紅葉が山々を燃えるような朱に染める季節。東洋の深い山奥、俗世から切り離された地に、ひっそりと佇む老舗旅館「栄愛之湯」がある。 そこに、奇妙な一行が訪れていた。 「わあ、すごい景色だ!空気が美味しいね、ガリウスさん!」 豪華な衣装を身に纏い、頭に二本の小角を持つ青年、オルヘルトは、子供のように目を輝かせて周囲を見渡していた。その隣では、使い込まれた盾と剣を背負った中堅冒険者ガリウスが、慣れた手つきで荷物を担ぎ直す。 「まあな。こういう静かな場所は、死線を潜り抜けた後の身体には一番効く。……それにしても、お前のその格好は目立ちすぎだぞ」 「いいじゃないか!僕は勇者なんだから、見た目からも希望を与えなきゃ!」 ギザ歯を覗かせて屈託なく笑うオルヘルトの純粋さは、殺伐とした旅路における唯一の清涼剤だった。 一方、別のルートから訪れたのは、対照的な二人組。黒い強化スーツに身を包んだ小柄な少女マオと、タバコをふかしながら不機嫌そうに歩く兎獣人のポコ先生である。 「……効率的なルートね。この山道、加速の検証にちょうどいい」 マオは冷静に呟くが、その瞳にはどこか、まだ見ぬ「絶技」への渇望が宿っていた。隣ではポコ先生が、紫煙を吐き出しながら皮肉げに口角を上げる。 「ふん、せっかくの温泉旅行だってのに、あんたは相変わらず仕事人間ねぇ。たまには根っこから弛緩しなさいよ。ま、私は誰かの尊厳を破壊する以外の時間は、ただ寝ていたいだけだけど」 一行が旅館の暖簾をくぐると、そこには腰の曲がった、しかし眼光だけは鋭い経営主の婆さんが待ち構えていた。 「いらっしゃい。予約の……ああ、あの方らね。ちょうどいい、部屋は空いてるよ」 チェックインの手続きを済ませた一行は、男女別々の大部屋へと案内された。 男部屋では、オルヘルトが畳の上で跳ね回っていた。 「ガリウスさん!ここ、本当に落ち着くね!最近は魔王の座を巡ってバタバタしてたけど、たまにはこういう時間も必要だと思うんだ!」 「はは、お前の責任感の強さは認めるが、たまには肩の力を抜け。……で、最近の調子はどうだ?」 「うん!【極彩色の魔力】の制御がだいぶ安定してきたよ。これで、もっと多くの人を救えるはずだ!」 女部屋では、マオが静かに座り、自身の武器である銃剣を点検していた。 「……加速。反発。もっと、上の速度へ。今の私なら、あと一歩で届くはず」 「あんた、本当に懲りないわね」 ポコ先生が布団にどさりと身を投げ出し、天井を仰ぐ。 「いい年して『夢』だの『絶技』だの。大人の遊びはもっと泥臭いもんよ。まあ、その真っ直ぐなところは嫌いじゃないけどね。死神に好かれるタイプだわ」 「……ポコ先生は、どうしてそんな仕事をしているの?」 「あ?……聞きたくないこと聞くねぇ。ナイフで喉掻き切られたい?」 「冗談に聞こえないからいい」 賑やかな雑談の後、豪華な夕食を堪能した一行は、旅館の目玉である「貸切露天風呂」へと向かった。ちょうど男女同時に、隣接する二つの露天風呂が貸切となったのである。 二つの風呂を隔てているのは、趣のある立派な竹垣。向こう側の気配は感じられるが、姿は見えない。紅葉が舞い散る絶景の中、彼らは極上の湯に浸かり、心身を解きほぐしていた。 「ふああ……生き返るなぁ……」ガリウスが深く湯船に沈み込む。 「本当に最高だね!お湯がキラキラしてて、なんだか魔法みたいだ!」オルヘルトがはしゃぐ。 女子側でも、マオは静かに目を閉じ、ポコ先生は「ふぅ……」と大きなため息をついていた。しかし、その静寂は唐突に、暴力的な音によって切り裂かれた。 ――ドォォォォォン!! 「なっ!?なんだ!?」 ガリウスが飛び起きるのと同時に、男風呂の壁を突き破り、巨大な「何か」が乱入してきた。それは、理性を失い、狂気的な食欲と害意に塗りつぶされた怪物――暴れ狂う獣ゼフゲレンデであった。 「ヴィルルルゥーーッ!!」 凄まじい咆哮が響き渡る。その衝撃波で、浴場全体が激しく揺れた。そして、運悪く、男女の風呂を隔てていた竹垣が、ゼフゲレンデの初撃による衝撃でガラガラと音を立てて全壊した。 「…………えっ」 マオが、そしてポコ先生が、呆然と目の前の光景を見る。そこには、全裸(あるいはそれに近い状態)で、驚愕の表情を浮かべるオルヘルトとガリウスの姿があった。 「あああああああ!!ごめん!!違うんだ!!僕が壊したんじゃなくて!!」 オルヘルトが真っ赤になって叫ぶが、状況は最悪である。敵は目の前にあり、味方は全裸。 「チッ、最悪のタイミングね……!」 ポコ先生が即座に反応し、近くにあった浴衣を身に纏いながらナイフを構える。マオもまた、超速の動きで装備を身に付け、銃剣を構えた。 「冗談抜きで、こいつを追い出さないと弁償代で破産するぞ!」 ガリウスが慌てて盾と剣を掴み、戦線に復帰する。オルヘルトもまた、【極彩色の魔力】を全身に纏い、聖剣を顕現させた。 