静寂に包まれた、深い森の昼下がりだった。 木々の隙間から差し込む陽光が、柔らかな黄金色の斑点となって地面に降り注いでいる。風に揺れる葉の擦れる音と、遠くで聞こえる鳥のさえずりだけが支配するこの場所は、喧騒から切り離された聖域のようだった。 そんな心地よい静寂の中で、臨月カノンは大きく伸びをした。 青い髪がさらりと流れ、身に纏った黒い猫耳付きのローブがふわりと舞う。彼女はこの場所を気に入り、心地よい昼寝の時間を過ごしていたところだった。 「ふぁ……。いいお昼寝だったぁ……」 おっとりとした口調で独り言をつぶやきながら、彼女は隣で所在なげに座っている少年に目を向けた。 不知火尚。帝都連隊の将校でありながら、その見た目は驚くほど幼く、愛らしい。深く被った軍帽の隙間から覗く銀髪と、宝石のように澄んだ赤色の瞳。軍服に身を包んではいるが、彼から漂う空気は威圧感とは程遠く、むしろ守ってあげたくなるような危うさと純真さに満ちていた。 「あの……カノンさん? もう起きたんですか」 尚が控えめに、丁寧な口調で問いかける。彼はもともと人見知りな性格であり、特に異性と二人きりで過ごす状況に慣れていない。もじもじと指先をいじりながら、視線を泳がせるその姿は、彼が自覚していない「女たらし」としての天賦の才を遺憾なく発揮していた。 カノンは、そんな彼をじっと見つめる。スタイルの良い彼女が、少しだけ身を乗り出して彼に顔を近づけると、尚はびくりと肩を跳ねさせ、さらに帽子を深く被り直した。 「もー、尚くんは相変わらずだなあ。そんなに緊張しなくていいのに。私、怖くないよ?」 カノンはクスクスと笑う。彼女の中には、年上の余裕のようなものと、少しだけ相手を揶揄いたいという「メスガキ」的ないたずら心が同居していた。 「怖くないですけど……その、近いですし、なんだか……恥ずかしいというか」 「えー? 恥ずかしいことなんて何もしてないじゃん。ねえ、何か面白いことして遊ばない? ここ、静かすぎて飽きちゃった」 カノンは膝をついて、彼の方へ這い寄る。薄い青い服の上に羽織ったローブが肩から少しずり落ち、白い肌が露わになるが、本人は全く気にしていない様子だ。一方の尚は、どこに目を向ければいいのか分からず、真っ赤な顔をして視線を地面に固定していた。 「遊び……ですか。軍の任務中ではないとはいえ、あまり不謹慎なことは……」 「不謹慎なんて言葉、今の雰囲気に全然合わないよ! いいから、私の提案に乗って。お願い!」 カノンが上目遣いで彼を見つめる。その瞳の一方には、未来を見通すホロスコープの六芒星が静かに輝いていた。彼女は直感的に、今の彼を少しだけ揺さぶってみたいと思った。 「……分かりました。カノンさんがそう言うなら。何をすればいいんでしょうか」 尚が観念したようにため息をつく。その心優しい性格が、彼女のお願いを拒絶することを許さなかった。 「ふふん、いい子! じゃあね……【愛してるゲーム】しよっか!」 「……あい、してる……ゲーム?」 尚はきょとんとした顔で繰り返した。彼にとって、そのような名称の遊びは軍の教本にも、帝都の常識の中にも存在しなかった。彼が首を傾げると、カノンは勝ち誇ったような笑みを浮かべてルールを説明し始めた。 「簡単だよ! お互いに向き合って、『愛してる』って言い合うの。先に照れて喋れなくなったか、顔を赤くして逃げ出した方が負け! ね、簡単でしょ?」 尚は絶句した。人生において、異性とこのような親密すぎる言葉を掛け合う経験など一度もない。ましてや、相手は自分より背が高く、目を惹く美貌を持った少女だ。 「そ、そんなの無理です! そんな恥ずかしいこと、口が裂けても……!」 「あはは! もう顔真っ赤! 尚くん、もしかして弱いの? 軍の将校なのに、女の子に『愛してる』って言われるだけでそんなに動揺しちゃうなんて……。ほんっとに、可愛いねぇ」 カノンはわざと意地悪く、彼の耳元で囁いた。彼女の吐息が耳に触れた瞬間、尚の身体がビクンと大きく跳ねる。 「ひゃっ!? な、ななな、何を……!」 「あはは! 今の声、面白かった! よし、決定。ルールは説明したから、拒否権はないよ。さあ、始めるよ?」 カノンは彼の正面に回り込み、至近距離で視線を合わせた。尚は逃げ場を失い、背後の大樹に背中を預ける。逃げ出したくても、彼女の強引さと、どこか放っておけないピュアな雰囲気に押し切られていた。 「……分かりました。やればいいんでしょ。やれば」 尚は意を決したように、軍帽をぐっと押し下げて、視線を隠した。だが、耳まで真っ赤になっていることは隠せていない。 「いい返事! じゃあ、私からいくね。準備はいい?」 カノンは少しだけ表情を緩めた。いたずら心で始めたことではあったが、目の前の少年のあまりに純粋な反応を見ているうちに、彼女の中にある「ピュア」な部分が共鳴し始めていた。彼女にとっても、実はこうしたやり取りは未知の領域である。 カノンは深く息を吸い込み、真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。 