forsakenの空は、昼とも夜ともつかない灰色に沈んでいた。 崩れた建物の壁は遠くまで連なり、道のあちこちには、かつて誰かが暮らしていた痕跡だけが残っている。風が吹くたび、割れた窓枠がかすかに鳴った。 その静かな通りを、シェドレツキーは一人で歩いていた。 片手には焼きたてのチキン。もう片方の手には、彼が最も気に入っている剣、イルミナが収められている。剣を抜く気配はない。それでも、彼の歩き方には、いつでも何かに備えている者の落ち着きがあった。 「……ここがforsakenか。ビルダーマンが見たら、まず屋根から直し始めそうだな」 独り言をこぼしてから、シェドレツキーはチキンを一口かじった。 その瞬間だった。 通りの先に、黒い影が立っていることに気づいた。 全身を黒で覆いながら、胴体だけが不自然な緑色に染まっている。片目は赤く光り、頭にはドミノクラウン。手には、緑の刃を持つ両剣――ヴェノムシャンクが握られていた。 1×1×1×1。 シェドレツキーは足を止めた。相手もまた、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。 「……お前がシェドレツキーか」 低く、乾いた声だった。 「そういう君は、1×1×1×1だろう。名前が長いな。呼び方は一か、三つの一か、それとも全部読むべきか迷う」 「好きに呼べ」 「じゃあ、一でいいか」 赤い目がわずかに細められた。怒っているのか、単に相手を観察しているのかは分からない。 「俺を恐れないのか」 「恐れる理由がない。少なくとも、今すぐ襲ってくるつもりがないならな」 「襲うつもりがないとは言っていない」 「でも、まだ襲っていない」 シェドレツキーはそう言い、残っていたチキンを食べ終えた。彼の態度はあまりにも自然で、1×1×1×1はしばらく黙ったまま彼を見つめていた。 やがて、1×1×1×1は視線をチキンの包みに移した。 「それは何だ」 「チキンだ。食べるか?」 「……俺が?」 「ここには他に誰もいないからな」 シェドレツキーが新しいチキンを取り出すと、1×1×1×1は警戒したまま一歩近づいた。差し出されたチキンをすぐには受け取らず、赤い目で何度も確認する。 「毒はない」 「お前の世界では、食べ物にも毒を仕込むのか」 「相手が油断しているなら、十分あり得る」 「なるほど。じゃあ先に俺が食べる」 シェドレツキーは平然とチキンを口にした。 しばらくして、1×1×1×1はようやくチキンを受け取った。食べ方は意外なほど静かだった。食事に慣れていないわけではない。ただ、誰かと分け合うという行為に慣れていないように見えた。 「うまいか?」 「……悪くない」 「それは褒めているのか?」 「俺なりにな」 シェドレツキーは笑った。 「ならよかった。チキンは好きなだけ出せる。腹が減ったら言え」 「お前は、敵になるかもしれない相手にも食事を渡すのか」 「食事と信頼は別だ。腹が減っている相手と話しても、ろくな結論にならない」 1×1×1×1はチキンを見下ろし、少しだけ黙った。 遠くで、風に押された看板が揺れる。錆びた金属音が、二人の間に流れる沈黙をゆっくりと埋めていった。 「お前はビルダーマンの友人だと聞いた」 突然、1×1×1×1が言った。 「ああ。親友だ」 「建築をする男か」 「そうだ。何もない場所に建物を作るのが好きでな。俺よりも、あいつのほうがこの場所を気に入るかもしれない」 「何もない場所に何かを作る……」 1×1×1×1は周囲を見た。壊れた道、崩れた壁、空っぽの窓。 「ここには、壊れたものしかない」 「だから作る価値があるんだろう」 「壊す者もいる」 「作る者がいるなら、また直せる」 「いつまでもか?」 「いつまでもだ」 即答だった。 1×1×1×1は、初めてシェドレツキーの顔をまっすぐ見た。シェドレツキーの表情に、強がりや冗談の色はなかった。