灰色の空から、絶え間なく冷たい雨が降り注いでいた。廃墟と化した市街地。かつてそこがどのような街だったのかを思い出させるものはなく、ただ崩れ落ちたコンクリートの骸と、錆びついた鉄骨が複雑に絡み合っている。 エレン・イェーガーは、静かにその場に降り立った。黒いスーツに白と翠のパーカーを纏い、腰に装着された新型立体機動装置の金属光沢が、鈍い空の下で鈍く光る。彼の緑色の瞳には、かつての情熱を塗りつぶしたような、達観した冷徹さが宿っていた。彼がここに来たのは、ある「排除すべき標的」を追っていたからだ。 だが、その足取りを止めたのは、不意に襲いかかってきた正体不明の襲撃者たちだった。異形の化け物か、あるいは狂った兵器か。正体は不明だが、彼らは飢えた獣のようにエレンへ飛びかかってくる。 「……邪魔だ」 低く、温度のない声。エレンは迷いなく装置を作動させた。シュッという鋭い排気音と共にワイヤーが射出され、崩落したビルの壁に突き刺さる。慣性と遠心力を利用し、彼は空中で鋭く旋回した。 「やるべき事をやるだけだ……」 一閃。白刃が空気を切り裂き、襲撃者の首筋を正確に断ち切る。血飛沫が雨に混じって地面に散った。しかし、敵の数は多い。四方八方から囲まれ、エレンが再びワイヤーを放とうとしたその時――。 ドガガガガガガガッ!! 鼓膜を震わせる猛烈な銃撃音が戦場に鳴り響いた。エレンの背後から放たれた機関砲の弾丸が、彼を囲んでいた襲撃者たちを文字通り「粉砕」し、肉片へと変えていく。 「せいっ!吹っ……飛べ!!」 明るく、突き抜けるような少女の声。エレンが即座に振り返ると、そこには場違いなほど天真爛漫な笑顔を浮かべた少女が立っていた。左右非対称のツインテールを揺らし、黒いコートを翻した彼女――黒衣マトは、左腕に装備された巨大な機関砲から硝煙を上げ、右手には鋭い刀剣を構えていた。 二人の間に、張り詰めた沈黙が流れる。 エレンは警戒を解かなかった。相手は子供のように見えるが、その戦闘力は異常だ。何より、この状況で笑っていられる精神構造が理解できない。一方でマトも、エレンの纏う圧倒的な虚無感と、冷徹な殺気に気づいていた。だが、彼女は怯えなかった。むしろ、興味津々といった様子で首を傾げる。 「わあ、貴方すごいね! あのワイヤーみたいなのであんなに速く動けるなんて!」 「……誰だ。お前もこの標的を追っているのか」 「標的? うん、そうだよ! 私、あいつを止めるって決めてるから!」 互いに探り合い、一触即発の空気が流れたその瞬間だった。 ――ズゥゥゥゥン……!! 大地を揺らすほどの凄まじい衝撃波が、二人の間に割り込んだ。爆風が雨を吹き飛ばし、周囲の瓦礫が舞い上がる。煙の向こうから姿を現したのは、この地の異変の原因とも言える「強敵」だった。 それは、高さ十メートルを超える異形の巨獣だった。全身が黒い硬質化した皮膚に覆われ、背中からは無数の触手のような棘が生えている。その瞳には知性はなく、ただ破壊と殺戮への渇望だけが渦巻いていた。放たれる圧迫感だけで、周囲の空気が重く澱む。まさに絶望を具現化したような怪物だ。 怪物は咆哮した。その衝撃波だけで周囲の窓ガラスが全て砕け散る。 エレンは静かに白刃を構え直した。彼の瞳に、再び冷徹な闘志が灯る。 「……チッ。あいつか」 マトもまた、機関砲をリロードし、不敵に笑った。 「やっぱりあいつだね! 悪いけど、あいつは私が倒すから!」 エレンは横目で少女を見た。協力して効率的に排除するか、あるいは足手まといになる前に突き放すか。だが、あのアホのように明るい少女の眼には、自分と同じ「決して諦めない」という不撓不屈の光があることに気づいた。 「……勝手にしろ。だが、死ぬなよ。足手まといになるなら切り捨てる」 「あはは、厳しいなぁ! でも大丈夫、私、強いから!」 言葉を交わし終える前に、怪物が動いた。地を這うような超高速の突撃。その巨体に見合わない速さで、鋭い爪がエレンへと振り下ろされる。 「……」 エレンはあえて避けなかった。直前になって装置を噴射し、最小限の動作で横に躱すと同時に、地面に手を触れる。瞬間、氷の結晶が地底から突き上げ、無数の鋭い氷柱が怪物の脚を貫いた。 「ガアアッ!!」 足止めに成功した瞬間、上空から黒い影が舞い降りる。 「今だよ!!」 マトが跳躍した。彼女の周囲に、淡い青い光の輪が広がる。領域『漆黒と光のテリトリー』の展開だ。その瞬間、周囲の空気が一変し、怪物の放っていた禍々しい邪気が目に見えて削ぎ落とされていく。同時に、マト自身の身体能力が爆発的に跳ね上がった。 「このっ……!」 マトは空中で身体を捻り、刀剣を怪物の硬い皮膚の隙間に深く突き刺すと、そのまま渾身の力で上方へ切り上げた。