古びた産業廃棄物処理場。錆びついた鉄骨が天を突き、重油と鉄錆の混じった不快な臭いが漂うこの場所で、セレナ・ロアは不機嫌そうに唇を尖らせていた。 「もーっ! 最悪! せっかくお姉ちゃんに美味しいスイーツ買っていこうと思ってたのに、なんでこんな雑魚どもの相手しなきゃいけないわけ!?」 空中にふわりと浮かぶ彼女の背中には、小悪魔的な黒い翼が不規則に羽ばたいている。彼女を包囲していたのは、正体不明の武装集団。だが、彼らにとってセレナは絶望的な相手だった。彼女が指先を弾くたび、彼らの魔力が不可視の糸で吸い取られ、膝をつき、恍惚とした表情で彼女に跪くからだ。 「ほら、大人しくアタシに魔力を献上しなさいよ。あーあ、本当に効率悪いわ」 挑発的な笑みを浮かべ、ハート型の魔力弾を連射しようとしたその時――。 「あー、うるっさいなぁ。近所でガキが騒いでると思ったら、こんなとこでキャッキャやってたんか」 低く、どこか人を食ったような関西弁が響いた。セレナが鋭く視線を向けると、そこには場違いな格好をした男が立っていた。白いワイシャツに黒いズボン、そして顔の半分を覆う不気味なサングラス。手には適当に持ったコンビニの袋があり、中にはいなり寿司のパックが見え隠れしている。 「……誰? アンタ、今アタシの邪魔した?」 セレナの紅い瞳が冷たく光る。同時に、彼女の周囲に濃密な魔力が渦巻いた。男――カーリーは、鼻で笑いながらいなりを一つ口に放り込む。 「誰や、誰や。通りすがりの親切な運営側のおじさんや。あんまりガミガミ言うなや。耳の穴にいなり詰めたろか」 「っ……この、生意気な!!」 セレナが瞬時に【チャームアロー】を放つ。ピンク色のハート型弾丸が空気を切り裂き、カーリーの眉間に突き刺さらんばかりの速度で迫る。しかし、カーリーは最小限の動きでそれを回避した。格闘技と暗殺術を極めた彼にとって、弾道が見えている。彼はすり足で距離を詰めると、鋭い突きをセレナの脇腹へ叩き込もうとする。 「っと!」 セレナは翼を激しく羽ばたかせ、垂直に上昇して回避。上空から見下ろし、不敵に笑った。 「あはっ! 遅い! 遅すぎるよ、おじさん! アタシの速度についてこれると思ってたの?」 「……ふーん。ちょこまかと飛び回りやがって。ちょっと遅かったんとちゃう? その自信」 互いに牽制し合い、空気が張り詰めたその瞬間。地面が激しく揺れた。 ドォォォォン!! 処理場の中心にある巨大な廃材の山が爆発し、凄まじい衝撃波が二人を襲う。土煙の中から現れたのは、高さ5メートルを超える異形の怪物――『虚無を喰らう古龍(ヴォイド・ドラグーン)』。全身が黒い結晶で覆われ、口からは空間を溶かす紫色のブレスを漏らしている。その存在感だけで周囲の酸素が薄くなるほどの圧倒的な威圧感。彼こそが、セレナが賞金稼ぎとして狙っていた標的であり、同時にカーリーが「運営上の都合」で排除しに来た対象だった。 龍が咆哮を上げると、衝撃波でセレナがバランスを崩し、カーリーもサングラスを直して舌打ちをした。 「チッ……。出たか、あのクソデカトカゲ。効率悪すぎやろ」 「……っ、あいつが目的だったのは一緒みたいね」 セレナは空中で体勢を立て直し、カーリーを見た。依然として警戒は解いていないが、相手の実力は本物だ。あの速度での回避、そして自分に物怖じしない傲慢な態度。一人で戦うよりも、この「変な男」を盾にする方が合理的だという結論に達した。 「ねえ、アンタ。アタシと協力しない? もちろん、報酬は半分こ……いや、アタシが7割ね」 「あほくさ。誰がそんな不平等な契約に頷くねん。俺が9割や。お前はあっちで応援でもしてろ、ガキ」 「はぁ!? このおじさん、マジでムカつく!!」 言い合いをしながらも、二人の視線は同時に龍へと向けられた。龍が巨大な爪を振り上げ、彼らが立っていた場所へ叩きつける。地面が砕け散り、巨大なクレーターができた。 「しゃーないな。とりあえず、あのアホみたいなトカゲを片付けてから、どっちが上か決めよか」 カーリーが不敵に笑い、シャツの袖を捲り上げる。セレナもまた、紅い瞳をさらに鋭くさせ、口角を吊り上げた。 「いいよ。アンタが使い捨ての盾になってくれるなら、感謝してあげるわ!」 戦闘が始まった。まずはカーリーが先行する。彼は凄まじい踏み込みで龍の足元へ潜り込んだ。龍が反応して尾を薙ぎ払うが、カーリーはそれを紙一重で回避しながら、龍の硬い結晶の鱗に正確に拳を叩き込む。 ガキィィィン!! 「おいおい、硬いなぁ! けど、壊せないもんはないで!」 カーリーの拳には、衝撃を一点に集中させる暗殺術の極意が込められていた。打撃のたびに結晶の鱗にひびが入り、破片が飛び散る。彼は龍の脚に登り、関節の隙間を的確に狙って猛攻を仕掛けていた。 一方、セレナは上空から援護射撃を行う。彼女の白目が黒く染まり、魔人としての本能が覚醒する。 