都市の喧騒は、いつだって不協和音に満ちている。特に、物流の要所である配送ルート上の空気は、焦燥感と殺伐とした緊張感が混ざり合い、目に見えない火花が散っているかのようだった。 「どいたどいたぁ! 宅配便のお通りだよ! 遅れたら始末書もん、っていうか、私の給料から天引きされるんだからねーっ!」 緑色のコートを激しくなびかせ、ゴーグルを額に跳ね上げた女性——ハヤテが、人混みを強引に割り込んで突き進んでいた。彼女の手には、鈍い光沢を放つアタッシュケースが握られている。その足取りはもはや疾走に近く、周囲の歩行者が驚いて飛び退くが、彼女にとってそれは「効率的な経路確保」の一環に過ぎない。 「ハヤテ、心拍数が上昇しています。また最短経路を優先して信号を無視しましたね。事故率が0.2%上昇しました」 アタッシュケースから、無機質ながらもどこか呆れたような電子音声が響く。高性能AI『ポルードニツァ』だ。 「うるさーい! 0.2%なんて誤差だよ! それより、次の角を曲がったら目的地まであと三百メートル。このペースなら予定より三秒早く着ける!」 せっかちに叫ぶハヤテ。彼女の思考は常に「配達完了」という一点にのみ特化していた。しかし、彼女が次の角を曲がろうとしたその瞬間、視界に異様な光景が飛び込んできた。 路地裏から溢れ出したのは、季節外れの、そしてあまりに不自然な「白」だった。濃密な冷気が霧のように地面を這い、周囲の温度を急激に奪い去っている。アスファルトには薄い氷の膜が張り、通り過ぎた人々が寒さに身を震わせていた。 「……げっ、何これ。猛暑日なのに氷の世界? 誰だよ、道に氷撒いてるのは! 滑って荷物壊したらどうすんの!」 ハヤテが怒鳴りながらもブレーキをかけ、きしりと靴底で氷を蹴った。その冷気の中心に、一人の女性がいた。 空色のツインテールを揺らし、この季節にはあまりに不釣り合いな薄着のストリートスタイルに身を包んだ女性。彼女は手にした彫刻刀のような刀を、まるで筆のように弄びながら、目の前にある「何か」を眺めていた。 「う〜ん、やっぱりここだね。光の屈折と冷気の密度、完璧に『静寂』を表現できてると思うんだけど……どうかな?」 穏やかでフランクな口調。しかし、彼女の背後にあるのは、凍りついたまま絶望的な表情を浮かべる数体の「氷の彫像」だった。それはもともと、この路地を根城にしていた不良か、あるいは不運な路地裏の住人だったのだろう。彼らは今や、薬指のドーセントであるコユキの手によって、血と氷の芸術作品へと昇華されていた。 「あー! そこの空色の人! 邪魔! どいて! 私は今、世界で一番急いでるの!」 ハヤテがアタッシュケースをガシャンと鳴らして叫ぶ。コユキはゆっくりと視線を向けた。その瞳には、芸術家特有の、どこか現実離れした好奇心が宿っている。 「あら。賑やかなのが来たね。……それにしても、そのコート。すごく厚手で暖かそう。いいなあ、私はもう限界。暑い、暑すぎるよ……」 コユキは心底しんどそうに、肩をすくめて溜息をついた。彼女にとって、この極低温の霧は自身の能力であると同時に、暑がりな彼女にとって唯一の避暑地のようなものだった。 「暖かそうっていうか、これは仕事の正装! っていうか、あんた何してんの? 道を氷漬けにして、変な像まで作っちゃって。交通妨害で訴えられたいわけ?」 「交通妨害? ふふ、ひどいな。これは『写実派』としての追求だよ。生物が凍りつく瞬間の、あの絶望と静寂。それをそのまま形に残したいだけ。ねえ、あなたもモデルにならない? その焦った顔、すごく『動』の表現が効いてて素敵だと思うし」 コユキがふわりと微笑みながら、刀の先をハヤテに向けた。殺気があるわけではないが、芸術家としての「素材」への執着が透けて見える。 「モデルなんて御免だね! 