夜の帳が降りた廃墟の公園。崩れかけたベンチに腰かけていたシノは、月明かりに白い髪を揺らしながら、ゆっくりと顔を上げた。前髪の隙間から覗く赤い瞳が、闇の中でぼんやりと光る。 「……こんな時間に、人がいるなんて珍しい」 声の主は、制服姿の少女だった。銀色の長い髪が夜風になびき、銀色の瞳がまっすぐにシノを見つめている。背中のリュックサックには、スケッチブックらしき膨らみが見えた。 「ぼくは藤村銀。この辺りで、ある噂を追っている」 淡々とした口調で告げると、銀は一歩、シノに近づいた。その足取りには一切の迷いがなく、まるで最初から目的地がここだと知っていたかのようだった。 シノは答えず、ただ黒い翼をわずかに広げた。ローブの裾が夜気に揺れ、足元の影が濃くなる。 「……罪の匂いがする。あなたは、何を背負っているの」 「ぼくが背負っているのは、幾度となく繰り返してきた絶望だ。けれど、それはもう乗り越えた」 銀の言葉には、確かな重みがあった。過去に何度も膝をつき、それでも立ち上がってきた者だけが持つ静かな強さ。シノの赤い瞳が、初めてわずかに揺れた。 「……絶望を乗り越えた人間は、初めて見た。罪人は、死をもって償わなければならない。でも、あなたは……違うみたい」 「罪の話をするなら、まずは君の正体を聞かせてほしい。ぼくには、君がただの人間ではないように見える」 銀は小さくため息をつくと、ベンチの端に腰を下ろした。シノは少し迷ったあと、同じベンチの反対側に静かに座る。夜の公園に、二人の間の沈黙だけが流れた。 「……私は、死が近い者を安楽死させ、悪人には苦しみを与えて償わせる。それが、私に課された使命」 「なるほど。ぼくの刀が、君のような存在を斬るためのものなのかもしれないな」 銀が膝の上に置いた手を、わずかに握りしめる。その様子を見て、シノは小さく首を傾げた。 「あなたは……私を斬るの?」 「まだ決めていない。君が罪人ならば、ぼくは迷わない。でも、君がただ使命に従っているだけならば、話は別だ」 「……変な人。普通、死神を前にしたら逃げるのに」 「ぼくは、逃げるということを、もう忘れてしまったのかもしれない」 銀の表情はわずかに和らぎ、夜風が二人の髪をさらっていく。シノは、ふと昼間の自分を思い出した。りんごを齧りながら、穏やかに笑っていた日々。死を恐れず、ただ優しさを抱いていた時間。 「……昼の私は、りんごが好きなの。夜の私は、罪人を許さない。どっちが本当なのか、自分でもわからない時がある」 「どちらも、君なのだろう。ぼくも、冷静な顔の裏で、誰にも言えない痛みを抱えている」 二人の間に、ほんの少しだけ温かな空気が流れた。銀は立ち上がり、リュックからスケッチブックを取り出すと、月明かりの下で何かを描き始める。シノは覗き込もうとはせず、ただその横顔を静かに見つめていた。 「……何を描いているの」 「君だ。夜の姿と、昼の姿、両方を描いておこうと思って」 シノは小さく息を呑んだ。誰かに、自分の二つの顔を見つめられたのは初めてだった。 「……変なの。死神の絵なんて、描いても不吉なだけ」 「不吉かどうかは、描き上がってから決める」 銀の筆先は迷いなく動く。シノは、頬がかすかに熱くなるのを感じて、前髪をそっと直した。 夜が更けるにつれ、公園の空気はさらに冷え込んでいく。だが、二人が過ごすこの時間には、不思議な穏やかさがあった。 「……ねえ、銀。もし、私が罪を犯したら、あなたは私を斬る?」 「君が本当に罪を犯したなら、ぼくは止めに行く。斬るかどうかは、その時の君を見てから決める」 「……優しいのね。死神にそんなこと言う人、初めて」 銀は、絵筆を止めずに小さく頷いた。 「死神だからといって、冷たくある必要はない。君の中の優しさを、ぼくは信じてみたい」 シノは答えなかった。ただ、翼を少しだけ畳み、ベンチの上で膝を抱えた。夜の死神と昼の少女、その二つの心が、初めて誰かの言葉に揺れていた。 夜明けが近づき、東の空がわずかに白み始める。銀はスケッチブックを閉じ、立ち上がった。 「そろそろ行く。また、会えたら」 「……また、来るの?」 「君が望むなら」 シノは少しだけ迷ってから、小さな声で答えた。 「……来て。今度は、りんごを持ってくるから」 銀は一瞬だけ目を見開き、そして静かに微笑んだ。 --- 【お互いへの印象】 シノ:「……不思議な人。絶望を乗り越えたなんて言うの、あの人くらい。斬るって言われたのに、なぜか怖くなかった。また、会ってもいいかもしれない」 銀:「夜の顔も、昼の顔も、どちらも本物なのだろう。あの子の赤い瞳の奥には、まだ誰も知らない優しさがある。次に会う時は、ぼくもあの子のために何かを描いてみたい」