雨上がりの午後、トリニティ総合学園の救護騎士団部活棟には、消毒液と焼きたてのパンの匂いが混ざって漂っていた。 病院のように整えられた廊下の窓から、淡い光が差し込んでいる。壁には包帯や薬品の在庫表が貼られ、棚には種類ごとに整理された医療品が並んでいた。その一角で、蒼森ミネは白衣の袖を整えながら、厳しい顔で棚を見上げていた。 「包帯が三箱、消毒液が二本……それから、保存食が少ないですね」 青く長い髪が肩から流れ、背中の青い羽がわずかに揺れる。凛とした姿は、まさに白衣の天使と呼ぶにふさわしい。しかし、その手には在庫表を握りしめ、眉間には小さな皺が寄っていた。 「ミネちゃん、保存食なら今朝の分がまだ残ってますよ!」 明るい声とともに、朝顔ハナエが廊下の向こうから駆けてきた。両手には大きな箱。中には栄養補助食品や飲料がぎっしり詰まっている。 「それは患者さん用でしょう。団員が食べる分は別に計算しなさい」 「はいっ! でも、患者さんも団員さんも、元気に食べたほうがいいです!」 「正論ですが、在庫管理は気合いだけではできません」 「気合いと笑顔なら、たいてい何とかなります!」 ハナエは胸を張って笑った。手にしている箱の角には、彼女が描いたらしい小さな花の絵がある。ミネはため息をついたものの、口元はわずかに緩んでいた。 そのとき、受付のベルが鳴った。 「来客でしょうか?」 廊下の奥から、鷲見セリナが顔を出した。ピンクの髪が肩にかかり、頭から伸びた小さなピンクの羽が光を受けている。彼女は手にしていた記録簿を閉じ、穏やかな足取りで玄関へ向かった。 そこに立っていたのは、見慣れない少年だった。 黒い装備に身を包み、左腕には白地に赤い衛生兵のマークがついている。背負ったバックパックは大きく、歩くたびに中身が小さく揺れていた。少年は入口で立ち止まったまま、視線をあちこちへ泳がせている。 「こんにちは。救護騎士団へようこそ。具合が悪いのですか?」 セリナが優しく声をかけると、少年は少しだけ肩を跳ねさせた。 「えっと……俺はRedo300。Robloxの住民です。衛生兵をやっています。無線で連絡を受けて、ここに来ました」 声は小さく、どこか控えめだった。 「まあ、遠いところから。まずは中へどうぞ」 「でも、俺は患者じゃなくて……」 「患者でなくても、疲れているなら休む必要があります。救護は、ケガをした人だけのためではありませんから」 セリナは自然な動作で彼を中へ招き入れた。断る隙を与えないほど穏やかで、それでいて有無を言わせない雰囲気がある。 Redo300は戸惑いながらも、玄関をくぐった。 「わあ! 新しいお友だちです!」 ハナエが箱を置き、満面の笑みで近づいてくる。Redo300は思わず一歩後ずさった。ハナエの腰には救護用に改造されたグレネードランチャーがあり、見慣れない者には少々物々しく映る。 「だ、大丈夫です。これは医療用ですから!」 「……その説明、たぶん余計に怖くなってますよ、ハナエ」 セリナが静かに言うと、ハナエは「あっ」と口元を押さえた。 「そ、そうですか? でも本当に便利なんですよ! 大きな医療用カプセルとか、絆創膏とか、必要なものがすぐ出せます!」 「俺も回復用品を持っています」 Redo300は背中のバックパックを下ろした。中から包帯と、透明な液体の入った小瓶がいくつも現れる。 「包帯とヒーリングポーションです。味方に渡して回復できます。切断とか、かなり酷い状態でも、液体に触れればすぐに全部回復します」 ハナエの目が輝いた。 「すごいです! 救護騎士団の備品に加えたいです!」 「勝手に採用を決めないでください」 ミネが近づき、瓶を一つ手に取った。光に透かして慎重に確認する。 「興味深い品ですね。成分や保存方法が分かれば、医療品としての扱いを検討できます」 「えっと……俺も詳しくは……ショップで買ったものなので」 「ショップ?」 「はい。銃に合うカスタムパーツを探すのが趣味で……あ、でも今日は武器の話じゃなくて、救護の連絡で来ました」 ミネは少年の装備を見た。AK-47とデザートイーグルを所持しているらしいが、今はどちらも使う様子はない。彼女は少し考えたあと、穏やかに言った。 「ここでは武器を使う必要はありません。持っていること自体を責めるつもりもありませんが、部活棟では安全のため、こちらの保管庫に預けてもらえますか?」 「わかりました」 Redo300は素直にうなずいた。ミネの言葉には、有無を言わせない強さがあったが、不思議と嫌な感じはしなかった。 その直後、彼の視線が廊下の端へ向いた。 そこには誰もいない。けれどRedo300は、何かを感じ取ったように顔をこわばらせた。 