昼下がりの日常組のギルドは、依頼がないとき特有の、妙に静かな騒がしさに包まれていた。 静かだというのに、机の上には工具や魔道具の部品が散乱し、床には誰が脱いだのか分からない靴下が転がり、壁際では月狼が昼寝をしている。窓辺ではルーシャが帳簿を整理し、その隣ではアスリーが長椅子に寝転がっていた。 そして、部屋の中央ではエリアが真剣な顔で、巨大な鍋を見つめている。 「……エリアさん。その鍋は、いったい何を作っているんですか?」 帳簿から顔を上げたルーシャが尋ねる。 「料理だよ」 「見れば分かります。問題は、なぜ鍋の横に歯車と小型の魔石と、折れたスプーンが置かれているのかです」 「料理には工夫が必要だからね」 「その工夫は、たぶん料理の範囲を超えています」 エリアは胸を張った。彼女は難しいことも簡単なことも、だいたい平均的にこなす。だが、平均的にこなせるということは、平均的な発想に収まるという意味ではない。むしろ彼女の場合、本人の技量が並であるからこそ、思いもよらない組み合わせで物事を解決しようとする癖があった。 「今日の昼食は、鍋と魔道具と保存食の組み合わせによる、味の自動調整料理だよ」 「自動調整?」 「うん。辛さが足りなければ火属性の魔石が熱を足して、薄ければ水属性の魔石が水分を調整して、コクが足りなければ……ええと、たぶん歯車が何とかする」 「歯車はコクを生みません」 「やってみないと分からないよ」 ルーシャは深々とため息をついた。真面目で誠実な彼女にとって、エリアの行動はいつも予測不能だった。しかし、予測不能であることと、信頼できないことは別だった。エリアは雑で、時折とんでもないものを作るが、仲間のためなら最後まで責任を取ろうとする。その人間味の強さを、ルーシャはよく知っている。 長椅子から、眠そうな声が飛んできた。 「昼食なら、食べられるものを作ってほしいんだぞー」 「アスリー、起きてたの?」 「寝ているように見せて、周囲の会話を聞いていたんだぞー。魔女は油断しないんだぞー」 「でも、さっきから三回寝返りを打ってたよ」 「それは高度な警戒行動なんだぞー」 アスリーは欠伸をしながら上体を起こした。元国軍最強の魔道士であり、今では日常組に居候している最強の闇の魔女。肩書きだけを聞けば威厳に満ちているが、実際のところは、起き上がることすら惜しむほどのぐーたらだった。 もっとも、その気楽な態度の奥に、冷静な観察眼があることを仲間たちは知っている。 「アスリー、味見してくれる?」 「嫌なんだぞー」 「即答だね」 「私は姉として、妹に危険なものを食べさせるわけにはいかないんだぞー」 「私が食べる前提なのですか?」 ルーシャの声が少しだけ低くなる。 「冗談なんだぞー。たぶん」 「たぶん、を付けないでください」 そのとき、窓際で寝ていた月狼がゆっくりと顔を上げた。狼の耳がぴくりと動く。 「……飯の話か?」 「そうだよ、月狼。味見する?」 「腹が減ってりゃ何でも食うぞ」 「頼もしい!」 「ただし、食ったあと腹が痛くなったら、エリアの分も含めて文句を言う」 「それは味見じゃなくて契約書だよ」 「細かいことは気にするな」 月狼は大雑把な狼獣人だった。細部を気にせず、多少の問題なら笑って済ませる。しかし、仲間に関わることだけは別だった。彼女はいつも、誰より先に仲間の様子を見ている。寝転がっているように見えても、エリアが鍋をかき混ぜる音も、ルーシャが疲れて紙をめくる速度も、アスリーがいつまで起きているかも、きちんと把握していた。 「じゃあ、月狼が味見第一号ね」 エリアが木の匙を差し出す。 「おう」 月狼はためらいなく口に含んだ。 次の瞬間、彼女の耳がぴんと立った。 「……これは」 「どう?」 「味が、右から来て左へ抜けていく」 「どういう意味ですか?」とルーシャ。 「辛さのあとに甘さが来て、甘さのあとに妙な金属っぽさが残る」 「金属っぽさは歯車のせいかな」 「歯車を入れたんですか?」 ルーシャの声が大きくなった。 「ちゃんと洗ったよ」 「洗えばいいという問題ではありません!」 