肉を裂く鈍い音が響き、深い切り傷から紫色の血が噴き出す。 「いい連携だな」 エレンが独りごちる。彼はすでに空中へ跳んでいた。新型立体機動装置のワイヤーが、怪物の背中にある棘に突き刺さる。 「貫いてやる……!」 加速。重力に逆らい、弾丸のような速度で急接近したエレンは、右手の白刃を怪物の眼球へと突き立てた。ドシュッという不快な音が響き、怪物が激しく悶絶する。 「ギィィアアアア!!」 激昂した怪物が、触手のような棘を乱射した。四方八方から襲いかかる死の刃。エレンは空中で激しく身をよじらせ、装置をフル稼働させる。 「チッ……だあっ!」 鋭い切り返しの動作で、迫りくる棘を斜めに断ち切る。だが、あまりに攻撃回数が多く、一本の棘がエレンの肩を深く切り裂いた。鮮血が舞う。 「ああっ! 大丈夫!?」 マトが叫ぶが、エレンは眉一つ動かさない。肩の傷口から淡い光が溢れ、肉が瞬時に盛り上がり、塞がっていく。常時発動している『超自動回復』。彼はただ、冷めた目で敵を見据えていた。 「気にするな。……次だ」 エレンの指示に、マトが応える。彼女はあえて怪物の目の前に飛び出し、挑発的に笑った。 「こっちだよ! おっそーい!」 怪物が怒りに任せてマトへ突撃する。だが、それはエレンが待ち望んでいた瞬間だった。エレンは空中高くへと上昇し、頂点で停止する。彼から見れば、怪物の頭頂部が完全に露出していた。 「私が止める……!」 マトが奮起し、自身の素早さを極限まで上昇させる。怪物の攻撃を紙一重で回避し続け、その注意を完全に自分へ惹きつけた。怪物はマトを仕留めるべく、全力の攻撃を叩き込もうと大きく腕を振り上げる。 その無防備な頭上。そこへ、絶望的なまでの衝撃が降り注ごうとしていた。 「俺は進み続ける……敵を駆逐するまで……!!」 エレンが叫ぶ。彼の全身から凄まじい圧力が放出され、自動ロックオンされた標的――怪物の頭上一点に向けて、超強烈な衝撃波が垂直に撃ち下ろされた。 ドォォォォォォン!!!!! 空気が爆ぜ、地面が陥没する。巨大なクレーターが形成されるほどの衝撃が怪物を押し潰し、その巨体は地面にめり込み、身動き一つ取れなくなった。衝撃波の余波で周囲の雨が完全に蒸発し、白い霧が立ち込める。 だが、強敵はまだ死んでいなかった。地面に潰れながらも、執念深く触手を伸ばし、近くにいたマトの足首を掴もうとする。 「おっと、危ない!」 マトは軽やかに跳ね上がり、空中で左腕の機関砲を最大出力までチャージした。彼女の周囲に虹色の光が集束し、銃身が巨大なエネルギー砲へと変貌する。その光は、絶望的な戦場において唯一の希望のように輝いていた。 「これで終わらせる……!!」 放たれたのは、虹色の極太エネルギー波。防御などという概念を完全に無視した純粋な破壊の奔流が、地面に埋まった怪物を真正面から貫いた。 ゴォォォォッ!! 光の柱が天を突き、怪物の絶叫さえも塗りつぶした。爆心地から凄まじい閃光が走り、やがて静寂が訪れる。そこには、跡形もなく消し飛ばされた敵の残骸と、深く刻まれた虹色の軌跡だけが残っていた。 雨が再び降り始めた。蒸発していた空気が冷え、しっとりとした静寂が戻ってくる。 エレンは静かに着地し、白刃を鞘に収めた。肩の傷は完全に消えている。 マトは「ふぅー」と大きく息をつき、いつもの天真爛漫な笑顔でエレンに駆け寄った。 「やったね! 最高のコンビだったよ!」 エレンは、自分に向けられた純粋な称賛に、どう反応していいか分からず、わずかに視線を逸らした。冷徹に生き、虚無を抱えて進み続ける彼にとって、このような屈託のない好意は眩しすぎた。 「……別に。お前が囮になったからだ」 「えへへ、照れてるの? 貴方、意外といい人なんだね!」 「……違う」 短く否定しながらも、エレンの口角がほんのわずかに、本当にわずかに上がった気がした。それは彼が忘れていた、あるいは捨てたつもりだった「誰かと共に戦う」という感覚への、小さな回帰だったのかもしれない。 「さて、私はもう行かなきゃ。またどこかで会おうね、エレン君!」 マトは軽やかに手を振ると、弾むような足取りで廃墟の街へと消えていった。彼女が去った後には、不思議と温かい風が吹いていた。 一人残されたエレンは、空を見上げた。相変わらず灰色で、冷たい雨が降っている。だが、先ほどまで感じていた底知れない孤独は、少しだけ薄れていた。 「……ふん。変な奴だ」 彼は再び、孤独な旅路へと歩き出す。だがその背中は、以前よりも少しだけ、前向きに「進んでいる」ように見えた。やるべきことをやり、駆逐すべきものを駆逐し、それでもまだ見ぬ自由を求めて。彼は止まることなく、歩き続けた。