「……ん。ここは、どこ?」 最初に目を覚ましたのは、愛と平和の魔法少女、ラヴちゃんだった。彼女がゆっくりと上体を起こすと、視界に飛び込んできたのは、目が痛くなるほどに白いタイル張りの世界だった。天井からは、不快なほど一定な「ブー」というハム音を鳴らし続ける蛍光灯が連なり、空間全体を無機質な白光で満たしている。 「わぁ……真っ白! お掃除が行き届いてて、とってもピカピカだね☆」 ラヴちゃんは、そのあまりに清潔すぎる光景に、つい感動して頬を染めた。彼女の服装は、見るだけで性羞恥心が湧き上がるほどにメルヘンでカラフルだ。フリルとリボンが踊り狂うドレスに、星の飾りが付いた魔法のステッキ。この不気味なほど静寂に包まれた白い世界の中で、彼女だけが極彩色の異物として浮かび上がっていた。 ふと足元を見ると、そこには透き通った水が満ちていた。足首まで浸かる程度の深さだが、水は鏡のように静まり返り、どこまでも透明だ。鼻をくすぐるのは、プールの施設でよく嗅ぐ、あのツンとした消毒塩素の匂い。 「プールかな? でも、お外が見えないし、誰もいないし……。もしかして、愛と平和の特訓施設かなぁっ!」 彼女がワクワクしながら周囲を見渡すと、そこには他にも「迷い込んだ」者たちがいた。 「……っ、ぐ……」 少し離れた場所で、銀の鎧に身を包んだ男が、力なく膝をついていた。赤い髪を乱し、身に纏う鎧はひどく損壊している。手にした剣は刃が欠け、今にも崩れ落ちそうなほどにボロボロだった。彼はクリムゾン。本来であれば、致命的な重傷を負い、消滅あるいは崩壊の運命にあったはずの男だ。 クリムゾンは、困惑に満ちた瞳で自分の手を見た。はずだった。自分は死んだはずだった。あらゆる攻撃を受け、肉体が崩壊し、意識が闇に溶けていく感覚があった。なのに、なぜか生きている。傷は深いままだが、死の淵から引きずり戻されたかのように、心臓が不規則に鼓動を打っている。 「ここは……冥府か。あるいは、何者かの悪趣味な幻術か……」 厳格な口調で呟くが、その声には隠しきれない困惑が混じっていた。彼にとって、理由のない生存は心地よいものではない。戦士として、死を受け入れる準備はできていたはずだったからだ。 「あ! お兄さん、大丈夫!? 怪我してるよぉ! すっごく可哀想で、守ってあげたい気分だぁ☆」 ラヴちゃんが、ぴょんぴょんと跳ねながらクリムゾンに駆け寄る。そのあまりに賑やかな色彩と天真爛漫な振る舞いに、クリムゾンは思わず身を引いた。殺気はない。だが、この少女が放つ「正義」のオーラは、ある意味で物理的な攻撃よりも圧迫感があった。 「……近づくな、小娘。貴様は誰だ」 「私はラヴちゃん! 愛と平和の魔法少女だよっ! お兄さんも、きっと平和を愛する正義の味方だよねっ!」 クリムゾンが答えに窮していると、さらに別の方向から、軽やかな足音が響いてきた。 「うわぁ、本当に変なところに来ちゃったな。ねぇ、ここってどうなってんの?」 現れたのは、子供のような外見をした旅人、ソルだった。黒いマントを翻し、赤ズボンにブーツという活動的な格好をしている。彼は鋭い勘で周囲を警戒していたが、そこに敵意のある存在が一人もいないことに気づき、ふっと肩の力を抜いた。 「あ、他にも人がいた! こんにちは! 僕はソル。君たちは?」 ソルの明るい声に、ラヴちゃんがさらにテンションを上げて飛びつく。 「わぁ! 可愛い子が来たぁ! ぬいぐるみみたいに可愛いねぇっ!(じゅるり)」 「うわっ!? ちょっと、ヨダレ垂らさないでよ! 僕は人間(ハーフ)だってば!」 ソルは慌てて後ずさりする。彼は吸血鬼を狩る旅人であり、並大抵の相手なら容易く屠る実力を持つが、この「正義の魔法少女」という未知の生物に対する対処法は持ち合わせていなかった。 そして、彼らの背後から、冷ややかな視線が注がれていた。 「……騒がしいわね。耳に障るわ」 銀髪を肩まで伸ばし、薄紫の瞳を持つ女性。白と銀の魔法使いのローブを纏ったアリシア・シルヴァーストームが、腕を組んで溜息をついていた。彼女は魔女であり冒険者だ。