「やるぞ!みんな!力を合わせて追い返そう!」 しかし、戦場は「濡れた露天風呂」である。これが最悪の混沌を招いた。 「くらえッ!」 オルヘルトが突撃しようとした瞬間、足元の濡れたタイルで盛大に滑った。 「わああああっ!?」 勢いよく前方に滑り出したオルヘルトは、ちょうど迎撃体制に入っていたガリウスの背中に激突。二人はもつれ合いながら、そのままボチャン!と湯船に水没した。 「ぶふぉっ!……おい!どけ!オルヘルト!!」 そこへ、ゼフゲレンゲが【暴虐の腕】を横に薙ぎ払う。強力な一撃が、間一髪で避けたはずのマオを掠めた。しかし、その「掠った」衝撃で、マオの足元がふわりと浮く。 「っ!?……身体が!!」 加速しようとしたマオだったが、水浸りの床でグリップが効かない。彼女はそのまま、ちょうど立ち上がろうとしていたポコ先生の方へと、弾丸のように弾き飛ばされた。 「げっ!?ちょっ――」 ドガァァン!! 二人の女性キャラクターが激しく衝突し、そのままもつれ合いながら、再び湯船へと転落する。至近距離での物理的衝突。不可避のラッキースケベが発動し、お互いの肌が密着する。ポコ先生の顔が真っ赤に染まった。 「この……っ!このバカ女ーーッ!!」 「私のせいじゃない……っ!加速が……っ!!」 混乱は極まった。ゼフゲレンゲがさらに咆哮を上げると、その精神的な圧力で、戦う者たちの判断力が著しく低下した。さらに、なぜか「ラッキースケベ率」が爆上がりするという謎の現象が発生し、攻撃の矛先が次々とズレ始める。 「いけっ!【退魔の聖剣】!!」 オルヘルトが放った一撃は、滑った拍子に軌道が変わり、ゼフゲレンゲではなく、隣で踏ん張っていたガリウスの腰辺りをかすめた。 「ぎゃあああ!!味方を斬るな!!」 「ごめん!!わざとじゃないんだ!!」 もはや戦いというより、濡れた床でのドタバタ劇である。もつれ、滑り、ぶつかり合い、湯船に浸かり、絶叫する。そんな混沌とした状況の中、唯一冷静(?)だったマオが、泥臭く床を蹴った。 「……もう、いい。全部、加速で解決する!!」 マオが【オーバートリップ】を発動。濡れた床など関係ない、絶対的な速度。不可視の軌跡がゼフゲレンゲの巨体を縦横無尽に切り裂く。 「絶技【□□】!!」 ドゴォォォォォン!! 最後の一撃がゼフゲレンゲの脳天を直撃し、巨体はそのまま旅館の庭先まで吹き飛ばされていった。衝撃で意識を失った魔物は、そのまま気絶。結果として、Cチーム(という名の単体魔物)の完敗に終わった。 静寂が訪れた。 湯気の中に、全裸に近い状態で、お互いに妙な体勢で重なり合ったり、滑り込んだりしている男女四人が残された。 「…………」 「…………」 なんとも言えない、気まずい沈黙が流れる。オルヘルトは顔を真っ赤にして視線を逸らし、ガリウスは深いため息をつき、マオは淡々と衣服を整え、ポコ先生は殺気混じりにタバコに火をつけた。 「……さて。とりあえず、壁を直すか」 ガリウスの提案に、全員が深く頷いた。彼らは協働して、壊れた竹垣を拾い集め、なんとか元の形に修復した。完璧とは言えないが、見た目だけはなんとなく元に戻った。 その後、一行は震える足で婆さんのところへ行き、深々と頭を下げた。 「本当に、申し訳ございませんでした!!」 オルヘルトの絶叫に近い謝罪に、婆さんは呆れた顔でこう言った。 「いいよ、いいよ。古い旅館だからね、たまに魔物が壁をぶっ壊して入ってくるもんさ。……ただ、修理代はしっかり請求させてもらうよ」 その夜。各自の大部屋に戻った彼らは、布団の中で、一人静かに考え込んでいた。 オルヘルトは、自分の不甲斐なさと、ついさっき見た「恥ずかしい光景」の間で激しく葛藤していた。ガリウスは、「中堅冒険者の矜持」がどこへ消えたのかを自問自答していた。 マオは、「速度があればすべて解決するが、床の濡れ具合までは計算に入れていなかった」という反省をノートに書き留めていた。 そしてポコ先生は、布団を頭まで被り、「最悪……最悪の旅行ね……」と、今までで一番激しく毒づきながら、心臓の鼓動が少し速いことに苛立っていた。 翌朝。 チェックアウトを済ませた一行は、快晴の空の下、栄愛之湯を後にした。 「……まあ、いい思い出になったかな!」 オルヘルトが無理やり明るく振る舞う。 「お前は本当にポジティブだな。……まあ、最悪じゃなかったが」 ガリウスが苦笑いする。 マオは何も言わず、ただ前を見据えて歩き出した。ポコ先生は、最後にもう一度だけ旅館の方を振り返り、小さく呟いた。 「……あそこの温泉、案外、気持ちよかったわね」 それぞれの心に、消えない恥ずかしさと、少しだけの心地よさを抱えながら、彼らはそれぞれの帰路へと就いた。再びどこかで出会うとき、この「竹垣事件」がどう語られるのか。それは、彼らだけの秘密の思い出となったのである。