薄暗い廃都市の街並み。かつての文明の残骸が、冷たい雨に打たれていた。 ガンドンは、その雨に濡れる眼鏡を不快そうに指で押し上げた。彼はある「機密情報」の回収という任務でこの地に赴いていたが、運悪く、このエリアを根城にする武装集団の不意打ちに遭っていた。周囲には、彼が撃ち抜いた襲撃者たちの死体が転がっている。ガンドンの手には、使い込まれたマシンガンが握られていた。 「……しつこい奴らだ。掃除に時間がかかりすぎたな」 彼が次弾を装填しようとしたその時、背後から凄まじい衝撃波が走った。空気が爆ぜ、目の前にいた最後の一人の襲撃者が、目に見えないほどの速度で放たれた「何か」によって、文字通り消滅した。血の一滴さえ残っていない。完全な消滅だ。 ガンドンは即座に反応し、マシンガンを方向転換させ、銃口をその正体へと向けた。パルクールで鍛えた身体能力が、反射的に最適な射撃姿勢を構築させる。 そこには、奇妙な姿の存在が立っていた。白と黒が調和した陰陽のような体色に、感情を読み取らせない白い円形の目。人間とはかけ離れた造形だが、不思議と不気味さよりも「異質さ」が勝っている。 「……誰だ。お前も襲撃側の仲間か?」 ガンドンの問いに、その存在――ミョンは、小首をかしげた。その表情はどこか心ここにあらずといった様子で、もしかすると今の状況よりも「今日の昼に食べたどら焼きの味」について考えているのかもしれない。 「いいえ。貴方は誰ですか? 私はただ、お散歩をしていただけです。あ、でも、あそこで麦茶を売っている店があると思って来たのですが、全部壊れていて……ひどい、ひどすぎます! 誰がこんなひどいことを!」 突然、ミョンの目から大粒の涙が溢れ出した。感情の起伏が激しすぎる。ガンドンは呆気に取られたが、銃口は下げなかった。正体不明の相手が、第二宇宙速度という常軌を逸した速度で動ける可能性に、本能が警鐘を鳴らしている。 「麦茶だのどら焼きだの、ふざけているのか。目的を言え」 「目的? ああ、そうでした。私は『それ』を消しに来たのです。この世界の調和を乱す、不愉快な塊を」 ミョンが指差した先。街の中心にある巨大な時計塔の頂上から、どす黒い霧のようなものが噴出した。霧は瞬く間に凝縮され、高さ50メートルを超える、不定形の肉塊のような怪物が姿を現した。 【虚空の捕食者・ヴォイド・ガスト】 それは物理的な攻撃を無効化し、触れたものを次元の隙間へと飲み込む、この地域の特級危険個体。ガンドンの任務目標であり、同時にミョンが「不愉快」と感じている対象だった。 怪物は咆哮を上げた。その衝撃波だけで周囲のビルが粉々に砕け散る。ガンドンは咄嗟に鉄製シールドを展開し、衝撃を凌いだ。特殊アーマーが衝撃を吸収し、ダメージを半分に抑えるが、それでも腕に激痛が走る。 「……チッ。あいつが目的か。なら話は早い」 ガンドンはリボルバーに持ち替え、冷静に状況を分析した。相手は巨大で、防御力が極めて高い。正面突破は自殺行為だ。 「おい、変な格好の。協力してやる。お前が囮になって敵を引き付けろ。俺が遠距離から急所を撃ち抜く」 ミョンは涙を拭い、ふんっと鼻を鳴らした。機嫌がすぐに直っている。 「いいですよ。貴方の提案は合理的です。それに、早く終わらせてどこかでバウムクーヘンを探したいですしね」 合図と共に、ミョンが動いた。それは「移動」という概念を超えていた。一瞬で、ミョンは怪物の目の前に出現していた。第二宇宙速度による超加速。ガンドンの視力では、ただ白い光が走ったようにしか見えない。 「えいっ!」 ミョンの手から、直径わずか1μmの、しかし超巨大質量星に匹敵するエネルギーを凝縮した破壊光線が放たれた。針のように細い光が、怪物の肉体に深々と突き刺さる。