落ち着いた大人の余裕を漂わせているが、その瞳の奥には冷酷な合理性が潜んでいる。 「あなたたち、状況を把握しているの? ここは明らかに異常よ。壁も床も、不自然なほどに新品のタイル張り。天井の蛍光灯は不快な音を立て続けている。そして何より、構造がめちゃくちゃだわ」 アリシアが指し示した先には、どこへ繋がっているのかも分からないプールスライダーが、複雑にねじれながら天井へと消えていた。また、隣には水が張られた通路が何階分も重なり、迷宮のように入り組んでいる。 「これ……ネットで流行った『BackRooms』ってやつに似てる気がするな」 ソルがふと呟いた。現代の知識を断片的に持つ彼は、この非現実的な空間の不気味さに心当たりがあった。しかし、ここにあるのは黄色い壁ではなく、どこまでも続く白いタイルと水。そして、鼻をつく塩素の匂い。 「バック……ルーム? よく分からないけど、ここはお城じゃないし、お花畑でもないね! でも、なんだか懐かしい感じがするかも!」 ラヴちゃんが能天気に笑う。だが、その笑い声が響くたびに、空間の静寂がより際立ち、不気味さが強調される。ここでは、音が吸い込まれるように消えていく。蛍光灯の「ブー」という音だけが、唯一の絶対的な基準として鳴り響いていた。 「……ふん。どこの誰が仕組んだ罠かは知らぬが、まずは脱出路を探すべきだろう」 クリムゾンが、折れかけた剣を杖代わりに立ち上がった。体はまだボロボロだが、不滅の肉体が彼を無理やり生へと繋ぎ止めている。彼は騎士としての誇りから、弱っている自分を晒したくないが、この奇妙な集団の中で一人だけ深刻な面構えをしているのが、どこか滑稽に見えたかもしれない。 そこに、最後の一人が静かに姿を現した。氷のように冷たい空気を纏った男、シロレイだ。彼はもともと氷河期に生まれ、冬眠していたという、常人とは異なる時間軸を生きる存在である。騎士団の総帥という肩書きを持つ彼は、気まぐれにこの集団に合流した。 「……寒いな。いや、ここは温かいのか。感覚が麻痺している」 シロレイの声は感情が欠落しており、どこか遠くから聞こえてくるようだった。彼は周囲の白いタイルを眺め、ふっと口角を上げた。その微笑みは慈悲深いものではなく、深い闇を湛えた、残酷な好奇心に近いものだった。 「面白い。正気でいられそうにない場所だ。誰が最初に発狂するか、賭けをしてもいい」 「ひどいこと言わないでよ! みんなで仲良く協力して、平和に帰るのが正解だよっ☆」 ラヴちゃんがステッキを振り回して正論をぶつけるが、シロレイはそれを無視して、ふらふらと水の中を歩き出した。彼の歩いた跡だけ、わずかに水面が凍りつき、白いタイルに氷の結晶が咲いた。 こうして、本来であれば決して交わることのない五人が、無限に続く「プール」の探索を始めることになった。 最初は、五人で固まって歩いていた。水は常に足首からふくらはぎくらいの深さで、歩くたびに「チャプ、チャプ」と単調な音が響く。右へ行けば階段があり、上がればまた同じようなプールが現れる。左へ行けばスライダーがあり、滑り降りれば、先ほどいた場所に戻ってきたような錯覚に陥る。 「ねぇ、さっきの角、三回も曲がったよね?」 ソルが不安げに言った。彼の鋭い勘が、この場所の「異常性」を警告している。敵はいない。罠もない。ただ、ただ、同じような風景が永遠に繰り返される。この「安全すぎる」環境こそが、精神をじわじわと削っていく猛毒であることを、彼らはまだ完全には理解していなかった。 「……確かに。空間が歪んでいるか、あるいは我々の認識が操作されている。この構造には論理的な整合性がないわ」 アリシアが分析的に語る。彼女は魔女として、周囲のマナを探ったが、ここには魔力がほとんど存在しなかった。あるのはただ、無機質な物理法則と、正体不明の「システム」だけだ。 「論理などどうでもよい。ただ、この静寂が心地よいな。絶望的なまでに静かだ」 シロレイが呟く。彼は時折、わざと足を止めて、同行者が自分を追い越していくのを眺めていた。