こはくが屋敷へ戻ってきたのは、空が茜色に染まりはじめたころだった。 金の装飾がきらめく赤い和装の裾を揺らし、ふわふわの狐耳をぴんと立て、こはくは廊下を小走りに進んでいた。セミロングの金髪が肩のあたりで跳ねるたび、後ろの大きな尻尾も嬉しそうに揺れる。 今日のこはくは、朝からずっと機嫌がよかった。 なぜなら、屋敷のおやつに、世にも珍しい「れいんぼぅぷりん」なるものが用意されていると聞いていたからだ。 それは七色の層に分かれた、たいそう美しい甘味らしい。上から順に味が違い、ひと匙ごとに異なる幸福が訪れるという。そんな話を聞かされて、甘味好きのこはくが落ち着いていられるはずもなかった。 ところが。 こはくが座敷へ駆け込み、卓の上を見た瞬間――その表情から、期待が音を立てて消えた。 空っぽの器。 銀の匙だけが、何事もなかったかのように横たわっている。 「のじゃー! わちしのれいんぼぅぷりんなるものがぁ……!」 こはくの叫びが屋敷中に響き渡った。狐耳は怒りで逆立ち、尻尾はぶわっと膨らむ。 「誰じゃ、誰が食べたのじゃ! あれほど楽しみにしておったというに! この恨みは絶対に晴らしてやるのじゃ! 絶対に逃がさないのじゃ!」 その声に応じるように、廊下の向こうから妙な光が近づいてきた。 虹色の光だった。 赤、青、緑、黄色、紫。ありとあらゆる色が混ざり合い、夕暮れの屋敷を昼間のように照らしている。その中心にいたのは、何も考えていないような顔をした、小さな少女だった。 スズメである。 年のころは八歳ほど。全身が頭のてっぺんから足元まで虹色に発光しており、その光の原因は誰にもわからない。本人も気にしていないらしく、いつも通りぼんやりと歩いていた。 こはくは目を細めた。 「……怪しいのじゃ」 スズメは立ち止まった。 そして口を開いた。 「キュイーン!」 同時に、こはくの頭の中へ、あまりにも鮮明な声が響いた。 『ファミ〇キくださいキュイーン!』 「な、なんじゃと……?」 こはくは思わず両手で耳を押さえた。しかし、テレパシーは耳から入っているわけではない。脳へ直接流れ込んでくるため、遮ることができなかった。 『れいんぼぅぷりんは、ぷるぷるしていた。おいしかった。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「食べたのじゃな!?」 こはくが詰め寄ると、スズメは何も考えていない表情のまま、ゆっくり首を横へ傾けた。 「キュイーン!」 その動作に合わせ、屋敷中へ派手な効果音が響き渡った。 ――ドゴォン! 「なんじゃその音は!」 こはくの尻尾がびくりと跳ねた。 スズメは答えない。答えられない。代わりに、またテレパシーが流れ込んでくる。 『わたしは、れいんぼぅぷりんを見た。食べた。たぶん。おなかすいた。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「たぶんでは困るのじゃ! 犯人なら犯人らしく、堂々と白状せい!」 こはくは腕を組み、名家の娘らしい威厳を保とうとした。だが、相手はぽやんとした少女である。怒鳴られても、まったく動じていない。 スズメはしばらくこはくを見つめ、それから卓の空の器へ目を向けた。 また、効果音が鳴った。 ――ピンポーン。 まるで店に入ったときのような音だった。 『器。空っぽ。プリン。いない。事件。迷宮入り。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「迷宮入りにするでない! まだ始まったばかりじゃ!」 こはくは懐から小さな扇を取り出した。妖術を使えば、屋敷の中に残った匂いや気配をたどれる。犯人探しにはうってつけだ。 しかし、扇を開いた瞬間、スズメの身体がまばゆく光った。 ――ジャーン! 「まぶしいのじゃー!」 こはくは目を細めた。スズメの発光は普段から眩しいが、驚いたり動いたりすると、なぜか一段と強くなるらしい。 『まぶしい。わたしもそう思う。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「自覚はあるのかえ!?」 こはくは気を取り直し、器に残ったわずかな香りを探った。甘く、柔らかく、果物のような匂い。七色の層が混ざり合った、複雑で魅惑的な香りである。 匂いは廊下の先へ続いていた。 「ふむ……犯人はあちらへ逃げたようじゃ。スズメ、ついてくるのじゃ!」 こはくが歩き出すと、スズメも無言でついてきた。 ――ドドドドドドドド! 「歩くだけで何ゆえそのような音が鳴るのじゃ……」 『歩いている。音が鳴る。ふしぎ。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「そなたが言うでない!」 二人は台所へ入った。