静寂に包まれた天界の最果て。白銀の雲海がどこまでも広がり、淡い黄金色の光が降り注ぐその場所に、対照的な二つの影が佇んでいた。 一人は、夜をそのまま切り取ったかのような漆黒のローブを纏い、鋭い眼光を湛えた青年――魔神王シャドウ。もう一人は、太陽の輝きを凝縮したかのような純白の装束に身を包み、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる女性――最高神ルミナス。 かつては共に創造神エイトに創られ、姉弟として、そして運命に導かれた夫婦として、互いを誰よりも信頼し合っていた二人。しかし、四十年前の惨劇がすべてを変えた。破壊神の闇の魔力に晒され、魔神へと堕ちたシャドウは、女神族としての記憶を、そしてルミナスと共に過ごした温かな日々の記憶をすべて失った。 現在のシャドウにとって、ルミナスは「排除すべき天界の支配者」であり、ルミナスにとってシャドウは「いつか必ず取り戻したい、愛する夫」であった。 「……ふん。相変わらず、反吐が出るほど眩しい光だ。貴様のその顔を見ていると、この世界ごと塗り潰したくなるな」 シャドウが低く、冷酷な声を出す。その口調は傲慢であり、相手を完全に見下している。やつがれという特異な一人称が、彼の異質さと孤高さを際立たせていた。 対してルミナスは、悲しげながらも、どこか楽しげに小首をかしげた。 「ふふっ、相変わらず口が悪いわね、シャドウ。でも、そういうところも貴方らしくて私は好きよ?」 「戯言を。やつがれを誰だと思っている。貴様のような甘い考えの神など、この漆黒ノ大鎌で断ち切ってくれるわ」 シャドウは腰に帯びた大鎌に手をかける。しかし、ルミナスは戦う意思など微塵も感じさせない様子で、ひらひらと手を振った。 「いいじゃない、今日は休戦日よ。だって、こんなにいいお天気なんだもの。ねえ、久しぶりに『遊び』をしない? 戦い以外の、もっと心を通わせるような遊びを」 「遊びだと? 魔神王であるやつがれに、そのような暇があると思うか」 「いいからいいから! もし私が勝ったら、今日の晩ごはんは私の手作り料理を一緒に食べてくれること。負けたら……そうね、貴方のわがままを一つ聞いてあげるわ」 シャドウは鼻で笑った。彼にとって、ルミナスの提案など児戯に等しい。だが、同時にどこか心の奥底にある、説明のつかない空虚さが、彼女の天真爛漫な誘いに惹かれていた。 「……面白い。どのような遊びだ。短時間で終わらせろよ」 ルミナスはパッと顔を輝かせると、いたずらっぽく微笑んだ。 「【愛してるゲーム】よ!」 「……あ? 何だそれは」 困惑するシャドウに、ルミナスは丁寧にルールを説明し始めた。 「簡単よ。お互いに向き合って、『愛してる』って言い合うの。途中で照れたり、笑ったり、あるいは言い淀んだりした方が負け。最後まで真顔で、心を込めて言い続けられた方が勝ち。どう? 簡単でしょ?」 シャドウは絶句した。冷静で残酷、傲慢な魔神王として君臨する彼にとって、これほどまでに効率が悪く、意味のない、そして精神的に屈辱的なゲームはない。 「正気か? やつがれにそのような恥ずかしい真似をさせようとは。貴様の頭は光の魔力で沸いてしまったか」 「あら、もしかして……怖いの? 魔神王様が、たかが言葉遊びに負けるのが?」 その一言が、シャドウの傲慢なプライドに火をつけた。彼は不機嫌そうに顔を歪め、ルミナスの正面に立つと、腕を組んで言い放った。 「ふん、恐ろしいなどと誰が言った。やつがれが負けるはずがない。いいだろう、受けて立つ。貴様が涙を流して敗北を認めるまで、付き合ってやるよ」 「決まりね!」 ルミナスは嬉しそうに拍手をすると、すぐに真剣な表情に切り替えた。彼女の瞳には、深い愛情と、揺るぎない決意が宿っている。 二人の間に、張り詰めた緊張感が流れる。……いや、緊張しているのはシャドウの方だけだった。ルミナスはただ、愛しい夫を真っ直ぐに見つめていた。 「準備はいい? ……せーの!」 「……愛してる」 シャドウが、絞り出すように言った。声は低く、冷たい。感情を殺し、単なる記号として言葉を発したつもりだった。しかし、その瞳はわずかに泳いでいる。 「愛してるわ、シャドウ」 ルミナスの声は、鈴を転がすように澄んでいて、それでいて深く、温かい。そこには一切の迷いがなく、純粋な愛だけが込められていた。 「……愛してる」 シャドウは二回目を口にする。一度言えば、二度目は少しだけ言いやすくなるはずだ。だが、ルミナスの視線が、彼の心の壁をじりじりと削っていく。記憶はない。だが、魂が覚えている。この温もりに、自分はかつて救われていたことを。 「愛してるわ。世界で一番、貴方を愛してる」 ルミナスの言葉に、熱がこもる。