空虚を駆ける汎用列車『Void Train』の食堂車。現実の法則が通用しないこの空間において、唯一の「現実的な贅沢」がそこに鎮座していた。冷蔵庫の奥底に、ぽつんとひとつだけ残されたプリンである。 車内のスピーカーから、列車自身の意志が鳴り響いた。 「……乗客諸君。冷蔵庫にプリンがひとつ発見された。誰がこれを摂取すべきか、民主的に決定していただきたい」 そのアナウンスが終わるか終わらないかのうちに、緑色の巨大な人魚の姿をした男が、王冠を揺らして身を乗り出した。七つの海の支配者、ネプチューン王である。 「わしが食べるのが当然であろう! このわしは海の王であり、絶対的な統治者。最高権力者が最高のデザートを食す。これこそが世界の理というものよ!」 威厳に満ちた声だが、その表情には隠しきれない食欲が滲んでいた。しかし、その隣では小さな、あまりに小さなドラゴン、シェンクリーム【リウ】が、ぽてっとした体で首をかしげている。 「……りう、おなかすいた。りうは小さいから、たくさん食べなきゃ大きくならないもん。それに、りうはいいにおいがするから、プリンに合うと思うな」 リウの言葉に、ネプチューン王が鼻で笑う。 「ふん、小娘の理屈よ。権威こそが優先されるべきだ!」 そこへ、一羽の小さなオウムが、小刻みに体を揺らしながら輪に加わった。オウムガエシである。彼はわざとらしく、何もわからないふりをして「クェッ? クェッ?」と首を傾げながら、隙あらばプリンの方へと足を進めていた。 「おい、オウム! 貴様、こっそり盗もうとするな!」 ネプチューン王の怒声に、オウムガエシはすばしっこく飛び上がり、スピーカーから流れるVoid Trainの声を完璧に模倣して言い放った。 『……乗客諸君。誰がこれを摂取すべきか、民主的に決定していただきたい』 「貴様っ! わしの言葉を真似して議論を混乱させるな!」 混沌とする車内。Void Trainは冷静に、スピーカーから提案を投げかけた。 「議論が平行線であるため、条件を提示しよう。このプリンを食べるに相応しい者は、『この旅において最も精神的な疲労を負っているか』、あるいは『そのプリンを食べることで、集団に最大の利益をもたらす者』であるべきではないか」 「精神的疲労だと!? わしはこの巨大な体で、常に海の秩序を維持する重圧を背負っておるわ!」 ネプチューン王が力説する。しかし、リウが静かに、しかし鋭い「看破」の力で王の心中を覗き込んだ。 「……おじさま、本当はさっきから『甘いものが食べたい』ってことしか考えてないでしょ。嘘ついてるのがみえるよ」 「なっ……!?」 王が絶句する中、オウムガエシがまたしても「クェッ!」と鳴き、リウの可愛らしい姿を指し示した。どうやらオウムは、王を出し抜いてリウに譲ることで、自分への警戒を解かせようとしている(あるいは単に王が怒っているのが面白かった)ようだった。 Void Trainが結論を下す。 「判定。ネプチューン王は私欲を権威で塗り潰そうとした。オウムガエシは不誠実な策を弄した。対してシェンクリーム【リウ】は、純粋な欲求を提示し、かつ他者の心理を看破する能力を以て議論の停滞を打破した。よって、プリンを食べる権利をリウに譲与する」 「な、なんと! わしが負けたというのか!」 ネプチューン王は激しく悔しがり、三叉槍を床に叩きつけたが、根が優しいため、リウが期待に目を輝かせているのを見て、やがて「ふん、まあよい。子供に譲るのが王の器というものよ」と、無理やり納得したふりをした。 リウは嬉しそうにプリンを抱え、小さな口で丁寧に、一口ずつ味わい始めた。 ぷるん、とした弾力。濃厚なカスタードの甘みが、小さなドラゴンの口いっぱいに広がる。リウの体から、いつにも増してさらに「美味しそうなシュークリーム」の香りが漂い出し、車内を満たした。 「……んんー! とってもおいしい! 幸せの味がするよ!」 リウは満足げに、しっぽをパタパタと振った。 それを見たネプチューン王は、「……くっ、いいにおいだ。わしも一口欲しかったわ」と、切ない表情で髭をなでた。オウムガエシは、計画が失敗したことに気づき、悔しそうに「クェーッ!」と叫んで、自分の足先をせっなくつついていた。