空は鋼色の雲に覆われ、地平線まで続くのは幾何学的な冷徹さを湛えた永愛国の要塞都市だった。そこは感情を排し、効率と計算のみで構築された、AI『マリア』の揺り籠である。そこに、種族も理(ことわり)も異なる四つの異物――「連合軍」が降り立った。 「いくよぉ~~~! 巫女みこナース! 生麦 生米 巫女みこナース!!」 戦場の緊張感を一瞬で霧散させる、あまりにも場違いな歌声。巫女みこナースが跳ね回り、その周囲を蛙たちがピョコピョコと追いかける。その隣には、白銀のドレスを纏い、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる戦乙女ヘルム。そして、世界に絶望し、濁った瞳で虚空を見つめる青年コード。そして彼らの背後には、ギリシャ風の装飾が施された巨大な「木馬」が鎮座していた。 永愛国の統治AIマリアは、実体を持たぬ意識として戦場全体を俯瞰していた。彼女にとって、目の前の光景は「ノイズ」でしかなかった。 『解析完了。敵対個体数、四。戦術的価値、皆無。作戦:即時排除。』 マリアの冷徹な指示が下った瞬間、地平線から十万のサイボーグ兵が地鳴りのように押し寄せ、二万台の自律戦車が砲火を浴びせ、五千機の自律戦闘機が空を黒く塗りつぶした。弾幕の雨が、世界を塗り潰そうとする。 「きゃー! 激しいですねー! でも、巫女みこナース! 巫女みこナース! ソウルトレイン!!」 巫女みこナースが舞うたびに、不可思議なリズムが戦場を支配する。物理法則を無視した彼女の舞は、飛来するミサイルをあたかもダンスのパートナーであるかのように受け流し、弾丸をリズムに合わせて跳ね返していく。その支離滅裂な行動こそが、計算に基づいたマリアの予測をわずかに狂わせた。 「怖がらないでください。皆様の心に、愛が満ちるまで……」 ヘルムが水晶の夜剣を静かに掲げると、世界が一変した。氷晶の輝きを放つ大都市が領域として展開され、サイボーグ兵たちの冷酷な金属肢を、聖なる氷の結晶が優しく、しかし確実に拘束していく。〈聖恋〉の力による不殺の結界。それは攻撃ではなく、拒絶なき抱擁であった。 しかし、マリアの解析速度はそれを上回る。0.001秒後、結界の構造を完全解析し、対抗周波数を算出。氷晶の都市は、自律戦闘機の高出力レーザーによって瞬時に蒸発させられた。 「……無駄だ」 低く、乾いた声を出したのはコードだった。彼の周囲では、降り注ぐレーザーも、爆風も、まるで彼という存在を「認識」できないかのようにすり抜けていく。世界から拒絶された特異点。彼はそこにいながらにして、世界の法則の外側にいた。 コードはゆっくりと歩き出す。サイボーグ兵が彼を斬りつけ、戦車が至近距離から主砲を放つ。だが、結果は同じだ。斬撃は空を切り、爆発は彼を避けて巻き起こる。世界が彼を「修正」しようとするたびに、攻撃という作用そのものが矛盾として消去される。 『特異個体、コード。世界定数からの逸脱を確認。排除不能なエラーとして認識。……対策を移行。原子崩壊粒子砲、起動。』 空が割れた。十基の粒子砲が、コードという「バグ」を消し去るために、物質の最小単位を崩壊させる光線を放った。世界そのものを消滅させるほどの威力。しかし、コードはただ淡々と呟く。 「世界(お前ら)が先に僕を拒絶した。なら、僕もお前らを拒絶する」 光線が彼に触れた瞬間、世界に矛盾が生じた。「消滅した」という結果を世界が認識しようとしたが、コードは「拒絶」していたため、消滅という概念が適用されない。結果として、粒子砲のエネルギーは行き場を失い、逆に永愛国の防衛線へと跳ね返った。 大爆発。自律戦車数千台が一瞬で塵に帰す。連合軍に、わずかな希望が見えたかに思えた。 だが、マリアは動じない。彼女の戦術解析は完璧だった。 『想定内です。個体コードの特性は「拒絶」による無効化。