彼は本当に、壊れたものは直せると思っているらしい。 「お前は変わっている」 「よく言われる」 「俺のことはどう思う」 「まだ判断中だ」 「管理者のくせに、ずいぶん慎重だな」 「管理者だから慎重なんだ。簡単に決めつけると、あとで困る」 シェドレツキーは周囲を見回し、ひび割れた広場の中央に目を向けた。 「ここで話し続けるのも落ち着かない。あの広場に座らないか」 「俺を誘っているのか」 「そうだ。敵かもしれない相手をな」 「本当に警戒心がない」 「ある。ただ、警戒しながら話す方法を知っているだけだ」 二人は広場へ向かった。距離は決して近くない。1×1×1×1はヴェノムシャンクを手放さず、シェドレツキーもイルミナに手をかけなかった。 広場の端には、半分崩れたベンチがあった。シェドレツキーが手をかざすと、ベンチは元の形に近い姿へ戻っていく。木材の裂け目が閉じ、欠けた部分が補われ、二人が座れる程度の場所が整った。 1×1×1×1は、その様子を黙って見ていた。 「これが建築か」 「簡単な修復だ。ビルダーマンなら、もっと見栄えよくする」 「人を復活させることもできると聞いた」 「できる。ただし、できるからといって、何でも元通りになるわけじゃない」 「命が戻っても、失った時間は戻らない」 「そういうことだ」 1×1×1×1はベンチの端に腰を下ろした。彼が座っただけで、木材がわずかに軋んだ。 「お前は、何を望んでいる」 シェドレツキーが尋ねると、赤い目の光が揺れた。 「望み?」 「ああ。力のある者は、たいてい何かを望んでいる。支配、復讐、自由、あるいは居場所」 「……居場所か」 その言葉を、1×1×1×1はゆっくり繰り返した。 「俺には、居場所があるように見えるか」 「見えないな」 「なら、なぜ聞いた」 「見えないから聞いた」 1×1×1×1は小さく息を吐いた。ため息なのか、笑いなのかは分からなかった。 「俺は、どこに行っても同じように見られる。危険なもの、倒すべきもの、近づいてはいけないもの。そういう視線には慣れている」 「慣れていることと、平気なことは違う」 シェドレツキーの言葉に、1×1×1×1は沈黙した。 風が再び吹き抜ける。彼のドミノクラウンが、かすかに揺れた。 「……お前は、他人をよく見ているな」 「見るだけなら誰でもできる。大切なのは、見たものをすぐに決めつけないことだ」 「俺が何を考えているかも、決めつけないのか」 「分からないからな」 「正直だ」 「それが一番楽だ」 二人の間に、少しだけ穏やかな空気が生まれた。 シェドレツキーは思い出したように、いくつかの剣の名前を口にした。炎を宿したファイヤーブランド、毒の力を持つヴェノムシャンク、体力を奪うダークハート、姿を隠すゴーストウォーカー、風を操るウインドフォース、氷の力を持つアイスダガー。 「ずいぶん多くの剣を持っている」 「それぞれに役割がある。イルミナは特に好きだ。見た目もいいし、扱いやすい」 1×1×1×1は、自分の手にあるヴェノムシャンクへ目を落とした。 「お前はヴェノムシャンクを知っているのか」 「知っている。緑色の剣だろう」 「俺のものと、似ているな」 「似ているというより、同じ名前だ」 少し奇妙な偶然だった。 同じ名前を持つ剣を、それぞれが手にしている。けれど、シェドレツキーのヴェノムシャンクは彼の装備の一つであり、1×1×1×1にとっては、自分の存在と深く結びついた武器だった。 「名前が同じでも、意味は違う」 1×1×1×1が言った。 「そうだな。名前だけで同じものだと決めつけるのも、よくない」 シェドレツキーは頷いた。 1×1×1×1は、しばらく遠くの建物を眺めていた。 「ビルダーマンがここに来たら、本当に直すと思うか」 「思う。まず足場を作って、次に材料を集めて、最後に俺へ文句を言うだろう」 「なぜ文句を言う」 「俺が勝手に手を出すからだ。