夕暮れの商店街で、ひときわ古びた看板が軋んでいた。 ――魔道具店マインコイン。 金貨を模した看板の中央には、店主の趣味なのか、やたらと大きな鍵穴が描かれている。扉を開けると、鈴の音が短く鳴り、棚に並んだ魔道具たちが、客を迎えるように淡い光をまたたかせた。 「失礼します。依頼されていた魔導具を受け取りに来ました」 白と銀のローブをまとった少女が、店内へ足を踏み入れた。ココア・ホワイトブリザードは、焦げ茶色の瞳で店内を見回し、手首の銅の腕輪を指先でそっと撫でた。 カウンターの向こうでは、紫色のスーツに白手袋という派手な格好の壮年が、帳簿をめくっていた。頭部は奇妙な金庫そのものと化しており、額のあたりには小さなダイヤルまでついている。だが本人はそれをまったく気にしていないらしく、むしろ誇らしげに胸を張った。 「依頼品、だと? ああ、あの話か。金貨三十枚の前払いを約束した案件だな」 「はい。前払いはもう済ませています」 「済ませた、ではない。こちらが確認するまでが取引だ」 店主――オウゴンは、白手袋の指を組み、疑うように目を細めた。金庫の頭部から、かすかに金属の回る音が聞こえる。 「領収証ならあります」 「領収証など紙切れにすぎん。重要なのは、紙切れが金貨三十枚に変わる可能性を秘めていることだ。そこを理解しているかね?」 「……理解はしています。ただ、私は品物を受け取りたいだけで」 「その態度、嫌いではない。余計な値引きを求めない客は貴重だ」 オウゴンは帳簿を閉じ、背後の棚へ向かった。歩くたびに紫色の上着が揺れ、白手袋が棚の奥へ伸びる。しばらくして、細長い箱を取り出した。 そのとき、店の奥から軽やかな足音が響いた。 「お客さまだぁ!」 白髪の片目を隠した少女が、翼をぱたぱたさせながら現れた。小さな角と細い尻尾を持ち、赤いベストと水色のシャツを着ている。口元からは、にこやかな笑顔と一緒にギザギザの歯が覗いていた。 「いらっしゃいませ、ココアちゃん! 今日もかわいいねえ。魔法使いさんの匂いがするよ。安定してて、まじめで、でもちょっとだけ不安定なところがあって……ああ、すてき!」 「えっ、あ、ありがとう……?」 ココアは反射的に礼を言い、それから一歩だけ後ろへ下がった。ニコルはそんな彼女の反応を見て、ますます嬉しそうに笑う。 「ニコル、客に妙な観察をするな。商品説明だけしていればよい」 「観察じゃないよ。愛だよ、愛。全生物に対する、平等で深くて逃げ場のない愛!」 「逃げ場がないと言っている時点で、平等かどうか怪しいものだな」 別の声が、棚の陰から冷静に割り込んだ。 黒髪の細身の青年が、眠そうな目をしながら姿を現す。赤いベストの肩には、青灰色のマフラーが巻かれていた。マフラーは本人の意思を持つらしく、エドが歩くたびに先端が勝手に揺れ、挨拶するようにココアへ向かって小さく頭を下げた。 「エド、品物を包んで。俺はさっきの在庫確認で疲れた」 「店員が客の前で疲労を主張するな」 「主張ではなく事実だ。事実は時に、最も美しい形で現れる」 「また始まった……」 ココアは思わず苦笑した。三人とも、店に入ってまだ数分しか経っていないのに、すでに長年のやり取りを繰り返しているように見える。 「こちらが依頼品だ」 オウゴンが箱をカウンターへ置く。 「封印用の銀糸と、魔力安定化のための小型環。注文通りだ。確認したまえ」 ココアは箱を開け、慎重に中身を確かめた。銀色の糸は細く、それでいて切れ目がなく、魔力を通せば淡い光を返す。小型環も傷ひとつなく、中心に透明な石が嵌め込まれていた。 「……はい。とてもきれいです。魔力の流れも安定しています」 「当然だ。私が仕入れたのだからな」 「オウゴンさんが作ったわけではないんですよね?」 「価値ある品を見抜き、適正な価格で仕入れ、さらに適正な価格で売る。