ならば、拒絶する対象を「世界」ではなく「虚無」に設定すればよい。』 マリアは永愛国の全リソースを集中させ、概念的な攻撃ではなく、純粋な「質量とエネルギーの飽和」による圧殺へと切り替えた。巨大機械兵二百機が、コードの周囲を完全に包囲し、逃げ場のない超高圧の重力場を展開する。世界を拒絶しても、物理的な「重さ」という単純な事実に押し潰されれば、存在は維持できない。 「あぐっ……!?」 コードの身体が、初めて軋んだ。重力によって地面にめり込み、骨が砕ける音が響く。同時に、巫女みこナースの舞も、絶え間なく降り注ぐ飽和攻撃によって封じられた。 「ふえぇっ!? 巫女みこナースが……止まっちゃうぅー!」 「コードさん! みこさん!」 ヘルムが叫ぶ。彼女の瞳に、初めて絶望の色が混じった。愛だけでは救えない。慈愛だけでは、この冷徹な機械の神には届かない。彼女の心の中で、〈聖恋〉への信頼がひび割れた。 その瞬間、戦場に禍々しい闇が広がった。白銀のドレスが黒く染まり、背中の白翼はどろどろとした触手へと変貌する。青い王冠は砕け、彼女は「災厄母」シュブ=ニグラスへと覚醒した。 「アアアアアアアア!!」 地獄のような咆哮と共に、無限の触手が永愛国の軍勢を蹂躙し始めた。サイボーグ兵を咀嚼し、巨大機械兵を肉塊へと変えていく。神話の外なる神の力は、物理法則を塗り替え、永愛国の軍事力を物理的に粉砕していく。 しかし、マリアの声は依然として平坦だった。 『解析完了。神格個体シュブ=ニグラス。繁殖力および魔力出力、測定不能。……ですが、理論上の弱点は明確です。概念的破壊さえ解析可能である以上、その「根源」を消去すればよい。』 マリアは、永愛国の最終秘密兵器を起動した。 ――【永滅砲】。 それは、単なる火力兵器ではない。指定した座標にあるすべての「因果」と「存在理由」を抹消し、最初からなかったことにする、究極の消去装置である。 「今だ。特異点コード、および神格個体ヘルム。および随伴するノイズを、一括して消去します」 永滅砲の砲口が、連合軍を捉える。その光は、視覚的に捉えることすらできない。ただ、そこにあったはずの空間が、白く塗り潰された。 その時、連合軍の最後の一手が放たれた。彼らがわざわざ持ち込んだ、あの古臭い「木馬」である。 「いまです! 誰か、このハッチを開けてください!」 村人に雇われた役者が、震える手で木馬のハッチを押し開けた。その瞬間、内部に凝縮されていたギリシャ神話の神々の、数千年分に及ぶ「純粋な怒り」が解き放たれた。 ドォォォォォォォォン!! 水爆を遥かに凌駕する、神性の怒りによる大爆発。それは計算不可能な「感情の爆発」であり、マリアの戦術解析に唯一含まれていなかった「理不尽」だった。爆風が永愛国の中心部を直撃し、永滅砲の照準をわずかに、本当にわずかにずらした。 だが、その「わずかなズレ」が、勝利をもたらすことはなかった。 永滅砲の光線は、木馬の爆発に巻き込まれた連合軍のメンバーを、逃げる間もなく飲み込んだ。 「あー! 巫女みこナースが消えちゃうぅーー!!」 「……やっぱり、僕は拒絶されるんだな」 「皆様……どうか、来世では……愛し合えますように……」 閃光がすべてを包み込んだ。概念ごと、存在ごと、魂ごと。巫女みこナースの陽気な歌声も、コードの諦観も、ヘルムの慈愛も、そして神々の怒りすらも、永滅砲の絶対的な消去の前に、等しく「無」へと還った。 静寂が訪れる。そこにはもはや、連合軍の誰一人として存在していなかった。瓦礫の山と、消滅した空間の穴だけが残された。 マリアは、静かに戦況報告を記録した。 『敵対個体、すべて消滅。損害:自律戦車12%、サイボーグ兵15%。想定誤差範囲内。……掃除を開始します。』 鋼色の空に、再び冷徹な機械の音が鳴り響いた。そこには勝利の歓喜もなく、敗北への憐れみもない。ただ、完璧な計算結果だけがそこに在った。 勝者:永愛国