「……あそこに、誰かいます」 ハナエが振り返る。 「誰か? 見えませんけど……」 「霊です。たぶん、悪いものじゃない。でも、寂しそうです」 Redo300の声が少し低くなった。彼は霊の存在を感じ取れる。霊力を防御や、霊に対する力として使っているという。 セリナは廊下の端へ視線を向けたが、何も言わなかった。ただ、誰もいない場所に向かって静かに一礼した。 「ここにいてもいいと思いますよ。休む場所が必要なら、椅子を用意しましょう」 その言葉に、Redo300は目を丸くした。 「見えないのに、信じるんですか?」 「見えるかどうかより、あなたが困っているなら助ける。それが救護です」 セリナはそう言って、廊下の壁際に小さな椅子を置いた。ハナエもすぐに毛布を持ってきて、その椅子にかける。 「これで少しは落ち着けるといいですね!」 「……ありがとうございます」 Redo300の表情が、ほんの少しだけ和らいだ。もともと幼さの残る顔立ちで、緊張がほどけると、かわいらしい表情がよく見えた。 ミネはその様子を見て、ふと声を柔らかくした。 「Redo300。あなたは今、体調に問題はありませんか?」 「え?」 「以前、戦闘で大きなダメージを受けたと聞きました。体力が残り少ない状態で動いていたのではありませんか?」 「……少し前に、かなりやられました。でも、もう大丈夫です」 「“大丈夫”は、検査をしてから言うものです」 ミネはきっぱりと言い、診察室を指した。 「こちらへ。セリナ、簡易検査をお願いします」 「はい」 Redo300は断ろうとしたが、セリナが隣に立つと、また黙ってついていった。 診察室では、体力や疲労の確認が行われた。セリナは質問を一つずつ丁寧に重ね、Redo300が答えにくそうにすると、急かさず待った。ハナエはその間、隣で小さく応援している。 「息をゆっくり吸ってください。そうです、上手です!」 「子ども扱いしないでください……」 「でも、ちゃんとできたら褒めたいです!」 Redo300は困ったように目を伏せたが、怒ってはいなかった。 検査の結果、深刻な異常はなかった。ただし疲労と軽い筋肉痛が残っており、休息が必要だと判断された。 「やはり休むべきですね」 「でも俺、無線の連絡を待たないと」 「連絡なら私たちが確認します。あなたが休んでいる間に緊急の要請が来たら、起こしますから」 セリナの言葉に、Redo300は無線機を見つめた。 「本当に?」 「本当です」 「……じゃあ、少しだけ」 彼はベッドの端に腰を下ろした。 ハナエはすぐに柔らかな枕を持ってきた。セリナは毛布を肩にかけ、ミネは記録簿に必要事項を書き込んでいる。その光景を眺めながら、Redo300は小さく息を吐いた。 「なんだか……病院みたいですね」 「病院のような部活棟ですから!」とハナエが答える。 「そのままですね」 「はい、わかりやすさは大事です!」 しばらくして、Redo300は眠りについた。無線機は枕元に置かれ、バックパックはベッドの横に整理されている。 彼が眠っている間、救護騎士団の三人は小声で話し合った。 「思ったより小さい子ですね」とセリナ。 「十二歳だそうです」とミネ。 「それなら、もっと甘やかしてあげないといけませんね!」とハナエ。 「あなたは誰に対しても甘やかしすぎです」 「ミネちゃんもですよ?」 ミネは反論しようとしたが、眠っているRedo300の毛布が少しずれているのに気づいた。すぐに近寄り、羽が触れないよう注意しながら、肩まで毛布をかけ直す。 ハナエがにっこり笑った。 「ミネちゃんも、やっぱりお姉さんですね」 「団長として当然のことをしただけです」 「でも、寝顔を見ながらずっと心配そうにしてましたよ」 「……記録上必要な確認です」 「はいはい、そういうことにしておきます!」 セリナは二人のやり取りを眺めながら、静かに紅茶を淹れた。 やがてRedo300が目を覚ますと、枕元には温かい飲み物と小さな菓子が置かれていた。 「起きましたか?」 セリナが声をかける。 「……はい。俺、どれくらい寝てました?」 「一時間ほどです。顔色がよくなりましたね」 「すみません、寝てしまって」 「謝ることではありません。眠れるのは、体が休息を求めていた証拠です」 ハナエが菓子を差し出した。 「これ、元気が出るお菓子です! ミネちゃんが選びました!」 「言わなくていいでしょう」 「ありがとうございます」 Redo300は菓子を受け取り、少しずつ食べた。 そこへ、部活棟の通信端末が短く鳴った。緊急要請ではなく、近隣施設への物資確認だった。ミネが応答し、必要な品を確認する。