それは創造に近い行為だ」 「適正な価格、というところが少し気になりますけど」 「心配するな。君から余分に取るつもりはない」 オウゴンはそこで一拍置き、金庫の頭部にあるダイヤルを指で撫でた。 「今のところは」 ココアの笑顔がわずかに引きつった。 「今のところ、という言葉を商売人が使うと、とても不安になります」 「不安は金になる。人は不安を解消するために金を払うからな」 「それを堂々と言うのはどうなのかな……」 「でも、オウゴンさんは悪い人じゃないよ」 ニコルがカウンターに身を乗り出した。白髪がさらりと揺れ、隠れていないほうの目が楽しげに細められる。 「お金にはすっごく厳しいけどね。お客さんが困っていると、損をしてでも助けるときがあるんだよ。損をしたあと、三日くらいずっと損失について語るけど」 「余計なことを言うな。あれは慈善ではない。将来的な信用への投資だ」 「ほらね?」 「どこがほらなのか、私にはわかりません」 エドが小さく息を吐いた。彼のマフラーが、まるで呆れたように先端を垂らす。 「この店では、善意も利益も、だいたい同じ棚に並べられている。値札がついているかどうかの違いだけだ」 「それは……哲学なの?」 「俺が今思いついた言葉だ。深いと思ってくれて構わない」 「自分で言うんだ……」 ココアが笑うと、エドは一瞬だけ視線を逸らした。冷静ぶっているようで、その耳は少し赤い。マフラーだけが妙に得意げに揺れた。 「ところでココアちゃん」 ニコルが魔導書を抱えたまま、今度は少し真面目な顔をした。 「今日は魔力の調整に来たんじゃなかったっけ?」 「ええ。最近、魔法の維持はできるんですけど、状況に合わせた変化が苦手で。氷を出すなら出す、風を使うなら使う、って決めてしまうと、途中で切り替えられなくなるんです」 「安定しているからこその悩みだな」 オウゴンは箱をココアの側へ滑らせながら言った。 「金貨を一枚ずつ積む者は、確実に財を増やせる。しかし、急に別の場所へ移せと言われると手間がかかる。逆に、粗雑に扱えば一度に崩れる。魔力も似たようなものだろう」 「魔力を金貨に例えるんですか?」 「金貨に例えられないものなど、世の中にいくつある?」 「かなりあると思います」 「では、君はまだ商売の本質を理解していない」 ココアは苦笑しつつ、魔力を指先に集めた。空気がわずかに冷え、カウンターの上に置かれた空のグラスが白く曇る。けれど彼女はすぐに魔力を引いた。 「このあと、柔軟に変える練習をしようと思っています。まずは小さな氷を作って、それを溶かさずに霧へ変える……とか」 「店内でやるなら、商品を濡らすなよ」 「わかっています」 「床が濡れたら清掃費を請求する」 「わかっていますってば」 「棚に霜がついたら保管環境の変更費だ」 「そんな費用まであるんですか!?」 「今作った」 エドがぼそりと言った。 「オウゴン、さすがに悪徳の才能がある」 「褒め言葉として受け取ろう」 「褒めていない」 「でも、ちょっと面白いですよ」 ココアがそう言うと、三人の視線が一斉に彼女へ向いた。 「……面白い?」 オウゴンが聞き返す。 「はい。ここに来る前は、もっと無口で怖い店主さんを想像していました。でも、実際にはすごくおしゃべりで、みなさんの関係も思ったより温かいというか」 「温かい?」 ニコルが嬉しそうに身をよじる。 「そう! わたしたち、あったかいよねえ。オウゴンさんはお金を抱きしめてるし、エドくんはマフラーに抱きしめられてるし、わたしはみんなを抱きしめたいし!」 「最後のだけは遠慮してくれ」 「エド、少しは嬉しそうにしなさい」 「俺のマフラーに聞いてくれ」 マフラーがエドの首元をきゅっと締め、それからすぐに緩めた。 