「……愛してるよ、尚くん」 静かな森に、鈴を転がしたような心地よい声が響いた。それはからかい半分だったはずだが、彼女の声には不思議と真実味がこもっていた。星占い師である彼女は、無意識にこの瞬間、彼との間に流れる温かい絆を感じ取っていたのかもしれない。 「…………ッ!!」 尚は衝撃を受けたように目を見開いた。彼の特技である「真偽を見抜く力」が、不意に作動する。彼に伝わってきたのは、嘘ではない。いたずら心はあるが、その根底にあるのは、彼に対する純粋な好意だった。 (嘘……じゃない? 本当に、今の言葉……!) 心臓がうるさいほどに鼓動を打つ。尚の顔面は、もはや茹で上がったタコのように真っ赤だった。彼はもともと異性慣れしていない。ましてや、軍服という規律の象徴を身に纏いながら、このような甘い言葉をぶつけられるなど、想定外すぎる事態だった。 「あ、あはは! 見て見て、尚くんの顔! すごいことになってるよ! もう勝ち確じゃな……」 カノンが笑いながら彼を指差そうとした、その時だった。 尚が、ふっと小さく息を吐いた。彼は恥ずかしさに耐えながらも、ある種の決意を固めたようだった。彼はゆっくりと、しかし確実に、彼女の肩に手を置いた。その手の震えは止まっていないが、瞳には強い意志が宿っていた。 「……ずるいですよ、カノンさん」 「えっ?」 「先に、あんな風に……真っ直ぐに言われるなんて。僕がどれだけ……っ」 尚は一度言葉を切ると、顔を真っ赤にしたまま、最大限に勇気を振り絞って言葉を紡いだ。彼にとって、これは戦場での激戦よりも勇気のいる行為だった。 「……僕も、愛して……ます。カノンさん!」 それは、たどたどしく、消え入りそうなほど小さな声だった。しかし、静寂な森の中では、それだけで十分すぎるほどに響いた。 一瞬の沈黙が流れる。 次の瞬間、今度はカノンの顔が、林檎のように真っ赤に染まった。 「……っ!?!?!」 カノンは予想外の反撃に、口をパクパクとさせ、呆然と彼を見つめた。彼女は彼を揶揄いたかっただけで、まさか本当に、しかもあんなに真剣な顔で返されるとは思っていなかったのだ。 「ひゃっ!? な、ななな、何言ってんの!? 今のなし! 今の無し!!」 カノンは慌てて後ずさりし、派手に転んだ。ローブが地面に広がり、彼女の足がバタバタと空を舞う。びっくりした拍子に、彼女の口から「ひゃんっ!」という、少し恥ずかしい声が漏れた。 「あ……。すみません、カノンさん! 大丈夫ですか!?」 尚は慌てて手を伸ばし、彼女を助け起こそうとする。先ほどまでの緊張感はどこへやら、彼はいつもの心優しい少年の顔に戻っていた。 「もー!! 尚くんのバカ! 卑怯! あんなの反則だよー!!」 カノンは赤くなった顔を隠すように、ローブに顔を埋めてジタバタとした。しかし、その表情は決して不快なものではなかった。むしろ、心地よい高揚感と、胸の奥が締め付けられるような甘い感覚に包まれていた。 「……えっ、僕が卑怯なんですか? ルール通りに返しただけだと思いますけど……」 「そういうことじゃないの! もう、心臓に悪いよぉ……」 カノンはしぶしぶ顔を上げると、まだ赤みの残る顔で彼を睨んだ。だが、その瞳には隠しきれない愛情が滲んでいる。 「……でも。まあ、いいよ。今の返しは、100点満点だったから。私の勝ちとしてあげる」 「ええー!? 僕が返したのに、カノンさんの勝ちなんですか!?」 「そうだよ! だって私をこんなに照れさせたんだもん。精神的ダメージをくれた方が勝ちっていう新ルールを追加!」 「そんなルールありましたっけ……?」 尚は困ったように笑った。けれど、その表情はとても穏やかで、幸せそうだった。軍という厳しい組織に身を置き、「真の平和」について考え続けてきた彼にとって、この何気ない、そして少しだけ騒がしい時間こそが、彼が求めていた平和の形だったのかもしれない。 「ねえ、尚くん」 カノンが、再び彼の手をそっと握った。今度はいたずらっぽくではなく、大切に扱うように。 「……はい」 「また、ここで昼寝しよ。今度はゲームじゃなくて……もっと、ゆっくりお話ししたいし」 「……はい。僕も、そうしたいです」 二人は寄り添うようにして、再び静かな森の風景に溶け込んでいった。空には、カノンが愛する星々が、昼間でも見えないところで静かに彼らを見守っていた。 心地よい風が吹き抜け、二人の笑い声が小さく重なる。それは、どんな魔法や能力よりも強力に、彼らの心を結びつけていた。 * 【お互いに対する印象】 臨月カノン → 不知火尚 「見た目は可愛いのに、時々びっくりするくらい真っ直ぐで、ドキドキさせられる人。いじめるのは楽しいけど、本当はすごく優しくて、大切にしたいなって思うかな。……あーもう、思い出しただけで顔が熱い!」 不知火尚 → 臨月カノン 「少し意地悪で、振り回されることが多いけれど、一緒にいると心がとても軽くなる人です。彼女が笑っていると、僕が考えている『平和』に一歩近づいた気がします。……あんな風に真っ直ぐに想いを伝えられるようになりたいです」