薄曇りの午後、アルセリア連邦技術院の中庭には、ひんやりとした風が吹き抜けていた。石畳の上で乾いた落ち葉がくるくると回り、遠くの研究棟からは機械の低い唸りが絶えず響いている。その中庭の東屋に、一人の女が場違いなほど気楽な様子で腰を下ろしていた。 褐色の肌に、纏め上げた金髪。胸元を大胆に開いたジャケットからは鍛え抜かれた体つきが覗き、指抜きグローブをはめた手で、彼女は焼き菓子を一つつまんでいる。蒼い眼は鋭いが、その表情は退屈そうでもあり、愉快そうでもあった。 「よう、ここの空気は悪くないね。高い建物ばかりで、アタシは気に入ったよ」 そう声をかけたのはユースレイス。スラム育ちの傭兵で、今日は連邦からの依頼を受けて、この技術院に呼ばれていた。 そこへ、礼服を隙なく着こなした長身の男が歩み寄ってくる。白髪の混じったくすんだ金髪に、片眼鏡。エルヴィン・ヴァルケンである。懐には小さな工具の柄が覗いていた。 「……そこは私の休憩用の東屋なのですが。まあ、座るのは勝手でしょう。傭兵の方というのは、どこでも遠慮がないものですね」 「へえ、辛辣じゃないか。アンタが例の総裁さんかい?」 「ええ、ご想像の通り、凡才のエルヴィン・ヴァルケンです。自分で凡才と名乗るのは癪ですが、事実ですので」 ユースレイスは菓子をもう一つ口に放り込み、からからと笑った。 「凡才ねえ。アタシは、この国の偉い連中がどれだけ天才を名乗っても、結局は無駄を削ぎ落とした連中ばかりだと思ってたんだ。アンタみたいに自分を低く言うのは、珍しいと思うよ」 「無駄、ですか。あなたの口からその言葉が出ると、妙に説得力がありますね。では伺いましょう、傭兵のあなたが、無駄を尊ぶ理由を」 「そりゃあ、スラムじゃ生きるだけで精一杯だったからさ。食うもの、寝る場所、明日の傷の手当て。余計なことを考える暇なんてなかった。だからこそ、今こうして何にも追われずに座ってる時間が、一番の贅沢だと思ってんだよ。人生の余白ってやつさ。そこに本当の自分の輝きが出るってね」 エルヴィンは片眼鏡を指で押し上げ、わずかに口元を歪めた。 「……哲学としては、悪くない。ただし、余白を享受するには、まず余白を生み出せるだけの手段が要ります。手段を持ちながらの怠惰と、手段がないゆえの怠惰は、似て非なるものです」 「おっと、説教かい?」 「いえ、事実の指摘です。私は権威を盲信することを嫌いますが、それと同じく、己の怠惰を美化することも好みません」 「ははっ、言うね。でも、アンタの言い分も分かるよ。アタシは拳ひとつで成り上がったけど、今でも本気になるとどこかで必死になっちまう。『また必死になっちまったよ』って、後で苦笑いすることさえある。理想の人生は遠いね」 ユースレイスの言葉に、エルヴィンは初めて柔らかな視線を向けた。 「それは、正直な感想ですね。では逆に伺いましょう。あなたのような方に、我々の研究は何か役に立つのでしょうか。私は今、地方工房への設備投資や基礎教育の普及に力を入れています。技術が一部の者の独占物になってしまえば、結局は誰かの『無駄を許さない』支配が始まるからです」 「へえ、技術を誰でも扱えるようにするってことかい。そいつは、スラムの子どもたちにとっちゃ、でかい話だね。昔のアタシだって、ちゃんとした道具と教えがあれば、もっと楽に生きられたかもしれない」 「そうです。だからこそ、私は優れた技術を『誰もが扱える形』へ作り直したい。製造費を抑え、修理が容易で、使う者が自然と学べる設計にする。私の発明の多くは、突出した性能こそありませんが、そうした点では自負があります」 「アンタ、自分は凡才だって言うわりに、やってることは随分と大きいじゃないか」 「凡才だからこそ、誰もが使える形を考えられるのですよ。天才の作品は、えてして天才にしか扱えませんから」 ユースレイスは大きく息をつき、東屋の柱にもたれかかった。 「なるほどね。アンタみたいな凡才が、もっと増えりゃいいと思うよ。アタシはそういうやつの方が、よっぽど好きだ」 「それは、光栄と受け取っておきましょう。ですが、傭兵に好かれても、研究費は増えませんがね」 「ははっ、そこは辛辣だね! まあいいや、せっかくだから、そのうち工房ってやつを見せてもらおうじゃないか。アタシがどこまで無駄を楽しめるか、試してやるよ」 「やれやれ、退屈で手間のかかる見学になりそうですね。ですが、道具の扱いに興味があるのなら、歓迎しましょう」 風が吹き、落ち葉が再び石畳を転がっていく。二人の間には、互いに認め合うような、しかし少しも甘くはない空気が流れていた。 そして、会話を終えた後、ユースレイスは東屋の手すりに腰掛けながら、ふと呟いた。 「あの男、口は悪いが、中身は真っ直ぐだね。無駄を削る仕事ばかりしてるくせに、人の余白を一番わかってるのは、ああいう奴なのかもしれない」 一方のエルヴィンは、工具を懐にしまいながら、去り際に一瞬だけ振り返った。 「……豪快で、余裕ばかりの女だと思っていましたが、語る言葉には芯がある。無駄を尊ぶというのも、ただの怠惰ではなさそうです。もっとも、次に会う時までに、その余白が役に立つかどうかは、私の方で見極めさせていただきますよ」 それぞれが相手に抱いた印象は、薄曇りの空の下で静かに形を持ち始めていた。 【お互いへの印象】 ユースレイス:「口は辛辣だけど、言ってることは筋が通ってる。凡才を名乗るのが癪ってのも、案外本音なんだろうね。気に入ったよ」 エルヴィン:「豪快な見た目に反して、言葉の端々に芯がある女だ。無駄を尊ぶ哲学も、単なる怠惰ではなさそうだ。次は工房でその余白の使い方を見せてもらおう」