのね」 「勝てばよいだけじゃ」 「……本当に面倒な人」 累音は外套の内側からリボルバーを抜いた。 銃口が芒華へ向く。 「最後に言うわ。退いて」 「それは降参かの?」 「警告よ」 「ならば妾は、挑発と受け取ろう」 芒華が踏み込んだ。 姿が消えた。 いや、正確には消えたように見えただけだった。 和能『霊秒』。 彼女の身体が絶大な速度で動き、目に残る残像が三つ、四つと市場の通路に増える。屋台の布が切り裂かれ、吊り下げられていた薬瓶が宙へ跳ねた。 累音の【攻撃予想】が働く。 未来の映像が断片的に浮かぶ。 右。低い斬撃。次に足元。背後から喉元。 的中率は七割。読み違える可能性もある。 累音は右へ飛んだ。 セツナが彼女の頬をかすめ、後方の金属柱を斜めに切断した。柱が軋み、看板が落ちる。 「遅い」 芒華が背後から囁いた。 だが累音は振り返らず、肘を後方へ叩き込んだ。 身体能力を【パワーUP】で一〇〇〇倍に引き上げた一撃だった。 芒華の身体が、まるで薄い煙のようにぶれた。 拳は本体を捉えず、残像を砕く。 「蜃気楼……」 累音が呟く。 「ようやく理解したかの」 芒華は魚屋の屋根の上に立っていた。 「妾の身体は朧げでな。真正面から斬ったと思うても、実体は半歩ずれておる」 「なら、半歩ずらした先を撃つ」 累音はリボルバーを連射した。 銃弾が空中へ飛び、しかし芒華の姿は消える。 一発目は残像を撃ち抜いた。 二発目は空の瓶を破壊した。 三発目が、芒華の袖を掠めた。 芒華が目を見開く。 「見えておるのか?」 「予想しているだけ」 「七割程度の予想で、妾を撃つとは豪胆よのう」 「あなたの速度は速い。でも、速いなら進める場所は限られる」 累音は周囲を見た。 左右に屋台。頭上には看板と縄。地面には割れた瓶と油。前方には人だかり。芒華の動線は、完全な自由ではない。 累音は一発、天井から吊られていた鎖を撃った。 鎖が切れ、大きな薬品箱が落下する。 芒華は即座に跳んだ。だがその着地点を、累音は読んでいた。 日本刀を抜き、横薙ぎに振る。 芒華はセツナで受けた。 鉄と鉄がぶつかり、火花が散る。 「ほう、銃だけではないか」 「自警団は何でも使うの」 「ならば妾も、遠慮はせぬ」 芒華が刀を押し返した。 速度が乗るほど威力が増すセツナの一撃が、累音の刀を弾き飛ばす。 累音は後方へ跳びながら、空中でリボルバーを撃つ。芒華は身を捻って避けたが、弾丸は背後の屋台に当たり、積まれていた胡椒粉の袋が破裂した。 白い粉が爆発のように舞い上がる。 「ぬっ……!」 視界が塞がれ、観客たちが咳き込む。 累音は気配遮断を強め、煙の中へ消えた。 芒華は目を細める。 「姿を隠したつもりかの?」 彼女は音もなく刀を振った。 胡椒粉の雲が一文字に裂ける。 しかし、その先にいたのは累音ではなく、吊り下げられた布人形だった。 累音はすでに露店の屋根を駆け上がり、パルクールの要領で梁へ移っている。 そこで特殊スナイパーライフル、L96を構えた。 市場は狭い。射線上には観客がいる。普通に撃てば、弾丸は誰かを巻き込む。 だから累音は、撃つ場所を選んだ。 芒華そのものではなく、彼女の足元にある木箱へ照準する。 引き金を引いた。 銃弾が箱を貫き、中から大量の鉄球が転がり出る。 芒華は足場を奪われた。だが、倒れない。セツナを地面に突き立て、傾いた身体を支える。 「小細工か」 「戦術よ」 「では、これはどうじゃ!」 芒華がセツナを抜いた。 霊秒によって加速した彼女の身体が、鉄球の転がる床を疾走する。速度が上がるほど、セツナの威力は増していく。 突進の軌道上にいた客たちが悲鳴を上げた。 累音は即座に屋根から飛び降りた。彼女の身体能力ならば、十数メートルの落下も問題ではない。 だが、芒華の斬撃は未来予測を越えた。 累音の左肩が斬られる。 浅い。しかし血が流れた。 「七割を外したかの」 「……そういうこと」 「ならば、残り三割を引けば勝てる」 「それは私も同じよ」 累音は地面に転がり、薬売りの屋台の裏へ滑り込んだ。 