セリナは補給品の一覧を整え、ハナエは箱を数え始めた。 Redo300もベッドから降り、バックパックを背負おうとした。 「手伝います」 「無理をしてはいけません」とセリナ。 「でも、俺も衛生兵なので」 「では、座ったままでできる仕事をお願いします」 セリナは彼の前に包帯の束を置いた。 「長さごとに分けてもらえますか?」 「それならできます」 Redo300は包帯を一つずつ整え始めた。最初は緊張していたが、作業に集中すると表情が落ち着いていく。ハナエが隣で数を読み上げ、ミネが不足分を記録した。 作業が終わる頃には、部活棟全体に穏やかな一体感が生まれていた。 「Redo300さん、もしよければ、また来てくださいね!」 「……俺が来てもいいんですか?」 「もちろんです」とセリナ。「救護をする人も、救護される人も、ここでは歓迎します」 「それに、医療品の話も聞きたいです!」とハナエ。 「私は、あなたの持つポーションの保存方法を詳しく確認したいですね」とミネ。 三人の言葉に、Redo300は少し考えた。 「じゃあ……また来ます。ショップで見つけた包帯とか、珍しいポーションがあったら持ってきます。あと、銃のカスタムパーツの話は……」 「それも聞きます!」 「ハナエ、話を広げすぎです」 笑い声が部活棟に響いた。 帰る時間になり、Redo300は保管庫から装備を受け取った。セリナは無言のまま彼の後ろへ移動し、いつの間にか肩に毛布をかけた。Redo300は驚いて振り向いたが、セリナは何事もなかったように微笑んでいる。 「帰り道は冷えますから」 「……ありがとうございます」 玄関で、ミネが彼を呼び止めた。 「Redo300。次に大きなダメージを受けたら、必ず連絡してください。無線でも、誰かに伝言を頼んでもいい。自分だけで抱え込まないように」 その言葉に、Redo300は少し視線を落とした。 「俺、あまり人に頼るのが得意じゃなくて」 「知っています。ですが、救護は一人で完結するものではありません」 ミネはまっすぐ彼を見た。 「あなたが誰かを助けるように、誰かもあなたを助けます。それが仲間です」 Redo300は無線機を握りしめ、ゆっくりとうなずいた。 「……はい。覚えておきます」 ハナエが両手を振った。 「また来てくださいね! 次はもっと元気な笑顔で迎えます!」 「今日も十分元気でしたよ」 「本当ですか? やったー!」 セリナは玄関の扉を開けた。 「気をつけて帰ってください。疲れたら、すぐに戻ってきてくださいね」 「はい」 Redo300は一度振り返った。部活棟の明るい照明の下で、三人の姿が並んでいる。ミネの凛とした立ち姿、ハナエの眩しい笑顔、セリナの柔らかな眼差し。その光景は、彼にとって少しだけまぶしかった。 けれど、嫌なまぶしさではなかった。 彼が去ったあと、ハナエが窓から外を見ながら言った。 「いい子でしたね」 「ええ」とセリナが答える。「少し無理をしがちな子ですが、優しい子です」 ミネは記録簿を閉じた。 「衛生兵としての責任感が強いのでしょう。けれど、まだ十二歳です。私たちが支えなければなりません」 ハナエは大きくうなずいた。 「次に来たら、いっぱい褒めて、いっぱい休ませて、いっぱいお菓子をあげましょう!」 「お菓子はほどほどにしてください」 「はいっ!」 そして、三人はそれぞれ、今日出会った少年について思いを語った。 セリナは、Redo300を「人見知りで少し不安そうですが、誰かを助けたい気持ちを強く持っている、放っておけない子」だと思った。彼が安心して頼れる場所を作ってあげたいと、母親のような温かさで考えていた。 ミネは、彼を「小さな体で責任を背負いすぎている衛生兵」だと見ていた。まだ未熟なところはあるが、医療品を大切に扱い、仲間のために動ける芯の強さがある。だからこそ、救護騎士団の一員として守る価値があると判断していた。 ハナエは、Redo300を「かわいくて、まじめで、もっと笑ってほしい新しい仲間」だと思った。次に会うときは、怖がらせないように医療用ランチャーの説明を簡単にしよう、と心に決めている。それでもきっと、彼が少し困った顔をするところも、照れたように笑うところも、全部応援したいと思っていた。 その頃、帰路についたRedo300もまた、無線機を確かめながら部活棟を振り返っていた。 「セリナさんは……お母さんみたいで、安心する人。ミネさんは厳しいけど、ちゃんと見てくれてる。ハナエさんは……元気すぎるけど、たぶん優しい」 彼は少しだけ口元を緩めた。 「また行っても、いい場所かもしれない」 雨上がりの空の下、少年の足取りは、来たときよりもわずかに軽くなっていた。