第一章:蒼穹の闘技場、風の囁き そこは、神々ですら忘れた天空の果て。成層圏の入り口にほど近い高度一万メートル。眼下に広がるのは、果てしなく続く白銀の雲海であり、その合間から時折、宝石のように輝く紺碧の海と、険しい山脈の頂が、まるでおもちゃの模型のように小さく覗いている。 空気は薄く、極寒。しかし、この特殊な領域だけは、目に見えぬ意志を持った「風の精霊」たちが集い、心地よい温もりと、激戦に相応しい気流を形成していた。半透明の翼を持つ精霊たちは、数千、数万という数で大空に漂い、これから始まる「空の覇権」を決定づける戦いを、静かに、そして期待に満ちた眼差しで観戦していた。 この場所には、地に足をつける場所などどこにもない。あるのはただ、無限に広がる蒼いキャンバスと、それを切り裂くための速度だけだ。 そんな静寂を切り裂き、一条の白煙が空を貫いた。最新鋭の推進力を持つ怪鳥――ヨーゼフ・ペースが駆る、ナチス・ドイツの狂気の結晶とも言えるロケット推進戦闘機である。 機体は鈍い金属光沢を放ち、その背後からは液体ロケットエンジンが吐き出す、暴力的なまでの高熱の炎が噴き出していた。ヨーゼフはコックピットの中で、激しいGに耐えながら、計器盤を凝視している。彼の機体は、時代の臨界点を超えた「異次元」の速度を誇る。しかし、その力は劇薬だ。燃料タンクに充填された特殊燃料は、ひとたび激しい衝撃で漏れ出せば、搭乗者を生きたまま溶解させ、空中で蒸発させるという死の罠を孕んでいる。 対するは、かつての空の覇者。エルンスト・ステーンと、その信頼する戦友が搭乗する初期B型機。現代の基準から見れば、その速度は緩慢に見えるかもしれない。しかし、彼らが持つのは、数多の戦場を潜り抜けてきた「経験」という名の絶対的な精度と、急降下攻撃という死の舞踏であった。 「準備はいいか、相棒」 エルンストが後方の機銃手に向かって声をかける。戦友は静かに頷き、後方のMG15機関銃の弾帯を確認した。彼らにとって、空は戦場である以上に、人生を捧げた聖域だった。 風の精霊たちが一斉に舞い上がり、合図を送る。戦いの火蓋が切られた。