芒華が追撃しようとした瞬間、累音が屋台の下から手を伸ばし、足首を掴んだ。 【パワーUP】による握力。 芒華の身体が引き倒される。 しかし彼女は倒れながらも、セツナを逆手に持ち替えた。 累音の首へ向かって、刃が走る。 累音は首を傾けた。刃が髪を数本切る。 次の瞬間、彼女は芒華の懐へ入り、掌底を叩き込んだ。 能力によって一〇〇〇倍にされた衝撃は、普通なら人間を屋台ごと吹き飛ばすほどだった。 しかし累音には、攻撃・魔法・物理攻撃を九割軽減する防御がある。自分の力に耐えながら、手加減はしていた。 それでも芒華の身体は屋台を突き抜け、向かいの壁へ叩きつけられた。 観客がどよめく。 「これは……愉快じゃな」 芒華は壁から滑り落ち、笑っていた。 「久々に、骨のある相手じゃ」 「あなた、怒って喧嘩を売ったくせに楽しんでるでしょう」 「怒りと楽しみは両立するものじゃ。人生、二律背反よ」 芒華が立ち上がる。 そのとき、市場の奥から大きな鐘の音が響いた。 状況が変わった。 「おいおい、誰かと思えば!」 屋根の上から男が叫んだ。 黒い外套を着た賞金稼ぎが二人、姿を現す。片方は大斧、もう片方は連射式魔導銃を持っている。 「山神累音、賞金首。朧月芒華、危険剣士。二人まとめて捕まえれば、報酬は倍だ!」 「妾まで賞金首とは、身に覚えがないのう」 「裏市場で暴れた時点で十分だろうが!」 賞金稼ぎ二人が同時に飛び降りた。 ランダムイベント――賞金稼ぎが二人に賞金を懸けて乱入したのだ。 観客たちはさらに後退し、屋台の主人たちは叫び声を上げる。戦場は一気に三方向へ広がった。 魔導銃の弾丸が累音へ向けて放たれる。 攻撃予想が働いた。 だが、相手が増えたことで未来の分岐が複雑になる。七割の精度は、決して絶対ではない。 累音は左へ跳んだ。弾丸が背後の瓶を撃ち抜き、青い煙が噴き出す。 大斧の男は芒華へ迫った。 「小娘、まずはお前からだ!」 「小娘とな。無礼千万」 芒華がセツナを抜く。 大斧が振り下ろされる。芒華は真正面から受け止めず、刃の腹を滑らせるように斧を逸らした。 斧が地面にめり込んだ瞬間、芒華は男の肩へ足をかけ、背後へ回る。 「遅い」 セツナの柄が男の後頭部を打った。 男はよろめいたが、倒れない。 「なら、これはどうだ!」 大斧を横薙ぎに振る。 芒華は跳んだ。だが斧は屋台を巻き込み、木材と鉄鍋が空中へ飛び散る。 累音はその破片を見た。 そして、魔導銃の男が再び照準を合わせていることに気づく。 彼女はL96を構えた。 通常弾を撃つのではない。 特殊弾に雷魔法を混ぜる。 魔力が大きく削られ、腕に重い疲労が走った。だが弾丸は青白い雷をまとい、魔導銃の男の武器へ直撃する。 雷が銃身から流れ込み、男の手を痺れさせた。 同時に、魔導銃が暴発。弾丸は天井へ逸れ、吊り下げられていた巨大な照明具を落とした。 照明具が地面に落下し、火花が散る。 市場の明かりが半分消え、視界が暗闇に沈んだ。 累音は気配遮断を使い、暗闇の中で位置を変える。 芒華もまた、朧げな身体を活かして残像を広げた。 大斧の男は四方に現れる芒華の姿に惑わされ、何度も空を斬る。 「どこだ、どこにいる!」 「そこじゃ」 芒華は男の懐へ滑り込み、セツナの柄で腹を打ち抜いた。 男の身体が折れ、膝をつく。 魔導銃の男は闇の中で慌てて弾を込め直していた。 累音はその手元を見ず、音だけで位置を推測した。 銃声。 弾丸が放たれる。 累音は身を捻った。弾丸は脇腹を掠め、彼女の防御を削りながら後ろの壁に埋まった。 痛みはある。だが止まらない。 彼女はリボルバーを抜き、床に落ちていた金属皿へ向けて撃った。 弾丸が皿を跳ね、角度を変えて魔導銃の男の腕へ当たる。 男が呻いた。 「跳弾か……!」 「市場では、まっすぐ撃つ必要はないの」 累音は男の背後に回り、銃床で気絶させた。 