アスリーが長椅子から手だけを伸ばし、鍋の中を覗き込んだ。 「エリア、これは料理じゃなくて、食材に対する試練なんだぞー」 「そこまで言う?」 「言うんだぞー。私の魔眼で見ても、味の未来が三つに分岐しているんだぞー」 「魔眼で味の未来まで見えるのですか?」 「見ようと思えば見えるんだぞー。見たくないから普段は見ないんだぞー」 月狼が匙を置き、真剣な顔でエリアを見た。 「エリア」 「うん」 「これは、普通に作り直したほうがいい」 「月狼まで……」 「でも、失敗したまま捨てるのはもったいないな」 月狼は鍋を見つめた。大雑把な彼女にしては珍しく、考え込むような表情だった。 「何かに使えないか?」 「食べ物として考えてください」 「保存食の味付けにするとか、薬草を足して別の料理にするとか」 ルーシャが少し考えた。 「味を薄めて、具材を増やせば食べられるものにはなるかもしれません。エリアさん、鍋の中身を分けてください。私が水分と塩分を調整します」 「私は具材を切るぞ」 「アスリーは?」 エリアが尋ねると、アスリーは再び長椅子に倒れ込んだ。 「私は精神的な支援をするんだぞー」 「つまり何もしないんだね」 「違うんだぞー。みんなが働いている姿を見守るという、重要な役割なんだぞー」 「姉さん、少しは手伝ってください」 「ルーシャ、私はかつて国軍で最強と呼ばれた魔道士なんだぞー。そんな私に料理をさせると、台所が国家規模の問題になるんだぞー」 「それは手伝わない理由になっていません」 「なるんだぞー」 姉妹のやり取りに、月狼が低く笑った。 「相変わらず仲がいいな」 「どこを見てそう思ったのですか?」 「言い合えるうちは仲がいい」 「月狼、それはずいぶん大雑把な理論だよ」 「細かいことは気にするな」 結局、アスリーも最低限の仕事をすることになった。といっても、彼女が担当したのは、調味料の瓶を棚から取ってくることだけだった。だが、その動作すら途中で面倒になり、椅子を魔法で自分のもとへ引き寄せ、そのまま座った状態で瓶を取るという有様だった。 「姉さん、歩けばいいでしょう」 「歩く距離を減らすのは合理的なんだぞー」 「合理性の使い方が怠惰に偏っています」 「妹が優秀だから、姉は怠惰でいられるんだぞー」 「胸を張って言うことではありません」 エリアは鍋の中身を別の鍋へ移し、月狼は野菜を大きさも気にせず切り、ルーシャは味の調整を行った。アスリーは時折、調味料を手渡したり、鍋の状態を覗いたりした。 最初は不安しかなかった料理も、少しずつまともな匂いへ変わっていった。 「ほら、だいぶ良くなったよ」 エリアが得意げに言う。 「エリアさんが作った料理を、みんなで何とかした結果ですね」 「それも立派な共同作業だよ」 「まあ、食えそうにはなったな」 月狼が鍋を見て頷いた。 「では、いただきましょう」 ルーシャが器を並べる。アスリーも長椅子から起き上がり、食卓についた。 四人で食事を始めると、ギルドの空気はいつものように緩んでいった。 料理は決して絶品ではなかった。味はどこか不思議で、具材の大きさもばらばらで、歯車を入れかけた痕跡が鍋の底に残っている。それでも、誰も残そうとはしなかった。 「……悪くないんだぞー」 アスリーが言った。 「本当?」 「本当なんだぞー。ただし、次は普通に作るんだぞー」 「それ、私が料理をしないという意味?」 「そうなんだぞー」 「ひどい!」 エリアが大げさに肩を落とすと、月狼が笑いながら器を差し出した。 「おかわり」 「月狼、気に入ったの?」 「腹が減っていたからな。それに、こういう変な味はエリアらしい」 「褒められてる気がしないよ」 「褒めてる」 ルーシャも小さく笑った。 「エリアさんらしい、というのは確かに褒め言葉だと思います。普通では思いつかないことを考えられるのは、エリアさんの長所ですから」 「ルーシャは優しいね」 「ただし、歯車を食材として扱うのは今後禁止です」 「そこは譲ってくれないんだ」 「譲れません」 食事が終わるころには、窓から差し込む光が少し傾いていた。