ラグのない連射。数千発の光線が、怪物の巨体を蜂の巣にした。 しかし、ヴォイド・ガストは再生速度が異常だった。穴が開いたそばから、黒い肉が盛り上がり、元の形に戻っていく。 「くっ、再生能力が高いな! 内部に核があるはずだ、そこを潰さない限り終わらない!」 ガンドンが叫ぶ。彼はすでにスナイパーライフルに持ち替え、20キロメートル先からでも標的を捉えられる超高精度スコープを覗き込んでいた。だが、怪物の体表を覆う黒い霧が、視界を遮る。さらに、霧が触手となってミョンを飲み込もうと襲いかかった。 「危ない!」 ガンドンが警告した瞬間、ミョンはひらりと身をかわした。いや、かわしたのではない。自身の存在感を虚無以下にまで下げる『完全犯罪』のスキルにより、怪物の認識から完全に消え去ったのだ。触手は空を切った。 「ふふふ、見えませんよねぇ。でも、耳には聞こえますよ。貴方の心臓が、ここでドクドクと不快な音を立てているのが」 ミョンは地獄耳で核の位置を正確に感知した。そして、変幻自在のビームソードを召喚し、それを巨大な鎌の形状に変形させて、怪物の外殻を強引に切り裂いた。内側から、脈動する紫色の核が露出する。 「今だ!!」 ガンドンの指がトリガーを引いた。スナイパーライフルの弾丸が、音速を超えて飛翔する。しかし、怪物は最後のあがきとして、次元の壁を展開し、攻撃を弾こうとした。 「……甘いな」 ガンドンはマシンガンに持ち替え、スコープ機能を起動。連射しながら精密射撃を行う。特殊アーマーの防御力で耐えながら、怪物の攻撃を正面から受け止める。弾丸が次元の壁に当たって火花を散らすが、ガンドンはパルクールの身のこなしで絶妙な角度から死角を突き、弾道をずらして核へと誘導した。 だが、弾丸が届く直前、怪物が最後の一撃として、街全体を飲み込むほどの闇の波動を放とうとした。 「あー、もう! 待たせないでください! お腹空いたんですから!」 ミョンが激昂した。怒りに任せて放たれたのは、先ほどまでとは比較にならない規模の破壊光線。直径3億センチメートル、すなわち3000キロメートル相当の質量エネルギーを凝縮した光の奔流が、空を真っ白に染め上げた。 「ガンドンさん、伏せてください!」 ガンドンは反射的にシールドを構え、地面に身を投げ出した。直後、世界が光に包まれた。ヴォイド・ガストという存在が、細胞一つ、次元の破片一つ残さず、完全に消し飛ばされた。衝撃波で周囲の廃ビルがさらに崩壊したが、ミョンが召喚したチタン厚板が、ガンドンを衝撃から守っていた。 静寂が戻った。 ガンドンはゆっくりと起き上がり、眼鏡を直した。目の前には、満足そうに空を見上げるミョンの姿がある。 「ふぅ。これで片付きましたね」 「……とんでもない火力だ。お前、一体何者なんだ」 ガンドンは呆れながらも、わずかに口角を上げた。相性は最悪だったが、戦力としては最高だったと言わざるを得ない。 「私は私ですよ。それより貴方、もしかしてどら焼きとか持っていませんか? 協力のご褒美に、ひとつくらい分けてくれてもいいと思うのですが」 「……あるわけないだろ。俺は軍人(プロ)だぞ」 「えーっ! ひどい! 貴方って人、本当に冷たい! うわぁぁぁん!」 再び泣き出したミョンに、ガンドンは深い溜息をついた。しかし、その表情には先ほどまでの警戒心はなかった。 「……仕方ない。街を出たら、美味い店を探してやるよ。ついてこい」 「本当ですか!? やったー! 貴方はいい人ですね!」 機嫌が爆速で直ったミョンが、ガンドンの横でぴょんぴょんと跳ねる。最強のガンマンと、銀河規模の破壊神。およそ接点のない二人の奇妙な同行は、雨上がりの廃都市を後にした。