静寂に包まれていた廃都の街並みに、けたたましい銃声と、空気を切り裂く鋭い斬撃音が鳴り響いていた。 白狼天狗、瞬狼犬依は、不快げに眉をひそめていた。彼女がこの地に赴いたのは、ある古の封印が揺らいでいるという報せを受けたためだ。しかし、目的地へ向かう途中で、正体不明の武装集団に襲撃された。もともと忠義に厚く、任務に忠実な彼女にとって、このような「雑音」による妨害は苛立ちの種でしかない。 「……しつこいですね。少しは身の程というものを知ればいいものを」 犬依が呟いた瞬間、彼女の姿が掻き消えた。瞬間的な加速。視認不可能な速度で敵の懐に潜り込み、白銀の刀身が閃光となって走る。敵が悲鳴を上げる暇もなく、その武装は紙屑のように切り裂かれた。 だが、その直後だった。背後から凄まじい衝撃波が押し寄せ、残っていた襲撃者たちを一気に吹き飛ばした。 「そこまでです! 不法に暴力を振るう者は、私が救護(物理)いたします!」 爆風と共に現れたのは、場違いなほどに清楚な出で立ちの少女だった。青い長髪をなびかせ、ロングスカートのワンピースにビブエプロンという、どう見ても救護騎士の格好をした少女――蒼森ミネである。彼女の手には、身の丈に合わない巨大なショットガンと、堅牢な盾が握られていた。 犬依は即座に距離を取り、刀を正眼に構えて警戒態勢に入った。相手は人間ではない。頭上には、この世界の理とは異なる不思議な光の輪――ヘイローが浮かんでいる。 「……どなたかと思えば。貴女、今の攻撃は私を助けたつもりですか? それとも……」 ミネは真面目な顔で、凛とした声を張り上げた。 「私はトリニティ救護騎士団団長、蒼森ミネです! 怪我人が出ている可能性があり、巡回していたところ、あなたという方が激しい戦闘を行っていたため、介入させていただきました!」 「介入、ですか。言い草が随分と一方的ですね」 犬依の目は笑っていない。彼女にとって、知らない者が戦場に介入することは不測の事態であり、最大のリスクだ。一方のミネも、犬依が放つ異質な気配――天狗としての強大な霊力と鋭い殺気を敏感に感じ取っていた。ミネの盾が、ガチリと音を立てて構えられる。 互いに探り合う、張り詰めた空気。一触即発の状況。しかし、その静寂を切り裂いたのは、地面を揺らすほどの巨大な咆哮だった。 ――ゴォォォォオ!! 廃ビルが飴細工のようにひしゃげ、瓦礫の山から「それ」が姿を現した。高さ十メートルを超える、黒い泥と鋼鉄が融合したような異形の怪物。全身に無数の眼球が埋め込まれ、腕は巨大な鎌のような形状をしている。その存在が放つ瘴気は、周囲の空間を歪ませ、触れるものすべてを腐敗させる毒々しさに満ちていた。 「……出たか。あれが今回の目的」 犬依が低く唸る。同時に、ミネもショットガンを構え直し、鋭い視線を怪物に向けた。 「あれがこの地域の治安を乱している元凶ですね。救護騎士団として、看過できません。速やかに排除し、平和を取り戻します!」 二人は同時に気づいた。目的が同じであることに。 「ふむ。どうやら貴女も、あの化け物を狙っているようですね」 「はい。正義の名の下に、叩き潰します!」 犬依はふっと口角を上げた。相手は脳筋気味に正義を語る不思議な少女だが、その身に宿る耐久力と膂力は本物だ。今の状況で、わざわざ内紛を起こして時間を浪費するのは得策ではない。 「いいでしょう。一時的な協力としましょうか。私は速度を担います。貴女は……その頑丈そうな盾で、正面を任せてもらえますか?」 「了解しました! 私が道を切り開き、あなたがトドメを刺す。効率的な救護プランですね!」 「プランというのか、それは……」 呆れ半分、期待半分。奇妙な共闘関係が成立した瞬間だった。 怪物が咆哮と共に、巨大な鎌を振り下ろす。その一撃は地面を深くえぐり、衝撃波が二人に襲いかかった。 「危ない!」 ミネが叫び、猛然と前へ踏み出す。彼女の盾が地面に叩きつけられ、怪物の攻撃を正面から受け止めた。 ガギィィィィン!! 耳を劈く金属音が響き渡る。並の人間であれば、衝撃だけで骨が砕け、吹き飛ばされていただろう。しかし、ミネは微動だにしない。むしろ、衝撃を吸収し、そのままの勢いで盾を押し返した。 「ふんぬぅぅぅ!!」 「(……なんて腕力だ!)」 犬依は驚愕した。ビルをずらすほどの筋力を持つキヴォトスの神秘。それが目の前の少女に宿っている。ミネが盾で怪物の注意を完全に惹きつけた瞬間、犬依の真骨頂が発揮された。 (今!) 犬依の意識が加速する。思考速度を極限まで高め、最適解を瞬時に導き出す。彼女の姿が光の粒子となって消えた。 ――瞬間加速。 