そこには使用人たちが忙しそうに働いていたが、こはくが入ってくるなり、皆そろって気まずそうに目を逸らした。 こはくはそれを見逃さなかった。 「皆、何か知っておるのじゃな?」 問いかけると、誰もが口ごもる。そのとき、スズメが調理台の下を指さした。 「キュイーン!」 ――ガガーン! 『あそこに、何かある。たぶん。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「よし、そこじゃ!」 こはくがしゃがみ込むと、台の下から見つかったのは、空になった大きな器だった。器の内側には、虹色のぷりんの跡がほんの少し残っている。 こはくの目が鋭くなった。 「やはりここで食べたのじゃな! 誰じゃ、白状せい!」 使用人たちは互いに顔を見合わせた。 やがて、年長の侍女が恐る恐る手を挙げた。 「申し訳ございません。実は……れいんぼぅぷりんは、最初から一つしかなかったのです」 「な、なんじゃと?」 「料理人が試食用に切り分けようとしたところ、スズメ様が通りかかりまして……」 全員の視線がスズメへ集まった。 スズメはぼんやりと天井を見上げている。 『ぷりんがあった。きれいだった。スプーンを持った。食べた。とてもぷるぷるしていた。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「全部食べたのじゃなー!」 こはくの声が台所に響き、スズメの全身がさらに明るくなった。 ――パパパパパーン! こはくは頭を抱えた。 「わちしの楽しみを……わちしの、今日一日の希望を……」 耳がしおれ、尻尾も力なく垂れ下がる。怒りに燃えていたこはくの姿が、みるみるうちに悲しみに沈んでいった。 スズメはそんなこはくをじっと見た。 何も考えていないような顔だったが、しばらくすると、懐から小さな包みを取り出した。 ――テレレレレレレ。 『これは、さっき別の人からもらったもの。甘い。こはくにあげる。ファミ〇キくださいキュイーン!』 包みの中には、小さな金平糖が入っていた。色とりどりで、まるでれいんぼぅぷりんの代わりを申し出ているようだった。 こはくは目を瞬いた。 「……そなた、わちしにくれるのかえ?」 スズメはこくりとうなずいた。 「キュイーン!」 ――ポンッ。 こはくは金平糖を一粒つまみ、口へ運んだ。甘さが舌の上でほどける。れいんぼぅぷりんとは違う。違うけれど、それはそれで悪くなかった。 こはくの耳が、少しだけ持ち上がる。 「……うむ。これはこれで美味じゃ。じゃが、ぷりんを食べたことは許しておらぬからの」 『ごめんなさい。次は半分こ。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「半分ではなく、わちしに多めに分けるのじゃ」 『多め。わかった。こはくが七。わたしが三。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「よい心がけじゃ!」 こはくは満足そうに胸を張った。使用人たちもほっとしたように笑い、料理人はさっそく次の甘味を用意すると約束した。 ただし、次からは必ず二つ以上作ること。そしてスズメには、食べる前に誰かへ確認すること。 その日の夕暮れ、こはくとスズメは縁側に並んで座り、金平糖を少しずつ食べた。スズメが動くたびに大げさな効果音が鳴り、虹色の光が庭の草木を染めている。 こはくは呆れながらも、隣にいる少女をちらりと見た。 「そなたは、まことに変わった娘じゃのう。何を考えておるのか、さっぱりわからぬ」 『わたしも、こはくが何を考えているか、少しわからない。怒ったり、悲しんだり、すぐ甘いものを食べたりする。面白い。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「わちしは面白がられるためにおるのではないのじゃ!」 そう言いながらも、こはくは笑っていた。 スズメは相変わらず無表情だったが、虹色の輝きがどこか穏やかに見えた。 こはくから見たスズメは、予測不能で、眩しくて、騒がしくて、食べ物を見つけると何でも口に入れてしまう困った娘だった。それでも、悲しむ相手に自分のお菓子を差し出せる、どこか素直で優しい子でもある。 一方、スズメから見たこはくは、怒る、泣く、喜ぶ、甘いものを欲しがる、とても忙しい狐の娘だった。けれど、隣にいると声や表情がたくさんあって、退屈しない。だから、また一緒に甘いものを食べてもいいと思っていた。 『こはく。次のぷりん、楽しみ。ファミ〇キくださいキュイーン!』 「うむ。今度こそ、わちしが一番に食べるのじゃ!」 縁側に、こはくの笑い声と、スズメの鳴き声が響いた。 「キュイーン!」 ――そして、屋敷のどこかで、また盛大な爆発音が鳴った。