彼女は一歩、シャドウに近づいた。白と黒、光と闇。対極にある二人の距離が縮まる。 「……あ、愛してる」 三回目。シャドウの声が、わずかに震えた。本人は気づいていない。だが、彼の頬に、微かに赤みが差していた。 (……何だ。なぜだ。やつがれが、このような言葉で動揺するなどあり得ん。これは、相手の光の魔力による精神干渉か? そうに違いない) 論理的に思考しようとするが、心拍数が上がっている。ルミナスの真っ直ぐな瞳に見つめられると、自分の中の「魔神王」という仮面が、剥がれ落ちていくような感覚に陥る。 「愛してる。ずっと、ずっと愛してるわ。貴方が誰になっても、何を忘れても、私の気持ちは変わらない」 ルミナスの声が、わずかに震え始めた。それは照れではなく、溢れ出しそうな感情の奔流だった。彼女にとってこのゲームは、単なる遊びではない。失われた時間を埋め、届かなかった想いを伝えるための、祈りに似た儀式だった。 「……っ。愛してる」 シャドウは、もはや拒絶することができなかった。言葉が、口から滑り出す。それはもはや、ゲームで勝つための戦略ではなく、彼自身の内側から湧き上がった、正体不明の衝動だった。 (なぜだ……。なぜ、この女にだけは、言葉を突き放せない。やつがれは、残酷で傲慢な魔神王のはずだ。なのに、なぜ……) 「愛してる! 大好きよ、シャドウ!!」 ルミナスが、ついに堪えきれずに叫ぶように言い、シャドウの胸に飛び込んだ。勢いよく抱きしめられ、シャドウは「うおっ」と声を漏らして仰け反る。 「な……! 何を……! 離せ、この女!!」 激しく突き放そうとするが、ルミナスの腕は驚くほど強く、そして温かかった。彼女の白いローブから、陽だまりのような香りが漂い、シャドウの心を強引に凪へと導いていく。 「あはは! 私の勝ちね! 貴方、今、絶対照れてたもん!」 ルミナスが腕の中で顔を上げ、満面の笑みで彼を見上げる。シャドウは顔を真っ赤にし、激しく動揺しながらも、結局は彼女を突き飛ばすことができなかった。 「……っ! 卑怯だぞ! 抱きつくなどというルール外の行動を……! やつがれは負けていない! 今のは、不意を突かれただけだ!」 「いいのいいの。結果的に、貴方は最後の方、すごく心を込めて『愛してる』って言ってくれたもんね。聞こえてたよ?」 「なっ……! 言っていない! 聞き間違いだ! 幻聴だ!」 必死に否定するシャドウだったが、その声にはもはや残酷さはなく、年相応の、あるいは記憶の中にある「かつての彼」のような、不器用な青年の響きが混じっていた。 ルミナスは、彼の胸に耳を当て、ドクドクと速く打つ鼓動を聞いた。記憶は消えても、心は、魂は、まだ彼の中に生きている。そう確信した彼女は、幸せそうに目を細めた。 「ふふっ。じゃあ、約束通り、今日の晩ごはんは私の手作り料理を一緒に食べてもらうわよ。メニューは、貴方が昔好きだった……あ、ごめんね。今の貴方が好きそうなものをたくさん作るわ!」 「……ふん。やつがれが貴様の料理など食うと思うか。……まあ、腹が減っているのも事実だ。一口だけなら、付き合ってやらんこともない」 ぶっきらぼうに、視線を逸らしながら答えるシャドウ。だが、その手は、ルミナスの肩を軽く、本当に軽く、包み込むように触れていた。 「やったー! さあ、帰りましょう、シャドウ!」 「……おい、引っ張るな! やつがれを子供扱いするなと言っているだろう!」 白と黒。光と闇。決して交わるはずのなかった二つの運命が、今は静かに、寄り添って歩き出す。天界の空には、いつまでも穏やかな光が降り注いでいた。 記憶が戻るまでには、まだ時間がかかるかもしれない。あるいは、永遠に思い出せないのかもしれない。それでも、この不器用な「愛してる」の繰り返しが、いつか彼に真実の光を取り戻させることを、ルミナスは信じて疑わなかった。 「ねえ、シャドウ」 「……何だ」 「明日も、このゲームしよ?」 「……二度とやるか!!」 怒鳴りながらも、その足取りはどこか軽く、シャドウの心には、漆黒の闇を塗り潰すような、小さな、けれど消えない温もりが灯っていた。 【お互いに対する印象】 シャドウ → ルミナス: 「眩しすぎる女だ。反吐が出るほど甘ったるく、理屈が通じない。だが……なぜか、やつがれを不安にさせない不思議な心地よさがある。……まあ、料理の腕次第では、たまに顔を合わせてやってもいいと思っている」 ルミナス → シャドウ: 「やっぱり私の大好きなシャドウ! 口は悪いし、性格もひねくれちゃったけれど、根っこの部分は変わらずにいてくれた。記憶がなくても、魂が私を求めてくれているのがわかるわ。これからもたくさん愛して、いつか必ず、本当の笑顔を取り戻してあげる!」