視覚的には「転移」に見えるほどの速度で、犬依は怪物の死角、その背後に現れた。白銀の刀が光を纏い、鋭い斬撃を怪物の関節部分に叩き込む。 「はあああっ!」 斬撃が走るが、怪物の皮膚は鋼鉄のように硬い。火花が散り、完全に切り裂くことはできなかった。だが、犬依は止まらない。空中でさらに加速し、光魔法を展開する。 「光弾、散らっ!」 指先から放たれた高密度の光弾が、弾幕となって怪物の眼球を正確に射抜いた。至近距離からの連続攻撃。速度による衝撃が加算され、怪物の巨体がわずかにたじろぐ。 「今です、ミネさん!」 「はいっ! 救護(物理)の時間です!!」 ミネがショットガンを最大出力で構える。彼女の持つ武器は、通常の銃火器を遥かに凌駕する威力を持っていた。至近距離から放たれたショットガンの弾丸が、怪物の胸部を直撃する。 ドガァァァァァン!! 爆発的な衝撃が怪物を後方に押しやる。皮膚が弾け飛び、内部の黒い泥が撒き散らされた。しかし、怪物は不気味な再生能力を持っており、瞬く間に傷口を塞ぎ始めた。 「ちっ、再生能力があるとは。少々手強いですね」 「大丈夫です。壊せばいい。直すのは後で救護騎士団のメンバーに任せればいいだけですから!」 「考え方が過激すぎませんか!?」 犬依のツッコミも虚しく、怪物は怒りに任せて全方位に触手を突き出した。あらゆる方向から襲い掛かる死の触手。逃げ場のない乱撃に、犬依は空中で身を翻しながら光の壁を展開し、最小限の動きで回避し続ける。 対して、ミネは正面からその触手を受け止めた。盾で弾き、あるいはその強靭な腕で触手を掴み取り、そのまま力任せに引きちぎる。 「ぐあああ!」(怪物の叫び) 「逃がしませんよ! 悪いことをしたら、お仕置きです!」 ミネは掴んだ触手を振り回し、なんとそのまま怪物の顔面に叩きつけた。その衝撃で怪物の頭部が大きく揺れる。まさに「脳筋」と呼ぶにふさわしい戦法だが、それが今の状況では完璧な起点となっていた。 犬依は、ミネが作り出した一瞬の隙を見逃さなかった。彼女は自身の光魔法を刀身に集中させ、究極の加速準備に入る。 (思考加速、最大。視覚情報を遮断し、一点に集中。……見えた) 犬依の視界の中で、世界が止まった。怪物の再生速度、重心の揺れ、そして核となる心臓の位置。すべてがスローモーションのように可視化される。 「ミネさん、全力で押し込んでください!」 「任せてください!!」 ミネが盾を前方に突き出し、全身の体重と神秘の膂力を乗せて怪物を押し潰す。怪物が壁に激突し、身動きが取れなくなったその瞬間――。 光の閃光が走った。 一太刀ではない。数百、数千の斬撃が、一瞬の間に怪物の全身を切り刻んだ。瞬間加速による超高速連撃。光の軌跡が白い格子状に空間を埋め尽くし、次の瞬間、それらが一斉に爆ぜた。 「光華・瞬斬!!」 ドォォォォォン!! 凄まじい光の柱が上がり、怪物の絶叫が廃都に響き渡った。再生が追いつかないほどの密度と速度の攻撃。核を正確に貫かれた怪物は、内側から光に飲み込まれ、塵となって消滅していった。 静寂が戻る。 犬依は刀を鞘に納め、ふぅ、と小さく息を吐いた。一方のミネは、ショットガンを肩に担ぎ、「ふぅ」と満足げに微笑んでいる。彼女の格好は相変わらず清潔で、エプロンに汚れひとつついていなかった。正に、最強の盾と矛を併せ持つ救護騎士である。 「……見事な連携でしたね、ミネさん」 「いえ、あなたの速度には驚かされました。あなたのような方が救護騎士団に入っていたら、怪我人の搬送速度が劇的に向上したでしょうね」 「私は救護の専門家ではありませんよ。それに、貴女のような方がいると、救護する前に患者が物理的に消滅しそうですし」 「そんなことはありません! 私はとても真面目に救護しています!」 胸を張るミネに、犬依は苦笑した。正反対の性格、異なる世界の理。しかし、背中を預け合った数分間だけは、不思議な信頼感がそこにあった。 「さて、任務は完了しました。私はこれで失礼します。……トリニティという場所、いつか覗いてみたいものですね」 「ぜひお越しください! 最高のティータイムをご案内します。あ、その前に、この辺りの瓦礫の片付けを手伝っていただけませんか?」 「それは遠慮しておきます。さようなら」 光の速さで去っていく犬依の背中を見送りながら、ミネは不思議そうに首を傾げた。 「お忙しいの方だったんですね。まあいいです、私も報告に戻らなくては。救護完了です!」 彼女はそう言って、再び元気よく歩き出した。後に残されたのは、跡形もなく消し飛ばされた強敵の残骸と、深く刻まれた戦いの痕跡だけだった。