残る大斧の男も、芒華の刃が首元で止まる。 「降参せい」 「くそっ……!」 「返事が遅い」 芒華は刃を一寸だけ進めた。 男は斧を捨てた。 観客たちが息を呑む。 だが、戦いは終わっていなかった。 累音が振り返った瞬間、芒華の姿が目の前に現れた。 「さて、続きをしようかの」 「賞金稼ぎを片付けたら、また喧嘩?」 「喧嘩とはそういうものじゃろ」 「付き合いきれない」 「ならば逃げるか?」 累音の銀眼が冷たく光る。 「誰が?」 芒華が笑った。 「よい返事じゃ」 二人は同時に踏み込んだ。 累音はリボルバーを撃ち、芒華はセツナで弾丸を斬る。弾丸の軌道が刃によって逸らされ、背後の看板へ突き刺さった。 累音はその瞬間を利用し、看板を蹴って跳躍する。空中で日本刀を抜き、上から斬り下ろした。 芒華は受けた。 和剛鉄のセツナと、日本刀が噛み合う。 力では累音が上。しかし芒華は速度と角度で勝る。 刃が滑り、累音の手首へ迫る。 累音は刀を捨て、芒華の手首を掴んだ。 パワーUPによる圧倒的な握力。 芒華の腕が止まる。 「捕まえた」 「捕まったのう」 だが芒華の身体が薄くなる。 累音の手の中に残ったのは、蜃気楼の残像だった。 「……またそれ」 「妾の身体は、触れたと思うても触れておらぬ」 声が背後から響く。 累音は振り向いた。 しかし、攻撃予想が示した未来は三つに分かれた。 一つ目、喉への突き。 二つ目、足を斬る低い薙ぎ。 三つ目、セツナを投げて牽制し、屋根へ逃げる。 どれが本物か、読み切れない。 的中率七割。 それでも累音は賭けた。 彼女はあえて前へ出た。 芒華の突きが肩を貫く軌道を取る。 累音はそれを受けながら、左手で刃の側面を掴んだ。 防御によって致命傷を避け、痛みを無視する。 「なにっ」 累音は芒華の間合いへ踏み込み、額をぶつけた。 さらに足を払う。 芒華の身体が浮いた。 そこへ累音は、雷魔法弾を一発だけ装填したリボルバーを押し当てた。 撃てば勝てる。 だが魔力の消耗は激しく、残りの魔力回復薬も五本のうち三本まで減っている。雷をまとった弾丸は、九割軽減の防御を持つ相手にも一時的な麻痺を与えられる可能性があった。 引き金に指をかける。 「妾を撃つかの?」 芒華は倒れた姿勢のまま、楽しそうに笑った。 「撃つわ」 「嘘じゃな」 「……」 「そなたは、勝つためなら撃てる。じゃが殺す気はない」 累音は黙った。 その一瞬の逡巡を、芒華は見逃さなかった。 セツナが累音の手元から滑り落ちた。 武器が、主の意志を読んだように動いたのだ。 刹那の金属が、累音のリボルバーを弾き飛ばす。 同時に芒華は転がり、距離を取った。 「武器にまで見抜かれたのう」 「……余計なことを」 「武器とは最高の相棒じゃ。主の心くらい知っておる」 累音は苦笑した。 「なら、あなたの刀はあなたより正直ね」 「何じゃと?」 「あなたは楽しんでいる。でも刀は、私を試している」 芒華はセツナを見た。 その刃は、累音へ向いている。殺意ではない。戦いを続けろという意思に近かった。 「……なるほど。そなた、なかなか面白いことを言う」 芒華の口元が再び笑みを形作る。 「では、最後の一合といこう」 市場はすでに大混乱だった。割れた瓶から薬液が流れ、油が床を濡らし、壊れた屋台の布が炎に包まれている。観客たちは逃げ道を求めて押し合い、賞金稼ぎは倒れ、商人たちは商品を抱えて走っていた。 累音は周囲を見渡した。 芒華の速度は、直線で最大になる。ならば直線を奪う。 彼女は市場の中央にあった巨大な魚槽へ向けてL96を構えた。 「何をしておる?」 「地形を変える」 引き金。 弾丸が魚槽を破壊した。 大量の水が市場中央へ流れ出し、床の油と混ざる。足場が滑りやすくなり、木箱や鉄鍋が水流に押されて動き始めた。 芒華は目を細めた。 「妾の速度を殺すつもりか」 「正確には、速度を使う場所を選ばせる」 累音は雷魔法弾をL96へ装填した。 魔力が一気に吸われる。視界の端が暗くなった。 