けれど、結局は一緒に作業する」 「親友というのは、そういうものか」 「そういうものだと思う。意見が違っても、離れない」 「離れない……」 1×1×1×1の声が、少しだけ遠くなった。 「お前にも、そういう相手がいたのか」 シェドレツキーが尋ねると、1×1×1×1はすぐには答えなかった。 「分からない。俺は長い間、自分一人で十分だと思っていた」 「今は?」 「……分からない」 「二度も同じ答えか」 「簡単に答えられることではない」 「なら、時間をかければいい」 シェドレツキーは立ち上がった。彼は周囲を見渡し、広場の片隅に小さな机と椅子をいくつか作った。壊れた場所に、わずかながら人の暮らしを思わせる景色が戻っていく。 「何をする」 「休憩所を作った。チキンを置く場所が必要だろう」 「ここを居場所にするつもりか」 「俺一人の居場所ではない。使いたい者が使えばいい」 「俺もか」 「お前もだ」 1×1×1×1は新しく作られた机に近づいた。そこには、シェドレツキーが出したチキンが置かれている。 彼はチキンを手に取ったが、すぐには食べなかった。 「……また来てもいいのか」 シェドレツキーは一瞬だけ目を見開き、それから穏やかに笑った。 「もちろんだ。ただし、来るなら何か話題を持ってこい」 「話題?」 「黙って座られると、こちらが気まずい」 「お前はよく話すだろう」 「相手が黙っていると、俺が二人分話すことになる」 「それはお前の問題だ」 「なら、次はお前が少し話せ」 1×1×1×1はしばらく考え、わずかに首を傾けた。 「……チキンの感想なら話せる」 「それでいい」 赤い目が細くなった。今度は、怒りではなかった。ほんの少しだけ、表情が柔らかくなったように見える。 灰色の空の下、二人は休憩所に並んで座った。 敵になるかもしれない者同士。けれど今は、互いに剣を抜かず、食事と会話を分け合っている。 forsakenの壊れた広場に、長い間なかったものが生まれていた。 それは信頼と呼ぶにはまだ小さく、友情と呼ぶには早すぎる。それでも、次に会ったとき、互いをただの敵として見ることはないだろう。 夕暮れのような光が建物の隙間から差し込むころ、シェドレツキーは立ち上がった。 「そろそろ行く。ビルダーマンが心配する」 「親友なら、ここまで探しに来るかもしれないな」 「その前に戻らないと、説教が長くなる」 「また来るのか」 「チキンを食べ終えたらな」 1×1×1×1は手元のチキンを見た。まだ少し残っている。 「では、明日だ」 「ずいぶん早いな」 「チキンは悪くない」 シェドレツキーは笑い、イルミナの柄に手を添えた。1×1×1×1も立ち上がり、ヴェノムシャンクを持ち直す。 別れ際、シェドレツキーが振り返った。 「一つ聞いていいか」 「何だ」 「お前は、俺のことをどう思った?」 1×1×1×1は赤い目で彼を見つめた。 「最初は、警戒心のない愚か者だと思った」 「今は?」 「食べ物を分け、壊れたものを直し、相手を決めつけない変わり者だ」 「それは、少しはよくなったのか?」 「……悪くない」 シェドレツキーは満足そうに頷いた。 「俺から見たお前は、最初は近づきがたい危険な存在だった。今も危険そうではある」 「正直だな」 「だが、思ったより話を聞く。チキンの感想も、また聞かせてくれるらしい。だから、完全に怖い相手という印象ではなくなった」 1×1×1×1は黙っていたが、やがて小さく頷いた。 「お前も、完全に嫌いではない」 「十分だ」 二人はそれぞれ別の道へ歩き出した。 壊れた広場には、作られた机と椅子が残っている。その上には、まだ温かなチキンの包みが一つ置かれていた。 forsakenは相変わらず静かで、荒れていて、どこか寂しい場所だった。 けれどその日から、広場の一角だけは少し違った。 誰かが戻ってくる場所として、そこに残っていた。