天界の辺境、白銀の雲海が果てしなく広がる「静寂の回廊」。そこは本来、神の静謐が支配する聖域であるはずだった。しかし、今は激しい爆炎と斬撃の火花が飛び散り、神聖な空気が焦げ付いている。 【神焔六花の守護天使】スフェーンは、降り注ぐ不浄な魔物の群れを、その銀色の双翼で軽やかに舞いながら斬り伏せていた。彼女の手にあるのは、神の裁きを体現する継承武器《零花剣レーヴァテイン》。一振りすれば業火が走り、天界を穢す不浄を灰へと変える。 「……しつこい。ここで全て始末します」 私情を排した冷徹な声。銀色の瞳には迷いなく、ただ「任務」としての抹殺のみが映っていた。しかし、最後の一体を斬り捨てようとしたその瞬間、背後から猛烈な衝撃波が襲った。 「――ッ!?」 スフェーンは反射的に【強翼】を展開し、背後から飛来した黒い爆炎を弾き飛ばす。衝撃で後方へ押し出された彼女が、鋭い視線で振り返ると、そこには一人の男が立っていた。 漆黒の外套を纏い、冷徹な眼差しを向けた男。その身から漂うのは、天界にあるまじき濃密な「魔」の気配。悪魔、セーレである。 「ふん。掃除の手伝いをしたつもりだったが、随分と不機嫌そうな顔だな、天使様」 セーレは皮肉げな笑みを浮かべ、指先に黒い呪術の火花を散らしている。彼は先ほど、スフェーンが対処していた魔物の生き残り数体を、一瞬の爆破で消し飛ばしていた。 スフェーンは即座にレーヴァテインを構え、切っ先をセーレに向けた。警戒心は最大に達している。天界に悪魔が入り込んでいること自体が異常であり、ましてやその実力は一見して底が見えない。 「……悪魔。なぜここに? ここは天界、貴方のような不浄な者が足を踏み入れて良い場所ではありません」 「足を踏み入れていいか悪いか、そんなくだらないルールを気にするほど私はお人好しじゃない。目的があるから来た。それだけだ」 「目的、と言いましたね。もしそれが天界への反逆であるならば、私はあなたをここで始末します」 「やってみろよ。その綺麗な翼が、呪いでどろどろに溶けるのが先か、俺が退屈して帰るのが先か」 互いの間に、張り詰めた緊張感が走る。スフェーンは冷徹な任務遂行者の顔を崩さず、セーレは人間臭い皮肉を口にしながらも、その指先はいつでも呪術を放てる状態で固定されていた。知らぬ者同士、目的が不明な相手への不信感。一触即発の状況で、彼らがぶつかり合おうとしたその時――。 空間が、ガラスのように砕けた。 「ガハハハハッ! 賑やかだな、羽虫共が!」 凄まじい圧力と共に、次元の裂け目から「それ」が現れた。正体は【虚空の暴食者・ヴォイドガスト】。あらゆる属性を喰らい、世界を虚無に還すことを目的とする、天界にとっても最悪の特異点の一つである。巨躯を誇るその怪物は、身体の半分が影のような不定形で、もう半分は結晶化した絶望のような硬い甲殻に覆われていた。 その出現と同時に、周囲の雲海が吸い込まれるように消滅し、真空の領域が広がる。凄まじい重圧に、スフェーンの翼がわずかに震えた。 「……あの個体。目的の標的はあれだったのですね」 スフェーンが呟くと、隣にいたセーレも低く舌打ちをした。 「チッ、予定より早めに現れやがったな。あいつを仕留めないと、俺の計画に支障が出る」 二人は同時に気づいた。互いに敵意はあれど、目の前の怪物は共有の敵であるということ。そして、単独で挑むにはリスクが高すぎる相手であることに。 スフェーンはゆっくりと剣を下ろし、横目でセーレを見た。 「……提案です。今は一時的に、力を合わせませんか。目的の標的を排除した後、貴方と私の精算をしましょう」 セーレは肩をすくめ、不敵に笑った。 「いいぜ。天使様と共闘なんて、人生(悪魔生)で一番笑える冗談だ。だが、効率的に片付けたいのは同意見だ」 こうして、決して相容れないはずの「神の門番」と「呪術の悪魔」による、奇妙な共闘戦が幕を開けた。 「先陣は私が切ります。貴方は後方から援護を」 「命令すんな。俺は俺のやり方でやる」 言い合いながらも、二人の動きは完璧に噛み合った。スフェーンが空高く舞い上がり、レーヴァテインに神の業火を宿らせる。 「ここは天界。