夕暮れの街は、いつもより少しだけ賑やかだった。 通りの両側には橙色のランタンが吊るされ、窓辺には紙で作られたおばけや黒猫が飾られている。店先からは焼き菓子の甘い香りが漂い、あちこちで子どもたちの笑い声が弾んでいた。 今日はハロウィンのイベントの日だ。 その人波の中を、もこもことした白い羊が歩いていた。 もちろん、本物の羊ではない。雲の魔法少女クララが、雲をたっぷり使って仕立てた仮装だった。 白い着ぐるみは雲のように柔らかく、頭には小さな羊耳と、くるりと巻いた角がついている。着ぐるみの隙間からのぞく白いふわもこロングヘアと空色の瞳が、彼女をいっそう愛らしく見せていた。 クララは両手に大きな籠を抱え、眠たげな顔をしながらも、今日は珍しく足取りが軽い。 「お菓子……いっぱい、もらえるかなぁ……」 その隣を歩いているのは、スチームパンク風のロボットに仮装したソフィアだった。 歯車で飾られた衣装は細部まで丁寧に作り込まれており、背中には飾りの歯車が翼のように取り付けられている。白金色のストレートヘアに琥珀色の瞳、そして真面目な表情。仮装をしていても、ソフィアの雰囲気はどこかきちんとしていた。 「クララ、籠の持ち方には気をつけてください。傾いています」 「んー……? ほんとだぁ……。お菓子が、こっちに寄ってるねぇ」 「寄っているのではなく、あなたが斜めに持っているのです」 ソフィアがそっと籠を支えると、クララは少し首をかしげた。 「ソフィアは、よく見てるねぇ」 「当然です。せっかくいただいたお菓子を落としてしまったら、もったいないでしょう」 「うん……もったいない……。落ちたら、雲のお布団にして寝ようかなぁ」 「食べ物を寝具にしてはいけません」 即座に返された言葉に、クララはぱちぱちと瞬きをした。それから、ふわりと笑う。 「ソフィアは、今日もまじめだねぇ」 「あなたがのんびりしすぎているのです」 「でも、今日はやる気があるよぉ」 「……本当ですか?」 「ほんとほんと。いっぱいお菓子をもらうの」 クララは籠を少し持ち上げ、羊の角を揺らした。その動作は勇ましいというより、柔らかなぬいぐるみが頑張っているようである。 ソフィアはしばらく彼女を見つめたあと、わずかに口元を緩めた。 「では、まずはあちらの菓子店に行きましょう。列ができていますが、順番を守れば必ずいただけます」 「列……長いねぇ」 通りの先には、ハロウィン限定の焼き菓子を配る店があった。カボチャの形をしたクッキー、黒猫のチョコレート、星形の砂糖菓子。どれもクララの目を輝かせるには十分だったが、列の長さを見た途端、彼女のまぶたは少し重くなった。 「クララ、寝ないでください」 「寝てないよぉ。目を閉じて、心の中で並んでるの……」 「それは並んでいるとは言いません」 「ソフィアが呼んでくれたら、すぐ起きるよぉ」 「あなたは雲の上でも、私の声を聞くと起きませんね」 「んー……聞こえてるけど、起きるのが少しあとになるのぉ」 ソフィアは小さくため息をついた。しかし、クララの頭から羊耳がゆらゆら揺れているのを見ると、強く注意する気にはなれないようだった。 二人は列の最後尾に並んだ。 前にいた小さな女の子が、クララの仮装を見上げている。女の子は魔女の帽子をかぶっており、手には小さな紙袋を持っていた。 「おねえちゃん、ひつじさん?」 尋ねられたクララは、ゆっくりとしゃがみ込んだ。着ぐるみの裾がふわりと広がり、雲のような白い毛並みが街灯を受けて柔らかく光る。 「そうだよぉ。ふわふわ羊さんなの」 「かわいい! その角、本物?」 「くるくるしてるけど、やわらかいよぉ。