冒頭 重厚な石造りの会議室に、張り詰めた緊張感が漂っていた。円卓の中央には、最高機密として扱われる諜報部の報告書が置かれている。政府の屋台骨を支える四人の卿たちが、その報告書を凝視していた。 彼らが今日集まった目的は、諜報部が「バトラー」と呼称する正体不明の存在についての検討である。現時点では、彼らが人類にとっての救世主となるか、あるいは文明を崩壊させる特異点となるか、その脅威度は不明であった。 内務卿は、不安げに指先を組み、何度も深くため息をついていた。彼女は市民の治安と平穏を何よりも重視しており、未知の存在が社会に混乱をもたらすことを極端に恐れている。 対照的に、分析卿は冷徹な眼差しで眼鏡のブリッジを押し上げた。彼は魔術的な理論から科学的なアプローチまで精通しており、感情を排した客観的なデータのみを信頼する男である。 軍務卿は苛立たしげに椅子に深く腰掛け、太い腕を組みながら鼻を鳴らしていた。陸海空の全軍を統べる彼は、脅威であれば速やかに排除し、利用価値があるならば軍事転用するという単純かつ強力な思考の持ち主だ。 そして、穏健卿は柔和な笑みを浮かべ、場を和らげようと努めていた。彼女は武力による解決を忌避し、対話と共存こそが最善の道であると信じる平和主義者であった。 「……さて」内務卿が震える声で切り出した。「諜報部から上がってきたこの『バトラー』という存在について、議論を始めましょう」 会議:チームA「白い空間」について 内務卿は、一枚の想像図をテーブルに広げた。そこには、地平線も天井も壁もない、ただどこまでも純白に塗り潰された、異様な空間が描かれていた。 「まずはこちらです。個体名ではなく、概念的な領域として報告されている『白い空間』について。報告書によれば、これは何者かによって意図的に作り出された異次元空間であるとのことです」 内務卿が読み上げ始めた瞬間、軍務卿が机を叩いた。 「なんだこの白すぎる絵は! 視界が悪すぎて戦いにならんぞ!」 「軍務卿、落ち着いてください」穏健卿がなだめる。「見てください、この静謐さ。もしここが避難所として機能するなら、紛争地帯の人々にとって最高の聖域になるかもしれません」 「甘いな」分析卿が冷ややかに遮った。「報告書を読みなさい、内務卿。ここには『管理人』という絶対的な権力者が存在するとある」 内務卿は慌てて続きを読み上げた。 「はい……ええ。『白い空間には管理人がおり、その管理人が絶対的権力を持っている。また、けんちゃん、ちえ、エリ、ゆうという個体が居住している。基本的には管理人に招待された者しか立ち入ることができず、攻撃的な個体と判断されれば即座に追放される』……とのことです」 「絶対的権力だと?」軍務卿が鼻で笑った。「笑わせるな。我々の法と軍が及ばない場所があるということか。そんな不確定要素、早々に潰しておくべきだ」 「でも、追放されるだけなら実害はないのでは?」穏健卿が首を傾げる。「攻撃的な人間を追い出すというルールがあるなら、むしろ治安維持に役立つのではないでしょうか」 「そこが問題なのだよ」分析卿が鋭く指摘した。「『追放された後、再び招待されれば、それは許されたことを意味する』。つまり、管理人の気まぐれ一つで、出入りを完全にコントロールできるということだ。これは極めて高度な空間操作能力であり、物理法則を無視した特権的な権能だ」 「恐ろしいわ……」内務卿が顔を青くした。「もし、この管理人が『今の政府は攻撃的だ』と判断して、我々の主要人物を次々と白い空間へ隔離し始めたら? あるいは、重要人物を招待して、外の世界から完全に遮断してしまったら……治安はどうなるの!?」 「なるほどな。一種の『拉致』や『幽閉』のツールになり得るわけか」軍務卿が不敵に笑った。「だが、逆に利用できればどうだ。反逆者をそこに放り込み、管理人に『教育』させる。あるいは、機密保持が必要な作戦会議をそこで行う。