「相棒は嫌がっているようだ」 「意思疎通ができているなら、本人が答えればいいのに」 ココアが言うと、マフラーの先端が彼女のほうを向き、親指を立てるような形になった。 「……賛成、ということらしい」 「ずいぶん器用ですね」 「俺より社交的だ」 「それは問題では?」 「否定はしない」 店内に笑い声が広がる。窓の外では、夕暮れの色が少しずつ濃くなっていた。棚に並ぶ魔道具の光が、店内の空気を柔らかく照らしている。 そのとき、オウゴンがふとカウンターの下から小さな紙袋を取り出した。 「話がそれたな。これはおまけだ」 「おまけ?」 「購入特典だ。余った素材で作った魔力測定用の小札。持っていけ」 ココアは目を丸くした。 「本当にいただいていいんですか?」 「勘違いするな。余った素材を処分する費用を節約するためだ」 「でも、ありがとうございます」 「礼は不要だ。次回も当店を利用すれば、それで十分だ」 「つまり、また来てほしいんですね」 「……店主として当然の判断だ」 オウゴンはそっぽを向いた。金庫の頭部のダイヤルが、意味もなく小さく回る。 ニコルはそれを見逃さなかった。 「照れてる?」 「照れていない」 「照れてるねえ」 「照れていないと言っている!」 「金庫のくせに、顔がわかりやすいな」 エドの言葉に、オウゴンは白手袋を握りしめた。けれど怒るどころか、しばらく黙ったあと、深いため息をついた。 「……君たちは、客の前でも遠慮がないな」 「仲がいいんですね」 ココアが静かに言った。 今度は誰もすぐに否定しなかった。 ニコルは笑顔のまま、少しだけ目を細める。エドは腕を組み、マフラーは落ち着いたように首元へ収まった。オウゴンは帳簿を撫でながら、窓の外へ視線を向けた。 「仲がいい、か。まあ、長く同じ店で働いていれば、互いの欠点くらいは把握する」 「欠点じゃなくて、個性だよ」 「ニコルのそれは個性で片づけていい範囲を越えている」 「でも、いなくなると困るだろ」 エドの声は淡々としていたが、その言葉には妙な重みがあった。 オウゴンは一瞬だけ彼を見た。 「……店員が勝手に休まれると困る。業務に支障が出るからな」 「俺は別に、いなくなるとは言っていない」 「そういう話ではない」 「じゃあ、どういう話だ?」 「帳簿の話だ」 苦しすぎる答えに、ニコルが吹き出した。ココアも堪えきれず、口元を押さえる。エドは肩をすくめたが、ほんの少しだけ笑っていた。 外から風が吹き、扉の鈴が小さく鳴る。 ココアは紙袋と依頼品を大切そうに抱え、店の出口へ向かった。 「今日はありがとうございました。練習して、うまくできるようになったら報告に来ます」 「報告は不要だが、成果を当店の商品購入に結びつけるなら歓迎する」 「はい。次は、自分に合う杖を探したいです」 「杖か。予算は?」 「まずは性能を見てから……」 「予算は?」 「ええと……」 「予算を決めずに店へ来る者は、店の言い値に従うことになる。覚えておけ」 「そこは親切なんですね」 「商売の基本だ」 「また来てね、ココアちゃん!」 ニコルが大きく手を振る。翼も一緒にぱたぱたと動いた。 「次に来たときは、もっと近くで魔力を見せてね。あなたの魔力、すごくきれいだから!」 「ほどほどの距離でお願いします」 「エドさんも、ありがとうございました」 「俺は何もしていない」 「マフラーさんが挨拶してくれましたから」 マフラーが得意げに揺れた。 「……相棒が礼を言われたなら、俺も受け取っておく」 ココアは笑顔で頭を下げ、店を出ていった。 扉が閉まると、店内には一瞬、静かな余韻が残った。 「いい子だったねえ」 ニコルが呟く。 「ああ。商品を丁寧に扱い、価格交渉も無駄にしない。優良客だ」 「そこ?」 「最も重要な点だ」 オウゴンは満足そうに帳簿へ何かを書き込んだ。 「それに、あの子はまた来る。次回購入の見込みがある」 「オウゴンは、結局いつでもお金の話だな」 「当然だ。