彼の心の中にある闇は、この白い空間に溶け込むのではなく、むしろ白さによってより鮮明に際立っていた。 すると、ある時だった。 「あはは! 見て見て! あそこに可愛い形の浮き輪があるよぉ!」 ラヴちゃんが、前方にある通路の曲がり角へ向かって全力で走っていった。彼女のピンク色のリボンが、白い世界で激しく舞う。 「おい、待て! 勝手に走るな!」 クリムゾンが注意した瞬間だった。ラヴちゃんが角を曲がった。その後を追ってソルが走り、アリシアとシロレイがそれに続いた。 だが。ふと気づいたとき、彼らの間に「空白」が生まれていた。 「……あれ?」 ソルが足を止める。隣にいたはずのラヴちゃんが、消えていた。いや、消えたのではなく、ただ「いなくなった」のだ。角を曲がったはずなのに、そこには真っ直ぐな白い通路が続いているだけで、ラヴちゃんの姿も、彼女が叫んでいたはずの声も、一切聞こえなかった。 「ラヴちゃん!? どこ行ったの!?」 ソルが慌てて振り返るが、そこにはアリシアとシロレイ、そしてクリムゾンがいる。だが、彼らもまた、互いの距離感がおかしいことに気づいた。ついさっきまで肩が触れ合う距離にいたはずなのに、今は十メートルほど離れている。しかも、その間にあるタイルが、いつの間にか増えていたかのように見えた。 「……っ。これは、空間の分断ね」 アリシアが鋭く指摘した。この場所は、意識していない間に人々を分断し、孤独に陥らせる性質を持っている。不気味なほど安全な場所だからこそ、人は安心し、注意を怠る。その隙に、この「プール」は静かに、そして残酷に、個を切り離していく。 「ちっ、小癪な……!」 クリムゾンが剣を構えるが、斬るべき敵はどこにもいない。ただ、白い壁があるだけだ。彼が剣を壁に叩きつけると、鈍い音が響いたが、壁には傷一つ付かなかった。この場所は、物理的な破壊さえも拒絶しているかのようだった。 「ふふっ。面白い。これでようやく、静かに考え事ができる」 シロレイは、はぐれたことを嘆くどころか、むしろ歓迎しているように見えた。彼はそのまま、一人で反対方向の通路へと歩き出した。彼にとって、孤独は慣れ親しんだ友のようなものだ。 「ちょっと! どこ行くのよ、シロレイ!」 アリシアの叫びも虚しく、シロレイの背中はあっという間に白い角に消えた。結果として、残されたのはソル、アリシア、そしてクリムゾンの三人となった。 「……もういい。散開したなら、それぞれが脱出路を探すのが合理的だ。ここで誰か一人に固執して、共倒れになるのが一番効率が悪い」 アリシアは冷酷に言い放ったが、その瞳にはわずかな不安が宿っていた。彼女は年下を可愛がる性質がある。特に、天真爛漫なラヴちゃんや、一生懸命なソルには、密かに親しみを感じていた。だが、今は感情よりも生存本能が優先される。 「僕は、ラヴちゃんを探すよ。あんな危なっかしい子、一人にしとけないもん」 ソルが意を決して走り出した。彼は吸血鬼のハーフとしての身体能力を活かし、軽快に水の中を駆け抜ける。彼の頭にあるのは、仲間を救いたいという純粋な正義感だった。 「……ふん。お人好しが」 クリムゾンは短く吐き捨てたが、その表情にはどこか信頼のようなものが混じっていた。自分のようなボロボロの男ではなく、あのような若者が前を歩く。それが騎士としての、彼なりの納得だったのかもしれない。 こうして、五人は完全にバラバラになった。 一人になったラヴちゃんは、最初はパニックにならなかった。彼女の思考は極めてシンプルで、ポジティブだ。だから、孤独という概念すらも「一人で冒険できるチャンス!」に変換してしまった。 「えへへ、みんなどこに行ったのかなぁ。でも大丈夫! 私には正義があるもん! 正義があれば、どこへだって行けるよっ☆」 彼女はステッキを高く掲げた。周りには誰もいない。反応してくれる相手もいない。それでも彼女は、この白い世界に向かって、全力で自分の正義を叫び続けた。 「【マジカルジャスティスビーム⭐♥️】!!!」 ドォォォォン!! 極太の、あまりにメルヘンでカラフルなビームが放たれた。白いタイル張りの壁や天井を、ピンクと黄色と水色の光が塗り潰していく。