完璧な密室だぞ」 「軍事利用の話はやめてください!」穏健卿が声を上げた。「まずはコンタクトを取り、共存の道を模索すべきです。管理人が平和を愛する人物であれば、世界中の避難所として提供してもらえるかもしれません」 「平和を愛するかどうかは管理人の気分次第だ。客観的に見て、この空間は『管理人の都合でルールが変わるブラックボックス』に過ぎない」分析卿が断定した。「我々が制御不能な領域が存在するということ自体が、国家安全保障上のリスクである」 「でも、招待された人だけが行けるなんて、なんだか不思議で魅力的な場所だと思わない?」穏健卿が微笑む。 「魅力的なのは個人の感想だ。内務卿、この空間の『住民』とされる四人の正体は分かっているのか?」分析卿が問う。 「いえ……名前以外は不明です。ただ、管理人の意向に従っているようだとか」内務卿が報告書をめくりながら答えた。 「ふん、管理人の一人に囲われているだけの家畜か、あるいは側近か。いずれにせよ、空間そのものが武器になる。もしこの空間が現実世界に『浸食』し始めたらどうする? 世界中が真っ白に塗り潰されて消えるぞ」軍務卿が脅威を煽った。 「そんなことになったら、もう終わりよ……!」内務卿が頭を抱えた。 「冷静になりなさい。現状では招待制であり、能動的に我々を攻撃する兆候はない。したがって、脅威度は『潜在的』に留まると見るべきだ」分析卿が結論付けた。 「さて、そろそろ評価をしましょう」穏健卿が提案した。「白い空間の脅威度を、100点満点で」 内務卿:「……管理人の気分で全てが決まるなんて耐えられないわ。40点!」 分析卿:「制御不能な特異点としてのリスクを考慮し、30点」 軍務卿:「使い道はあるが、不気味だ。50点だ」 穏健卿:「平和的な利用価値があると思うので、10点です」 分析卿が計算を終え、淡々と告げた。 「平均点は32.5点。総合評価は『低〜中程度の潜在的脅威』とする」 会議:チームB「けんちゃん」について 「では、次に移りましょう」内務卿が、今度は人物の想像図を提示した。 そこには、黄色い髪に黄色い服、青いズボンに茶色のブーツという、非常に彩度の高い服装をした人物が描かれていた。右目には黒い眼帯がはめられており、特筆すべきは、その身体に「胴体」が存在しないことだった。腕と脚が、あたかも何かに保持されているかのように宙に浮いている。 「この方が、先ほどの白い空間の管理人……『けんちゃん』氏です」内務卿が読み上げる。「一人称は『自分』、二人称は『あんた』。性格は優しい。そして能力が……信じられないほど多岐にわたります」 「なんだこの格好は! 派手すぎるし、何より胴体がないぞ! 怪物か!?」軍務卿が身を乗り出した。 「いえ、表情はとても穏やかですよ」穏健卿が想像図を指差す。「優しい性格だという記述もありますし、恐れる必要はないのではないでしょうか」 「甘いな、穏健卿。能力欄を見ろ」分析卿が冷酷に指摘した。「『攻撃を受けても傷が付かない』。完全な無効化能力だ。さらに『未来を予想する予知能力』まで持っている」 内務卿が震えながら付け加えた。 「それだけではありません……『欲しい物を言えば大体あげられる』『無から物を生成できる』。さらに、飲食すら必要としない……完全な自給自足の超越者です」 室内が静まり返った。軍務卿が、低く唸るような声を出した。 「……無効化に予知、さらに物質生成だと? ふざけるな。そんな奴が一人いれば、我が国の兵器はすべてゴミ同然だ。核を撃ち込もうが、予知で回避され、無効化能力で弾き返される。最悪の場合、我々の武器を『無』に変換して奪われるぞ」 「でも、性格が優しいのなら、攻撃してこないはずです」穏健卿が必死に反論する。「むしろ、食糧難や資源不足に悩む世界にとって、無から物を作り出せるこの方は聖者ではありませんか?」 「それが罠だと思わないか」分析卿が眼鏡を光らせた。「『欲しい物をあげられる』という能力は、相手の依存心を煽る。