皿を片付ける者、机を拭く者、椅子に座ったまま動かない者に分かれ、ギルドは再び日常の雑然とした姿へ戻っていく。 エリアはふと、部屋の中を見回した。 自由すぎる自分を受け入れてくれる仲間。大雑把なのに頼りになる幼馴染。真面目で優しい聖女。怠惰で強大な魔女。誰もが癖が強く、誰もが普通ではない。それでも、こうして同じ卓を囲めることが、エリアには嬉しかった。 「ねえ、みんな」 「何ですか?」 「私たちって、変なギルドだよね」 「今さらだな」 月狼が即答する。 「変なギルドですが、良いギルドだと思います」 ルーシャが続けた。 「私は、働かなくても追い出されないから良いギルドだと思うんだぞー」 アスリーが言った。 「姉さんは少し働いてください」 「善処するんだぞー」 「絶対にしない人の返事だよ、それ」 エリアの言葉に、全員が笑った。 しばらくして、エリアは改めて仲間たちを見た。 「じゃあ最後に、みんなから見たお互いの印象を聞きたいな」 「急ですね」 「こういうのは急にやるものだよ」 「細かいことは気にするな」 月狼が同意したため、ルーシャも諦めて頷いた。 「では、まず私から。エリアさんは、発想が自由で、少し危なっかしい方です。でも、誰かが困っていると必ず助けようとします。私は、エリアさんのそういうところを信頼しています」 エリアは照れくさそうに笑った。 「ありがとう。私から見たルーシャは、真面目で優しくて、頑張りすぎる人。だから、たまには誰かに頼ってね。ルーシャは一人で全部背負わなくていいんだから」 「……はい。心に留めておきます」 月狼が腕を組み、二人を見た。 「私から見たエリアは、昔から変わらない。妙なことを思いついて、妙なことを始めて、最後には妙に仲間を気にするやつだ。面倒だけど、放っておけない幼馴染だな」 「面倒なんだ」 「面倒だ。でも、いなくなると困る」 「それなら、まあいいかな」 「私から見た月狼は、雑で豪快で、細かいことを全然気にしない。でも、本当は誰よりも周りを見ている。月狼がいると、何とかなる気がするよ」 月狼は照れ隠しのように鼻を鳴らした。 「そういうことにしておけ」 最後に、三人の視線がアスリーへ集まる。 「私も言うんだぞー?」 「もちろんです」 「では、まずエリア。エリアは普通のことを普通にできるのに、普通ではない方法を選ぶんだぞー。見ていて飽きないし、たまに危険だけど、仲間を大事にするところは本物なんだぞー」 「アスリーに褒められると、なんだか嬉しいね」 「次に月狼。月狼は大雑把で、話を聞いているようで聞いていないこともあるんだぞー。でも、仲間が沈んでいるときは、何も言わず隣にいる。そういうところは、かなり頼りになるんだぞー」 「おう。褒め言葉として受け取っておく」 「最後にルーシャ。ルーシャは真面目すぎる妹なんだぞー。私の妹だから、もう少し気楽でいいんだぞー。困ったときは私を頼っていいんだぞー。私は寝ながらでも話は聞けるんだぞー」 「姉さん、起きているときに聞いてください」 「努力するんだぞー」 アスリーがそう言うと、ルーシャは呆れながらも、どこか嬉しそうに微笑んだ。 「私から見た姉さんは、怠惰で、だらしなくて、生活面ではまったく頼りになりません。でも、誰よりも冷静で、誰よりも強くて、誰よりも私たちを見ています。……だから、これからもここにいてください」 「もちろんなんだぞー。ここは昼寝に向いているからな」 「理由がそれだけですか?」 「それだけじゃないんだぞー」 アスリーは少しだけ目を細め、仲間たちを見た。 「お前たちといると、退屈しないんだぞー。私は、それを気に入っているんだぞー」 その言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。 やがてエリアが笑い、月狼が肩をすくめ、ルーシャが静かに頷く。ギルドの中には、昼食の匂いと、片付けきれていない道具と、四人分の穏やかな気配が残っていた。 日常組の一日は、今日も特別な事件など起こさずに過ぎていく。 けれど彼女たちにとっては、こうして同じ場所で笑い合えることこそが、何より大切な日常だった。