触ってみる?」 女の子がそっと角に触れると、クララは嬉しそうに目を細めた。 「ほんとだ、ふわふわ!」 「雲で作ったの。寝心地もいいよぉ」 「寝るの?」 「うん。雲で寝るの、大好き……」 クララはそこまで話して、うとうとしかけた。ソフィアがすかさず肩を支える。 「クララ、列が進みました」 「はぁい……お菓子のところまで、あと何歩ぉ?」 「十歩ほどです」 「じゃあ、十歩ぶんだけ頑張るねぇ」 「その調子です」 二人が一歩ずつ進むたび、周囲の人々から「かわいい」「すごい衣装」と声がかかった。クララはそのたびに小さく手を振り、ソフィアは丁寧に会釈を返した。 やがて二人の番が来る。 「トリック・オア・トリート……」 クララは少し考えてから、両手を口元に添えた。 「トリック・オア・トリートぉ」 店員が笑顔で大きな袋を差し出した。 「どうぞ。羊さんには、特別に雲の形のマシュマロも入れておきますね」 「わぁ……雲……!」 クララの空色の瞳が、眠気を忘れたように輝いた。 「ありがとうございます。私からも、感謝を申し上げます」 ソフィアが頭を下げる横で、クララは袋を胸に抱きしめている。 「ソフィア、見てぇ。雲のお菓子だよぉ」 「ええ。よかったですね」 「食べても雲の味かなぁ」 「雲は食べ物ではありません」 「でも、ふわふわだよぉ」 「……味については、食べてから判断してください」 二人は店を離れ、通りの端にあるベンチへ向かった。クララはさっそく袋の中を確認し始める。カボチャクッキー、チョコレート、キャンディー、そして白いマシュマロ。 ソフィアは品物を一つずつ並べ、数を確認した。 「クッキーが三枚、チョコレートが二つ、キャンディーが四つ、マシュマロが……五つですね」 「いっぱい……」 「まだ一軒目です」 「まだ、いっぱい増えるのぉ?」 「あなたがそのつもりで歩くならば」 クララはマシュマロを一つつまみ、口に入れた。柔らかな甘さが広がると、頬がゆるむ。 「んぅ……甘くて、ふわふわ……」 「気に入ったようですね」 「うん。ソフィアも食べる?」 「私は……」 ソフィアは一瞬ためらった。クララが差し出したマシュマロを見つめる。 「……では、一つだけいただきます」 「はい、どうぞぉ」 ソフィアが受け取って食べると、クララはじっと反応を待った。 「いかがですかぁ?」 「ふわふわしています。甘さも控えめで、悪くありません」 「悪くない、なんだぁ」 「とてもおいしい、と言うほどでは……」 「ソフィアは、褒めるのもまじめだねぇ」 「評価は正確に行うべきです」 そう言いながら、ソフィアはもう一つマシュマロを手に取った。 クララはそれを見逃さなかった。 「もう一つ食べるのぉ?」 「……確認です。味の確認を続けるだけです」 「ふふ……」 その後も二人は、いくつもの店を巡った。 クララは「トリック・オア・トリート」を言うたび、羊の角を揺らし、ソフィアは店員に対して丁寧に礼を述べた。クララが袋を抱えきれなくなると、ソフィアが預かり、ソフィアの腕がいっぱいになると、クララが雲で小さな籠を作って運んだ。 「クララ、これは非常に便利ですね」 「そうでしょう……? 雲は、寝るだけじゃなくて、お菓子も運べるのぉ」 「しかし、食べすぎには注意してください」 「うん……たくさん食べて、たくさん寝るの」 「順番が逆です。少し休んでから食べるべきでしょう」 「じゃあ、少し寝てから、また食べるぅ」 「それでは、ずっと食べることになります」 ソフィアはそう言ったものの、クララが満足そうに笑っているのを見ると、結局それ以上は何も言わなかった。 