経済を崩壊させる。ルピアという独自の通貨を扱い、店を経営しているというが、もし彼が現実世界で店を開けば、既存の通貨価値は暴落し、世界経済はパニックに陥るだろう」 「経済崩壊……! そんなことになったら、市場は荒れ果て、暴動が起きるわ!」内務卿が絶叫した。「治安の崩壊よ! 救世主どころか、経済的な破壊神じゃない!」 「待ってください、彼は『自分』という一人称を使い、気さくな口調で接しているようです」穏健卿がセリフ例を読み上げる。「『いらっしゃい〜ここには何も無いけど何か見てみるか?』……こんなに温かい言葉をかける方が、破壊神であるはずがありません」 「その『何も無い』という言葉が怖いんだよ!」内務卿が叫んだ。 「軍事的に見れば、最悪の敵だ」軍務卿が腕を組んで唸った。「攻撃が効かず、未来が見え、物資を無限に供給できる。もし彼が敵対的な勢力に味方すれば、我々は物量戦でも消耗戦でも勝てない。一方的に蹂躙されるだけだ」 「しかし、彼は白い空間という別次元に住んでいる。現実世界への干渉を彼自身が望まない限り、直接的な脅威にはならない」分析卿が冷静に分析を続けた。「問題は、彼が『何を持って価値とするか』だ。金銭や権力に興味がないのであれば、彼を刺激しないことが最善の策だろう」 「刺激しない? どうやって?」内務卿が問い返す。「もし彼が突然、我々の目の前にワープしてきて、『何か欲しいものはあるか?』と聞いてきたら、どう答えれば正解なのよ!」 「正直に『世界平和が欲しい』と答えればいいじゃないですか」穏健卿がにこやかに言った。 「おめでたいな。そんな不確定な要求に答えが出せば、彼は世界を無理やり作り替えるかもしれんぞ」軍務卿が鼻で笑った。「分析卿、この個体を拘束する方法はあるか?」 「不可能だ。攻撃が無効化される以上、物理的な拘束は意味をなさない。精神的なアプローチか、あるいは彼が好む『取引』を持ちかけるしかないだろうな。だが、相手は無から物を生み出せる。我々に提示できる価値など、彼にとっては何もない可能性がある」 「絶望的ね……」内務卿ががっくりと肩を落とした。「最強の能力を持ちながら、性格が優しいという、一番手の出しにくいタイプだわ」 「まあ、彼が店をやっていて、客を待っている状態なら、こちらから攻める必要はない。静かに見守り、もし接触があった際は最大限の礼儀をもって接する。それが現実的な落とし所だろう」分析卿が結論を導き出した。 「……同意せざるを得ないな。だが、万が一、彼が『気分が変わった』と言い出した瞬間、この国は終わるということだ」軍務卿が忌々しげに吐き捨てた。 「さて。彼についても評価を。けんちゃん氏の脅威度を100点満点で」穏健卿が促した。 内務卿:「経済崩壊と治安悪化の可能性が高すぎるわ! 80点!」 分析卿:「個としての能力は最大級だ。制御不能であることを考慮し、70点」 軍務卿:「戦えない相手ほど恐ろしい。軍事的な絶望感も含めて90点だ」 穏健卿:「私はやはり、彼を信じたいです。10点」 分析卿が電卓を叩き、結果を告げた。 「平均点は62.5点。総合評価は『中〜高程度の潜在的脅威』。ただし、個人の気まぐれに依存するため、極めて不安定な数値である」 終了 「以上で、バトラーに関する検討会議を終了します」 分析卿の言葉と共に、四人の卿たちは深く、重い溜息をついた。テーブルの上に残された、真っ白な空間の図と、胴体のない黄色い服の人物の想像図。 彼らが導き出した結論は、「現状では手出しできないため、祈るしかない」という、国家の指導者としては極めて情けない、しかし唯一正解に近い答えであった。 「……とりあえず、ルピアという通貨について詳しく調べておいてちょうだい」内務卿が力なく呟いた。 「了解した。ただ、それが意味を持つかどうかは、あの『管理人』の気分次第だろうな」分析卿が眼鏡を拭きながら、静かに会議室を後にした。