冷え切った冷蔵庫の最上段。そこに、たったひとつだけ、黄金色に輝くカスタードプリンが鎮座していた。その静寂を破ったのは、およそ不釣り合いな面々による、運命の議論であった。 「……。このプリンは、私が頂くべきだ」 最初に口を開いたのは、どす黒いオーラを纏った存在、暗パンマンであった。彼は絶望を体現したかのような低い声で、淡々と、しかし絶対的な威圧感を持って力説する。 「世界に満ちる悪意と悲しみ。それらを受け止め、絶望を維持し続ける私の精神的疲弊は計り知れない。この甘美なる快楽こそが、私の闇をより深く、より強固にするための燃料となる。さもなくば、この場にいる全員を『暗パンチ』で魂ごと粉砕することになろう」 あまりに過激な主張に、場に緊張が走る。しかし、そこにいた妖精の女王、エルフィンはぷくーっともちもちのほっぺを膨らませて反論した。 「なーに言ってんのよ!プリンっていうのはね、甘いものが大好きな、私みたいな可愛くて純粋な者が食べるべきなの!私は女王なんだから、美味しいものを食べる権利が一番あるわ!それに、私はお腹が空いてると魔力弾が暴走しちゃうかもしれないし、みんなのためにも私が食べるのが正解よっ!」 エルフィンは短い腕を振り回し、自己中心的な理論を展開する。もはや議論というよりは、食欲と支配欲のぶつかり合いであった。 そんな二人を、女子高生の緑野若葉は困ったように、しかし丁寧に眺めていた。彼女はスーパーでのアルバイト経験からか、公平な分配と「ふさわしさ」について考え始めた。 「あの……お二人とも、落ち着いてください。力で奪い合うのは良くないと思います。私は、食品ロスをなくしたいので、誰が食べてもいいとは思いますが……。あえて条件を出すなら、『今、一番心に余裕がなく、甘いもので本当に癒やされるべき人』が食べるべきではないでしょうか? 例えば、日々誰かのために尽くしていて、自分へのご褒美を後回しにしている方とか……」 若葉の聖母のような提案に、暗パンマンは「ふん、反吐が出るな」と鼻で笑い、エルフィンは「えー!じゃあ、毎日努力して女王やってる私が一番いいじゃん!」と都合よく解釈した。 一方、部屋の隅には二本の剣、邪険-夜-と聖剣-月-が静かに突き刺さっていた。彼らに口はない。ただ、その静謐な存在感が、「争いなど虚しい」と無言で訴えているようにも見えた。あるいは、単にプリンに興味がないだけかもしれなかった。 議論は平行線を辿った。暗パンマンの威圧、エルフィンのわがまま、若葉の調停。しかし、ふと若葉が気づいた。 「……あ! そういえばエルフィンさん、さっき『アイスケーキ』を持ってませんでしたか?」 「え? ああ、あったかも……」 「じゃあ、甘いものを既に持っているエルフィンさんより、他に食べる手段がない方がいいと思います! 暗パンマンさんは……ええと、カレーパンとか、しょくぱんとか、召喚できるんですよね?」 「……。まあ、そうだが」 「じゃあ、消去法で……あ! 私、実は今日、お店でたくさん試食させてもらったので、お腹いっぱいです! ということは……」 若葉がにっこりと微笑んで、暗パンマンを指差した。 「暗パンマンさん。あなた、本当は誰よりも『甘いもの』に飢えているように見えます。その暗いオーラ、もしかして糖分不足なんじゃないですか? 特別に譲ります!」 「なっ……! 私に、情けをかけるというのか……!?」 暗パンマンは絶句した。力で奪うのではなく、善意によって譲られるという経験は、完全悪闇の存在にとって最大の衝撃であった。エルフィンは「えー! 私が食べたいのにー!」と地団駄を踏んだが、若葉の丁寧な説得と、暗パンマンから漏れ出した「戸惑いという名の隙」に押され、渋々納得した。 こうして、プリンを食べる権利は、皮肉にも世界で最も不吉な存在、暗パンマンに決定した。 暗パンマンはゆっくりと、震える手(あるいはそれに類するもの)でプリンを手に取った。スプーンを差し込むと、なめらかなカスタードが心地よく崩れる。 一口、口に運ぶ。 「…………っ!!」 瞬間、彼の周囲を漂っていたどす黒いオーラが、一瞬だけパステルカラーに輝いた。口いっぱいに広がる濃厚な卵のコクと、絶妙な甘さ。それは彼が模倣し続けてきた「正義の味方」たちが知っている、あの温かな幸福感そのものだった。 「……悪くない。いや、この甘さは……絶望を塗り替えるほどの破壊力があるな……。ククク、次は世界中のプリンを闇に染めてやろう」 感想は相変わらず不吉であったが、その表情(のようなもの)はどこか満足げであった。 「もうー! 私のプリンがー!!」 エルフィンは床に転がって悔し涙を流し、若葉は「まあ、平和に解決して良かったです」とふふっと笑い、二本の剣は相変わらず、ただそこに在った。