私は荷物を届けなきゃいけないんだよ! ポルードニツァ、ルート再計算! この氷の壁を最短で突破する方法は!?」 「計算中。……最適解は、目の前の人物を物理的に排除して直進することです。あるいは、提供デリバリーキャリアから『融雪用高熱カッター』を取り出し、氷を切り裂いて進むことを推奨します」 「それだ! よし、貸し出せ!」 ハヤテがアタッシュケースに手をかけ、次元鞄から装備を取り出そうとした瞬間。コユキが小さく「あ」と声を漏らした。 「あ、待って。そんなに急いでどこへ行くの? せっかくいい雰囲気になったのに。少しだけ、ここで涼んでいかない? 私の氷の作品、近くで見るともっと綺麗だよ」 「涼む暇なんてないの! 私の辞書に『休憩』の文字はないんだからね! あるのは『配達完了』と『定時退社』だけ!」 ハヤテのせっかちな怒声に、コユキは不思議そうに首を傾げた。彼女にとって、時間は芸術を完成させるための緩やかな流れであり、秒単位で人生を切り刻むハヤテの生き方は、理解しがたい未知のジャンルのようだった。 「ふーん。定時退社かぁ。あなた、面白いね。そんなに急いで届けなきゃいけないものは、一体何なの? 愛の告白? それとも、爆弾?」 「ただの特注部品だよ! でも、この部品が届かないだけで、ある工房の親方が暴れて街一つ壊すかもしれないんだから、実質的に世界を救ってるようなもんなの!」 大げさに腕を振って主張するハヤテに、コユキはクスクスと笑い声を上げた。その笑い方はどこまでも穏やかで、先ほどまで人間を氷像に変えていたことなど微塵も感じさせない。 「世界を救う宅配便さんか。いいね、その設定。写実的じゃないけど、ある種のコンセプトアートっぽくて好きかも」 「設定じゃないし! あーもう! いいからどいてってばー!」 ハヤテは痺れを切らし、アタッシュケースから取り出した(おそらくは超高熱の)何かを構え、無理やり道を切り拓こうとする。しかし、コユキは軽やかな身のこなしで、スプレーガンをカチリと鳴らした。 「う〜ん、やっぱりちょっとだけ、お喋りしたい気分。いいでしょ? 少しだけ、時間を止めてあげる」 「時間を止めるな! 私のタイムスケジュールが崩れる!!」 激しく喚くハヤテと、それを心地よさそうに眺めるコユキ。 静寂を愛する血鬼の芸術家と、喧騒を駆け抜ける配送の猛獣。 相容れない二人の空気感が、凍てついた路地裏で奇妙な火花を散らしていた。 「……ハヤテ、提案です。相手の懐に入り込み、アタッシュケースを物理的に押し当てて、その衝撃で氷を砕くのが最短ルートであると算出されました」 「名案! やるよポルードニツァ!」 「あはは、強引だなぁ。いいよ、そういうのも『躍動感』があっていい。……でも、私の作品を壊したら、あなたを氷の台座にするからね?」 コユキがいたずらっぽく微笑み、冷気の霧をさらに濃くしていく。ハヤテはゴーグルをガチリと下げ、全力で前方に踏み出した。 「台座になる前に届けさせてもらうよーっ!!」 冬の訪れを告げるような冷気の中を、緑色の疾風が突き抜けていく。目的地までの距離はあと数百メートル。ハヤテの戦いは、もはや配送という名の全力疾走であった。 * 【お互いに対する印象】 ハヤテ → コユキ 「めちゃくちゃいいペースメーカーにならない人! 空気読むっていう概念があるのか? あと、暑がってるならもっと薄着になればいいのに、なんでわざわざ人を凍らせて涼しがってんの!? とにかく、仕事の邪魔をする奴は全部まとめて配送ルートの障害物扱いだ!」 コユキ → ハヤテ 「面白い素材。あんなに絶望的に急いでいる人間は初めて見たよ。あの焦燥感に満ちた表情……もしそのまま氷に閉じ込められたら、きっと最高に『写実的な』作品になるだろうね。あはは、またどこかのルートで会えるといいな。次はもっとゆっくり、涼ませてあげるよ」