魔力回復薬を一本飲む。喉を焼くような苦味が広がり、雷の力が銃身へ集まる。 芒華が動いた。 水と油の混じった床を、彼女はあえて疾走する。足を滑らせながらも霊秒で姿勢を補正し、加速する。 セツナが最大の威力を得る軌道。 一撃で決めるつもりだ。 累音の攻撃予想が未来を映す。 斬撃。頭上。 外れる可能性は三割。 累音は逃げなかった。 L96を構えたまま、芒華の真正面に立つ。 「一刀、交えようかの!」 「それ、私の台詞じゃないでしょう」 「細事じゃ!」 芒華が跳んだ。 セツナが振り下ろされる。 累音は発砲した。 雷魔法弾が、芒華ではなく彼女の足元へ着弾する。 水に広がった雷が、床全体を青白く走った。 しかし累音の防御は魔法を九割軽減する。自分自身への感電を抑えながら、雷を水場の一部だけへ流していた。 芒華の身体が一瞬硬直する。 霊秒の速度が、ほんのわずかに乱れた。 その一瞬を、累音の攻撃予想が捉えた。 刀が落ちてくる。 累音は半歩だけ踏み込んだ。 セツナの刃が肩を裂く。だが致命傷ではない。 累音は芒華の懐へ入り、両腕で彼女の胴を抱えた。 そして、パワーUPで一〇〇〇倍にされた脚力を使い、床へ叩きつける。 衝撃で水と油が跳ね、壊れた木箱が転がり、周囲の観客が一斉に悲鳴を上げた。 芒華の身体が蜃気楼のように揺らぐ。 だが今回は、消えなかった。 雷によって、実体の位置が固定されていたのだ。 累音は倒れた芒華の喉元へ日本刀を突きつける。 「勝負あり」 市場が静まり返った。 芒華は数秒間、空を見た。 そして、愉快そうに笑い始めた。 「天晴れ。奇策妙計、実に見事じゃ」 「降参する?」 「うむ。妾の負けじゃ」 芒華は素直に両手を上げた。 しかし累音が刀を引くと、芒華は落ちていたセツナへ手を伸ばした。 累音の目が鋭くなる。 「まだやる気?」 「いや、寿司が食べたい」 「……は?」 「先ほどの一貫、勝負の途中で味が分からなんだ。あの屋台、まだ残っておるかの?」 累音は呆れた顔をした。 周囲では、賞金稼ぎが呻き、商人たちが損害を数え、観客たちが二人の戦いを口々に語っている。壊れた魚槽から水が流れ続け、消えた照明の代わりに雷の残光が市場を照らしていた。 累音はリボルバーを拾い、芒華へ向けた。 「次に私を狼娘って呼んだら、今度は本当に撃つ」 芒華は立ち上がり、服についた水を払った。 「では、狼ちゃん」 「……」 「おお、怖い顔じゃ。妾は好きじゃぞ」 「あなた、本当に反省してる?」 「敗北は反省するものではなく、次の勝利へ活かすものじゃ」 芒華は壊れかけた寿司屋台へ歩いていく。 累音はその背中を見ながら、深く息を吐いた。 目的の魔導銃の取引情報は、乱戦の中で逃げた商人が持っていた。しかし市場の各所に残った武器箱、賞金稼ぎの装備、そして芒華の戦い方から、十分な手がかりは得られている。 勝負には勝った。 だが、あの剣士はまだ本気のすべてを見せていない。 それが分かるからこそ、累音は警戒を解けなかった。 「のう、狼ちゃん。次は寿司を賭けて再戦せぬか?」 「断る」 「即答とは無粋じゃのう」 「あなたと関わると、市場が毎回壊れるもの」 「では、場所を変えればよい」 芒華は振り返り、青い瞳を細めた。 「また会おうぞ、山神累音」 累音は銃を下ろさず、冷たく答えた。 「次は、あなたが喧嘩を売る前に逃げるから」 「逃げられると思うておるのか?」 「予測的中率は七割よ」 「ならば三割に賭けよう」 二人の間に、短い沈黙が落ちた。 そして芒華は笑い、累音は小さくため息をついた。 裏市場は再び喧騒を取り戻し始めていた。 けれどその日から、壊れた魚槽の跡と、雷で黒く焦げた床は、裏市場の名物になったという。 そして賞金稼ぎたちの間では、ひそかにこう語られた。 ――狼の少女と朧月の剣士。どちらも敵に回すな。 片方は未来を読み、片方は未来そのものより速く斬る。 ただし、二人を同時に怒らせた市場は、必ず半壊する。