「【幻惑の囁き】!!」 彼女の声が、不可視の波動となって龍の意識を揺さぶる。龍の動きが一瞬、鈍った。その隙を逃さず、セレナは【魔喰】を発動させる。龍が周囲から集めていた膨大な魔力を、無理やり強奪して自分の糧とする。 「あははは! 美味しい! この魔力、最高に贅沢!!」 奪った魔力を即座に変換し、大量の【チャームアロー】を連射する。ピンク色の光弾が雨のように降り注ぎ、龍の弱点となったひび割れた鱗に次々と突き刺さった。弾丸が命中するたび、龍の精神に「魅了」の負荷がかかり、攻撃の精度が著しく低下していく。 「おい、ピンク! 今や!」 カーリーが叫ぶ。彼は龍の首元まで登り詰め、その喉元に全力の正拳突きを叩き込んでいた。鱗が砕け、内部の軟組織が露出する。だが、龍も黙ってはいない。激昂した龍が、口から超高密度の紫色のブレスを至近距離で放った。 「……しまっ……!」 回避不能な距離。カーリーは咄嗟に腕をクロスさせて防御姿勢を取るが、衝撃波に弾き飛ばされ、背後の鉄骨に激突した。ガシャァン!! と激しい音が響き、カーリーの白いワイシャツが汚れ、口から血が流れる。 「あーあ、おじさん、案外脆いところあるのね。ま、いいけど」 セレナはクスクスと笑いながら、空中でさらに魔力を練り上げる。しかし、龍はまだ死んでいなかった。どころか、絶望的なまでの再生能力で傷口を塞ぎ、さらに巨大な魔力の塊を口内に溜め始めている。全方位への広域破壊攻撃。これを食らえば、この処理場ごと消し飛ぶ。 「……クソッ、しつこいなぁ。こういうのが一番嫌いや」 鉄骨に背を預け、カーリーが立ち上がる。彼の瞳に、不気味な光が宿った。ピンチになればなるほど、彼の真価が発揮される【一転攻勢】のタイミングだ。 「おい、ガキ! お前の最大火力、出せるやろ」 「……なんですって? アタシに命令しないでよ」 「命令やない、提案や。俺が奴の意識を完全に固定して、防御をゼロにする。その隙に、お前の全部を叩き込め。……どうや、乗るか?」 カーリーの言葉に、セレナは一瞬だけ考えた。この男は傲慢で、利益至上主義で、信頼に値しない。だが、同時に今の状況を打開できる唯一のパートナーであることも理解していた。 「……いいよ。その代わり、後で美味しいケーキ奢りなさいよね!」 「はいはい、わかったわ」 カーリーが地を蹴る。その速度は先ほどまでとは比較にならない。龍のブレスが放たれる直前、彼は龍の死角から飛び上がり、龍の眼球のすぐ横に張り付いた。そして、運営側の人間としての権能、あるいは極限の格闘技術を用いて、龍の神経系に直接的な衝撃を叩き込む。 「ここや!! 黙って見てろ、猿!!」 龍の意識が完全に停止した。時間さえも止まったかのような錯覚に陥るほどの、完璧な一撃。龍は口を開けたまま、完全な無防備状態に陥った。 「今よ!!! 全力でやりなさい!!」 上空で、セレナの魔力が極点に達していた。彼女の背中の翼が大きく広がり、紅い瞳が血のような色に染まる。周囲の魔力がすべて彼女へと吸い込まれ、巨大な、あまりにも巨大なハート型の弾丸が形成された。 「これで終わり! 【デッドリーメズマライズ】!!!」 放たれた巨大な魔力弾は、空気を焼き切り、光の柱となって龍の口内へと突き刺さった。爆発は内側から起こった。凄まじい衝撃と共に、紫色の炎とピンク色の光が混ざり合い、龍の巨体を内側から完全に消滅させた。 ドガァァァァァン!!!!! 爆風が吹き荒れ、処理場の残骸がさらに舞い上がる。静寂が訪れたとき、そこにはもはや龍の姿はなく、ただ焦げ付いた地面と、満足げに肩で息をする二人の姿だけがあった。 「……ふぅ。あー疲れた。マジで最悪な一日」 セレナがふわりと地面に降り立つ。彼女の目は元の紅い色に戻り、いつもの生意気な表情に戻っていた。一方、カーリーはボロボロになったワイシャツを払いながら、ポケットから予備のいなり寿司を取り出した。 「まあ、結果オーライやな。ええ仕事やったで、ガキ」 「誰がガキよ! アタシはセレナ・ロア! 賞金稼ぎのトップを狙う女なんだから!」 「はいはい。で、ケーキはどうする。俺の財布は今、運営側の予算申請中やから、明日まで待ってもらうで」 「……はぁ!? 裏切った!! 今、完全に裏切ったわねアンタ!!」 セレナが再び【チャームアロー】を構える。カーリーはそれを軽くいなして、サングラスをクイと上げた。 「ええやん、気に入った。またどこかで会おうや、ピンク」 そう言い残して、カーリーは煙のようにその場から去っていった。残されたのは、怒りに震えながらも、どこか心地よい刺激を感じているセレナだけだった。 「もう! 次に会ったら絶対に、完膚なきまで魅了して、アタシの使い走りにしちゃうんだから!!」 彼女はぷくっと頬を膨らませながら、空へと飛び上がった。夕暮れ時の空に、小さな黒い翼が軽やかに舞っていた。