そして私は《天使》として……『貴方を始末する』!」 《零火 -アブソリュートフレア》!! 天から巨大な火柱が降り注ぎ、ヴォイドガストを直撃した。純白の炎が怪物を包み込み、その甲殻を焼き焦がしていく。しかし、怪物はそれを「喰らおう」と口を大きく開き、炎を吸収し始めた。 「クソッ、火属性を吸収したか!」 「そこだ!」 スフェーンが叫ぶと同時に、セーレの呪術が炸裂した。吸収に意識を向けた怪物の足元に、黒い呪いの結界を瞬時に展開。そこへ爆破の呪術を重ね合わせ、内部から破裂させる。 「爆ぜろ!」 ドォォォォン!! 凄まじい爆発がヴォイドガストの下半身を突き上げ、体勢を崩させた。火を吸収した直後に、属性の異なる「爆破」と「呪い」を叩き込む。これがセーレの戦術だった。 「いい連携じゃないか、天使!」 「勘違いしないでください。効率を追求しているだけです!」 スフェーンは空中で急降下し、急所に鋭い斬撃を叩き込む。一方のセーレは瞬間移動で怪物の死角へ回り込み、氷の呪術でその関節を凍結させ、動きを封じた。 「氷で固めて、火で焼く。単純だが、今のこいつにはこれが一番効くはずだ」 「戦略的判断として同意します」 二人の猛攻に、ヴォイドガストが咆哮を上げた。怪物は怒りに任せ、周囲の空間そのものを圧縮して弾けさせる衝撃波を放つ。逃げ場のない広域攻撃に、スフェーンは即座に【強翼】を最大展開し、セーレを包み込むようにして衝撃を弾いた。 ガギギギッ!! 「……っ! 弾ききれる回数には限度がある。次はありません!」 「わかってるよ。次は俺が道を切り開く」 セーレが前へ出た。彼は指先で複雑な印を結び、闇の属性を極限まで凝縮させる。空間が歪み、光さえも吸い込まれる漆黒の球体が形成された。 「日蝕『最恐の黒蝕白娥』!!」 放たれた黒い奔流が、ヴォイドガストの正面から激突した。すべてを塗りつぶす闇の奔流が怪物の肉体を削り取り、再生能力を阻害する。強烈な闇の負荷により、怪物が絶叫し、その防御壁に大きな亀裂が入った。 「今です!!」 スフェーンが叫ぶ。彼女の周囲を舞う業火が、一瞬にして静まり返った。熱気が消え、代わりに絶対的な「零度」の冷気が世界を支配し始める。彼女の瞳から感情が消え、ただ純粋な裁きの意志だけが宿る。 「華終奥義『反銘 -アブソリュートゼロ』」 業火が逆転し、極寒の六花へと変わる。一瞬にしてヴォイドガストの巨躯が、足元から上まで純白の氷晶に包み込まれた。動くことも、叫ぶことも、吸収することさえも許されない完全なる凍結。 「……終わりです」 スフェーンがレーヴァテインを振り下ろした瞬間、氷に包まれた怪物は粉々に砕け散り、その魂までをも神の裁きによって消滅した。静寂が戻った回廊に、二人の荒い呼吸だけが響く。 「ふぅ……。まあ、悪くない仕事だったな」 セーレは肩を回しながら、ふっと笑った。しかし、その顔には疲労の色が濃い。激しい魔力消費により、彼の体力は限界に近かった。 スフェーンは剣を鞘に収めると、表情を元に戻し、冷たく彼を見た。 「これで目的は達成されましたね。さて、改めて伺います。貴方はなぜ天界に侵入したのか」 その瞬間、セーレの口角が上がった。体力が20%を切った彼の身体から、不気味な紫色のオーラが立ち昇る。身体が半透明になり、魔力が爆発的に回復していく【ファントム化】への移行だ。 「あーあ、協力して気持ちよくなったところだったんだが。やっぱり天使様とは話が合わねえな」 攻撃力と素早さが跳ね上がり、結界の強度が三倍に跳ね上がる。セーレは瞬間移動でスフェーンの背後に回り込み、その耳元で囁いた。 「さて、ここからが本番だ。精算といこうじゃないか」 スフェーンは驚きこそしたが、すぐに冷静さを取り戻し、再びレーヴァテインを抜いた。彼女の銀色の瞳には、今度は「敵」としての彼が映っている。 「……ええ。仕事が終わった後は、私情を出しても構わないということですね」 共闘という名の短い休息は終わり、再び二人は武器を交える。しかし、その瞳の奥には、先ほどまでとは違う、奇妙な「信頼」に似た感情がわずかに残っていた。もちろん、それを口にする者はどちらにもいなかったが。