小説:最短ルートと最悪の帳尻 血と硝煙が日常と化した都市。その路地裏は、常に誰かの恨みか、誰かの野心で塗り潰されている。そんな喧騒の中、一際不自然な速度で疾走する緑色の影があった。 「どいたどいたぁ! 宅配便のお通り! 配送遅延は死と同義! どいてどいてー!!」 ハヤテは叫んでいた。防寒具に身を包み、緑のコートをなびかせて、彼女は文字通り『最短経路』を突き進む。その手には、彼女の相棒であり、高性能AIが搭載されたアタッシュケース『ポルードニツァ』が握られていた。周囲で激しい抗争が起きようが、路地が瓦礫で塞がっていようが、彼女にとって重要だったのは「届け先にいかに早く到達するか」のみである。 しかし、その突き進む先には、ある「壁」が立ちはだかっていた。 「おっと。ずいぶんとお急ぎのようだねえ、お嬢さん」 軽快な、しかし芯に鋭さを秘めた声。そこには、白のマントを翻し、手には古びた帳簿と鎖を携えた女性――オペラが立っていた。彼女はこの界隈を支配する組織『中指』の末姉であり、その場にいるだけで周囲に緊張感を振りまく存在だ。だが、本人の表情は至ってフランクであり、むしろ楽しげですらあった。 ハヤテは急ブレーキをかけ、鼻先数センチのところで停止した。ゴーグルの奥の瞳が、不満げに細められる。 「あーもう! なんでこんなところに人が立ってるのよ! どいて! 今すぐどいて! 配送時間が一秒につき一円の損失なのよ!」 「あはは、せっかちな子だね。でも悪いけど、ここは今『中指』が帳尻合わせをしてる最中でね。関係ない人は立ち入り禁止。……ま、そのアタッシュケース、随分といい作りをしてるじゃない。どこかの協会製?」 オペラは興味深そうに目を細め、帳簿を指先で弄んだ。ハヤテは地団太を踏みながら、ポルードニツァをガチガチと鳴らす。 「トレス協会提供のキャリアよ! 触るな、汚れるわ! ほら、どいてってば! 通してくれたら、チップ代わりに飴でもあげるから!」 「チップねぇ。うちは『恨み』でしか報酬を受け取らない主義なんだよ。それに、ルールを無視して最短距離を突き進もうとする不届き者には、相応の『お仕置き』が必要だと思わない?」 オペラがにこりと笑う。その笑顔は親しみやすい姉貴分そのものだが、纏う空気は一変して冷酷な執行者のそれへと変わった。彼女にとって、自分のテリトリーを土足で踏み荒らそうとする者は、帳簿に記載されるべき「債務者」に等しい。 ハヤテは盛大なため息をついた。彼女にとって、会話による説得は時間の無駄である。短絡的な思考回路が、即座に「排除」という結論を導き出した。 「もー! 分かったわよ! どかないなら、無理やりどかすまで!」 ハヤテがアタッシュケースを操作し、次元鞄から取り出したのは、重量感のある工房製装備だった。しかし、オペラはそれを恐れるどころか、むしろ歓迎するように肩をすくめる。 「いいよ、いいよ。その意気だ。全力で来なさい。あんたが私に与えた『不快感』という名の負債を、どうやって返してくれるのか楽しみだね」 ハヤテは迷わず突撃した。直線的な、一切のひねりがない猛攻。だが、オペラはその攻撃を紙一枚の差で回避し、あるいはわざと軽く受けては、身体に刻まれた強化刺青をうっすらと光らせる。 「おっと、危ない。……ふーん、やっぱりいい速度だ。でもね、私の身体は『受ければ受けるほど』最適化されるんだよ」 「うるさい! 喋ってないでどきなさいよ!」 「あはは! 怒った顔も可愛いね! でも悪いけど、即刻処刑ね!」 オペラが軽やかにステップを踏み、ハヤテの懐に飛び込む。その動きは、先ほどまでのゆったりとした口調からは想像できないほど鋭く、強固だった。鎖がジャラリと鳴り、ハヤテの進路を塞ぐ。物理的な壁となって立ちはだかるオペラに、ハヤテは苛立ちを頂点にまで高めた。 「もういい! ポルードニツァ、最短ルートを再計算して! この女をどかすための最短効率的な方法を出しなさい!」 『計算完了。対象の心理的脆弱性を突くか、物理的に排除することを推奨します』 AIの声に、ハヤテはニヤリと笑った。彼女はふと思い立ち、装備をしまった。そして、全力でオペラの懐に飛び込み、その腕をぎゅっと掴んだ。 「えっ?」 不意を突かれたオペラが、きょとんとした表情を浮かべる。暴力ではなく、まさかの「密着」。 「あんた、結構いい匂いするわね! どこでその香水買ってるのよ! 教えてくれたら、ここを通らせてもらうっていう条件で、私の配送ルートの裏技を一つ教えてあげるわ!」 「……はあ!?」 オペラは人生で初めて、会話の主導権を完全に奪われた感覚に陥った。勝ち気で喋り好きな彼女だが、ここまで短絡的かつ強引に話題を転換されるとは予想していなかった。あまりの脈絡のなさに、つい拍子抜けして笑い出してしまう。 「あははは! あんた本当に最高にB級ね! いいよ、教えてあげるよ。これは特製の調合でね……」 「よし! 決まり! じゃあ、どいて! 宅配便のお通りー!!」 条件が成立した瞬間、ハヤテはオペラを突き飛ばすようにして(あるいは、弾き飛ばして)全力で走り去った。背後から「ちょっと! まだ話が終わってないでしょ!」というオペラの叫びが聞こえてきたが、ハヤテは振り返らない。 「配送完了まであと三分! 急げーっ!!」 嵐のように現れ、嵐のように去っていった緑色の少女。オペラは呆然と自分の腕を見た後、ふっと口角を上げた。帳簿に書き込むべき怨恨は増えなかったが、代わりに奇妙な充足感が胸に残っていた。 「全く……。あんな奴に振り回されるなんてね。まあいいか、たまにはこういう『帳尻の合わない』時間があっても悪くない」 オペラは軽快な足取りで、再び自分の「家族」たちが待つ場所へと歩き出した。路地裏に、彼女の朗らかな笑い声がしばらくの間、響いていた。 【お互いに対する印象】 ハヤテ → オペラ 「なんか強そうだし怖そうだけど、話せば案外いい奴。でも道を塞ぐのは絶対にNG! 次に会ったらもっと速く追い抜いてやるんだから!」 オペラ → ハヤテ* 「めちゃくちゃにせっかちな乱暴者。でも、あの突き抜けた短絡さは嫌いじゃないね。たまに遊びに来てほしいくらい。……あ、でも次はちゃんと通行料(お菓子か何か)を請求しようかな」