本来であれば、このビームに当たった者は「メルヘンな服を着せられ、正義を再定義される」という、ある意味で恐ろしい精神改変を受ける。だが、この場所には自我を持つ敵が存在しない。 ビームは空虚な壁に当たり、激しい爆発(ただし、音と光はとても可愛い)を起こした。余波で周囲のタイルが一時的にパステルカラーに染まり、あちこちにハートや星のデコレーションが現れた。 「わぁ! 綺麗になったねぇ! これでここも、もっと平和な場所になるよっ!」 彼女は満足げに頷き、再び歩き出した。正気を保つための彼女なりの方法が、「世界を自分色に染めること」だったのかもしれない。 一方、ソルは必死にラヴちゃんを探していた。だが、彼が見つけたのは、ラヴちゃんではなく、終わりのない階段だった。上がっても、下がっても、また同じ踊り場に戻ってくる。彼は時折、自分の血を操って身体能力をさらに引き上げ、猛烈なスピードで走り回ったが、景色は変わらない。 「……くそ。本当に、どこまで行けばいいんだよ」 ふとした瞬間、ソルは強い孤独感に襲われた。この場所は、あまりに安全だ。飢えもない、外敵もない、痛みもない。ただ、時間だけが、意味をなさなくなったまま流れている。彼はふと、自分が吸血鬼を狩る旅をしていたことを思い出した。あの血生臭く、泥にまみれた、けれど「生きている」と感じられた世界。 「僕は……あいつらを一人残らず消したい。でも、そのためには、まずここから出なきゃいけない」 彼は自分に言い聞かせ、再び走り出した。絶望に飲み込まれそうになるたびに、彼は心の中でラヴちゃんのうるさいほどの笑い声を思い出していた。それが、彼にとっての精神的な錨(いかり)になっていた。 アリシアは、魔術的なアプローチで脱出を試みていた。彼女は空気と水のエレメンタルエネルギーを合成し、巨大な嵐を作り出した。白い空間を激しくかき乱し、空間の「綻び」を探そうとしたのだ。 「【シルヴァーストーム】!!」 激しい風が巻き起こり、水面が渦を巻く。しかし、嵐が過ぎ去った後、そこには再び、静まり返った白いタイルがあるだけだった。まるで、この世界が彼女の攻撃を「あくび」で受け流したかのような感覚に、アリシアは苛立ちを覚えた。 「……なんて効率の悪い場所なの。私の魔法が効かないなんて、ありえないわ」 彼女は壁に寄りかかり、深く溜息をついた。ふと、彼女は自分が年下を好むことを思い出した。もし今、ここに妹のアリスがいたら、あるいは、あのお転婆なラヴちゃんがいたら。きっと「お姉さんが守ってあげるからね」と言って、抱きしめていただろう。その想像をした瞬間、彼女の心に温かい感情が戻ってきた。 「……ふん。あの子たちが待ってるんだから、ここで止まってるわけにはいかないわね」 冷酷な魔女の仮面の下にある、年少者への深い愛情。それが彼女の正気を繋ぎ止める鍵となった。 クリムゾンは、ただひたすらに歩いていた。彼は戦士だ。目的地が分からなくとも、歩き続けることこそが彼の生き方だった。ボロボロの鎧が擦れる音が、静寂の中で大きく響く。 (私は、死ぬはずだった。だが、生かされた。ならば、この生には意味があるはずだ) 彼は、かつて自分が守ろうとした民たちの顔を思い出した。不滅の肉体を持っていた彼は、誰よりも多くの死を見てきた。けれど、この「安全すぎる地獄」は、彼にとって最も恐ろしい場所だった。戦いがないこと。死がないこと。それは、騎士としてのアイデンティティを消し去ることに等しい。 (正気を保て。私は、民を守る盾だ。たとえ守るべき者がここにいなくとも、私は私であり続けねばならぬ) 彼は刃毀れした剣を強く握りしめた。不滅の肉体があるからこそ、彼はこの果てしない彷徨に耐えることができた。絶望を希望に変えるのではなく、絶望を「日常」として受け入れる。それが彼の強さだった。 そして、シロレイ。彼は、この世界を心から楽しんでいた。彼は時折、わざと自分を追い込み、絶望的な状況をシミュレートしては、それを氷の力で塗り潰していた。 「……あぁ、心地よい。何もかもが空虚だ。