夜が深まり、イベントの終わりを告げる鐘が鳴る。 二人は街の外れにある小高い丘へ移動した。そこからは、ランタンで彩られた街が一望できる。遠くではまだ子どもたちの声が聞こえ、夜空には細い月が浮かんでいた。 クララは雲をふわりと広げ、その上に腰を下ろした。羊の着ぐるみが雲に沈み、角だけがぴょこんと見える。 「今日は、いっぱいもらえたねぇ……」 「ええ。籠が二つ分です。十分な成果でしょう」 「ソフィアが一緒だったからだよぉ」 「私は、あなたが寝てしまわないよう見ていただけです」 「それが、一緒にいてくれたってことなのぉ」 クララは雲の上でごろんと横になった。白い髪がふわりと広がり、空色の瞳が月を映す。 「ソフィアも、ここで休む?」 「私はまだ帰りの道を確認していません」 「確認は、あとでもできるよぉ。雲、広いから……」 クララが雲の端をぽんぽんと叩く。 「あなたは本当に、どこでも眠れるのですね」 「雲なら、どこでも……。ソフィアの隣も、あったかいよぉ」 「……そういう言い方をされると、断りにくくなります」 ソフィアは少し困ったように眉を下げ、それでもクララの隣に腰を下ろした。 雲は柔らかく、思ったよりもしっかりと二人を受け止めた。ソフィアは背筋を伸ばしていたが、しばらくすると肩の力が抜ける。 「今日は、楽しかったですかぁ?」 「ええ。あなたが無事に、そして予定どおりお菓子を集められたので、満足しています」 「ソフィアは?」 「私も、楽しかったですよ」 ソフィアは夜の街を見下ろした。 「普段のあなたは、もっと眠そうで、何事にもゆっくりしていますから。今日のように目を輝かせている姿を見るのは、悪くありませんでした」 「ソフィアは、しっかりしてて、やさしいねぇ。お菓子を落とさないようにしてくれて、列も見てくれて、わたしが眠ったら起こしてくれて……」 「それは、面倒を見ているだけです」 「うん。だから、やさしいのぉ」 ソフィアは返事をしようとして、少し黙った。 やがて、クララのまぶたがゆっくりと閉じていく。 「クララ、寝るならせめて、帰る準備をしてからにしてください」 「んー……ソフィアがいるから、だいじょうぶ……」 「そういう問題ではありません」 「おやすみぃ……。ハッピーハロウィン……」 「……おやすみなさい、クララ。よい夢を」 クララは雲の上で、満足そうな笑顔を浮かべた。 ソフィアはそんな彼女を見守りながら、二つの籠と、雲の中に収納されたたくさんのお菓子を確認する。帰るべき時間ではあったが、今すぐ起こすのも気が引けた。 月明かりの下、羊の仮装をしたクララと、ロボット姿のソフィアは、しばらく丘の上で静かに過ごした。 雲はゆっくりと夜風に揺れ、街の灯りは遠くで瞬いている。 そして、二人はそれぞれに、今日の相手を思い返していた。 クララにとってソフィアは、まじめで、頼りになって、いつも自分を気にかけてくれる人だった。少し堅くて、少し心配性だけれど、その隣にいると安心して眠れる。今日も一緒にお菓子を集めてくれたことが、とても嬉しかった。 ソフィアにとってクララは、のんびりしていて、目を離すとすぐ眠ってしまう、少々手のかかる少女だった。しかし、誰に対しても優しく、柔らかな笑顔を向ける。その無邪気さと温かさは、そばにいる人の心まで穏やかにしてくれるものだった。 ソフィアは小さく息をつき、眠るクララの羊耳をそっと整える。 「来年も、きちんと計画を立てて参加しましょう」 眠ったままのクララが、かすかに笑った。 「いっぱい……お菓子……」 「ええ。あなたが寝過ごさなければ、ですが」