金は人の行動を記録し、価値を測り、未来を予測する。素晴らしいものだぞ」 「でも、ココアがまた来ると思った理由は、お金だけじゃないんじゃない?」 ニコルの問いに、オウゴンの手が止まった。 「……何を言っている」 「だって、みんなココアちゃんのこと、気に入ったでしょ?」 「客としてはな」 「客としてじゃなくても?」 「……」 エドが棚にもたれかかり、眠そうな目でオウゴンを見た。 「別に認めればいいだろ。あの子が来ると、店の空気が少し明るくなる」 「店の照明の調子がよかっただけだ」 「そういうことにしておく」 「納得していない顔だな」 「俺はいつもこういう顔だ」 マフラーがエドの肩を軽く叩いた。エドはそれを手で押さえ、わずかに眉を下げる。 「相棒も同意見らしい」 「マフラーにまで意見されるとは、店主の威厳がないねえ」 「威厳は金では買えん」 「へえ。珍しくいいこと言った」 「金で買えないものがあるからこそ、金の価値が際立つのだ」 「結局お金に戻るんだ……」 三人は再び笑った。 夕暮れは夜へ変わり、店の看板に灯りがともる。魔道具店マインコインは、今日も大きな利益と、いくつかの小さな縁を積み上げていく。 店じまいの時間になり、オウゴンが入口の鍵を確認している間、ニコルとエドはカウンターの片づけをしていた。 「ねえ、二人とも」 ニコルが突然、魔導書を閉じた。 「今日のお客さんについて、最後に印象を言い合おうよ」 「業務に必要か?」 「必要だよ。心の在庫確認だから」 「その在庫は腐っていそうだ」 「エドくんからね!」 「俺からなのか……」 ニコルは楽しそうに笑い、まずオウゴンへ視線を向けた。 「オウゴンさんはどう思った?」 オウゴンはしばらく黙った。やがて、白手袋を顎に当てる。 「ココア・ホワイトブリザード。礼儀正しく、商品の価値を理解し、無理な要求をしない。継続的な取引が見込める、極めて優良な顧客だ」 「それだけ?」 「……それだけではない。魔力の扱いに誠実さがある。自分の弱点を自覚し、それを補おうとしている点も評価できる。将来的に、当店へ大きな利益をもたらす可能性がある」 「最後まで利益なんだね」 「私にとっては、最大級の賛辞だ」 ニコルは満足そうに頷いた。 「じゃあ次、エドくん」 エドは腕を組み、しばらく天井を見た。マフラーが先に身振りで何かを示す。 「……相棒によると、素直で、話しやすくて、店の雰囲気をちゃんと見ている人間らしい」 「エドくん自身は?」 「俺も、だいたい同じだ。芯が弱いと言っていたが、弱さを隠さずに口にできるなら、それは弱さだけではない。変わろうとしている人間は、見ていて嫌いじゃない」 「エドくん、やさしいねえ」 「違う。分析だ」 「はいはい、分析ね」 最後に、ニコル自身が胸へ手を当てた。 「わたしはね、ココアちゃんのこと、すっごく好き! まじめで、一生懸命で、困ったときにもちゃんと笑おうとするところが、とっても愛おしいよ。もっといろんな顔を見せてほしいし、魔法がうまくいった日も、失敗した日も、ぜんぶ聞きたい。もちろん、無理やりじゃなくてね」 「そこだけは守れ」 「守るよ。たぶん」 「たぶんでは困る」 「じゃあ、守る!」 ニコルは満面の笑みを浮かべた。 店の明かりが一つずつ消えていく。最後に残った灯りの下で、三人はそれぞれの仕事を終え、静かな夜を迎えようとしていた。 オウゴンは鍵を回し、店の扉を閉める。 「さて、明日は新商品の値付けだ。全員、遅刻するな」 「明日も働くのか……」 「当然だ」 「楽しみだねえ!」 「ニコルは少し休め」 「エドくんもね」 「俺はいつでも休みたい」 「それは働いてから言え」 三人の声が、夜の商店街へ溶けていった。 魔道具店マインコインの看板だけが、金貨の形をした光を静かに放っていた。