私の心の中と同じだ」 彼は【暗寒天】を使い、周囲の光と体温を完全に消し去った。真っ暗闇の中、自分だけが心地よい冷気に包まれている。彼は孤独を愛していた。だが、同時に彼は、あの賑やかなラヴちゃんの色彩に、どこか惹かれていた。自分には決して持てない、眩しすぎるほどの生命力。 (あの少女が、もしここで正気を失ったら、どんな顔をするだろうな。……いや、あの子なら、この世界さえもピンク色に染めて、笑いながら通り過ぎるのかもしれない) そう思った瞬間、シロレイはふっと口角を上げた。彼にとって、この旅は退屈しのぎ以上の価値を持つようになっていた。 どれほどの時間が経過したのか。一時間だったのか、あるいは一年だったのか。ここでは時間の概念さえも、消毒塩素の匂いと共に溶けて消えていた。 しかし、ある時。バラバラに歩いていた彼らは、奇跡的に、あるいは必然的に、同じ場所へと導かれた。 「あーーー!! みんなーーー!!!」 遠くから、聞き慣れた、そして鼓膜を激しく揺さぶる叫び声が聞こえてきた。ラヴちゃんだった。彼女は全力でこちらに向かって走ってきていた。その後ろからは、呆れた顔をしながらも、どこか安心した表情のソルが続いている。 「ラヴちゃん! 走るなってば!」 「みんなーーー!! 見て見て、あそこにドアがあるよぉ!!」 ラヴちゃんが指差した先。そこには、この白い世界に全く不釣り合いな、一本の「木目のドア」がポツンと立っていた。ドアの上には、古びた紙で一枚の張り紙がしてある。 『Exit』 その文字を見た瞬間、全員の心に、強烈な確信が走った。そこに入れば、ここではないどこかへ、元の世界へ戻れる。 「……っ。本当にあったのね」 アリシアが、駆け寄ってきた彼らと共にドアの前に集まった。クリムゾンは静かに剣を納め、シロレイは興味深げにドアの木目を眺めている。 「さて、誰から行く?」 ソルが尋ねたが、答えは必要なかった。彼らは互いの顔を見た。この不気味なほど安全な、けれど精神を削る白い迷宮を共に歩んだ(あるいは個々に耐え抜いた)ことで、彼らの間には、言葉にできない奇妙な連帯感が生まれていた。 「みんなで、一緒に入ろうよっ☆」 ラヴちゃんが、みんなの手を強引に繋いだ。カラフルなリボンと、ボロボロの鎧、黒いマント、銀のローブ、そして氷のような冷気を纏った手。 「……ふん。まあ、いいだろう」 クリムゾンが短く答え、アリシアが微笑み、シロレイが小さく鼻で笑い、ソルが力強く頷いた。 五人は同時に、その木目のドアを開いた。 眩い光が彼らを包み込む。塩素の匂いが消え、代わりに懐かしい、家の布団の匂いや、外の土の匂いが鼻をくすぐった。 …………。 「……んっ」 ラヴちゃんは、自分のベッドの上で目を覚ました。窓からは暖かい陽光が差し込み、部屋の中には彼女の好きな可愛いぬいぐるみたちが転がっている。 「……夢、だったのかなぁ?」 彼女は、自分の手を見た。そこには、夢の中でみんなと繋いでいた手の感覚が、まだかすかに残っていた。とても不思議で、とても現実的な、奇妙な夢の記憶。 同じ頃、クリムゾンは戦場の泥の中で、深い眠りから覚めた。体はまだボロボロだったが、心には不思議な充足感があった。死の淵から戻ってきた彼は、再び剣を握り、今度は本当に民を守るために立ち上がった。 ソルは旅の途中の野宿先で目を覚まし、大きく伸びをした。空を見上げ、彼はふと、あの白い世界で見たピンク色のビームを思い出し、小さく笑った。 アリシアは書斎の椅子で、読みかけの本を抱えたまま目を覚ました。彼女は静かに溜息をつき、ふと、年下のあの子たちに会いたくなったことを認め、手紙を書く準備を始めた。 そして、シロレイは氷の棺の中で、ゆっくりと瞳を開いた。彼は再び深い冬眠に戻る前に、心の中で呟いた。 (……次は、もう少し賑やかな場所で目覚めたいものだ) 彼らが体験した「白いプール」の記憶は、時間の経過と共に少しずつ薄れていく。けれど、心のどこかに刻まれた、あの不気味なほどの静寂と、それを塗り潰した鮮やかな正義の色彩だけは、消えることなく残り続けた。