裏路地の喧騒から少し離れた、古びたダイナー。使い古された赤いレザーシートと、油の跳ねたカウンターが特徴的なその店に、およそ不釣り合いな四人の男女が集まっていた。 「あー、もう!なんでわざわざこんな辺鄙な店で待ち合わせしなきゃならねぇんだよ!腹が減って死にそうだぜ!」 テーブルを激しく叩いたのは、白地紫のファーコートを豪快に羽織った男、ロウだ。短く切り揃えられた黒のウルフカットが、苛立ちに合わせて激しく揺れる。彼の傍らには、彼と同じく鎖と帳簿を携えた女、オペラがいた。 「いいじゃない、ロウ。たまにはこういう『庶民的な趣』ってやつを楽しまなきゃ。それに、相手が『人差し指』の代行者様なんだから、少しくらいの不便は我慢しなさいよ」 オペラは勝ち気な笑みを浮かべ、紫のメッシュが入った髪を指でくるくると弄った。彼女は軽快な口調で言いながらも、視線は鋭く、向かい側に座る二人を観察している。 向かい側に座っているのは、黒いスーツに白マントを纏った青年、ヘルツと、その隣で器用に端末機を操作している幼い少女、ロペだった。 ヘルツは、ボサボサの黒髪の間から気だるげに視線を向けた。その瞳には、相手に対する興味も、あるいは敵意すらも希薄な、完全なる「受動的」な空気が漂っている。彼はインカムを指で軽く叩きながら、小さくため息をついた。 「……うるさい。声が大きい。耳に響く……」 「なんだとコラ!誰に口叩いてんだ!」 ロウが即座に身を乗り出し、激昂する。しかし、その怒りの波動を遮るように、隣のロペが屈託のない、それでいてどこか空っぽな笑顔で口を開いた。 「ねーねー!お兄ちゃんたち、すごく怒ってるね!面白い!あはは、顔が真っ赤だよ!」 ロペは九歳という幼い外見に反し、その言葉には残酷なまでの客観性が混じっていた。彼女は端末機の画面を高速でスクロールしながら、楽しそうにロウを指差して笑う。 「このガキ……!いい格好しやがって、中指の面子を潰しに来たか!」 「もー、ロウ!子供を相手に熱くなりすぎだってば」 オペラがロウの肩を軽く叩いてなだめる。しかし、彼女の目は笑っていなかった。彼女たちの組織『中指』にとって、義理と怨恨は絶対だ。そして、運命的に動く『人差し指』の代行者たちは、その論理とは正反対の地点に立っている。予測不能な「指令」で動く彼らは、義理や情といった人間的なしがらみを切り捨てた存在だからだ。 「……指令。……『昼食を共にし、情報を共有せよ』。……期限は、食後のコーヒーが出るまで」 ヘルツが淡々と呟く。彼はもはや、相手が誰であるかよりも、自分に下された指令をどう完遂させるかということだけに意識を向けていた。彼にとって、目の前のロウがどれほど暴力的であろうと、それは「環境の一部」に過ぎない。 「指令だあ?笑わせんじゃねぇよ。俺たちが付き合ってやってるのは、あんたらが持ってる『帳尻』の話を聞きたいからだ。なあ、オペラ」 ロウが不機嫌そうに、懐の帳簿を指で弾く。そこには数多の怨恨と、それを返した記録が刻まれている。彼らにとって、この帳簿こそが家族の絆であり、力の源だ。 「そうそう。人差し指の連中が、最近うちのシマの連中に妙な指示を出してるって噂があるのよね。それが本当なら、ただの『偶然』じゃ済まさないわよ。きっちりと、倍返しにさせてもらうから」 オペラが身を乗り出し、ヘルツに視線をぶつける。彼女の口調は軽いが、その瞳には「獲物」を定めるような鋭さがあった。 ヘルツは、メニュー表をぼーっと眺めながら、ゆっくりと口を開いた。 「……僕が、そんな面倒なことをする理由がない。僕はただ、言われた通りに動いているだけだ。誰が誰を恨もうが、僕には関係ない。共感なんて、効率が悪いし」 「……チッ。相変わらず血の通ってねぇ言い方しやがって。お前みたいな奴が一番ムカつくんだよ!」 ロウが再び激昂し、テーブルを拳で叩く。ガシャン、とカトラリーが跳ね上がった。しかし、ロペがそれを器用にキャッチし、わざとらしくに回して見せる。 「ねー!お兄ちゃん、もっと怒って!もっと暴れて!そうすると、後で『編集』して切り取る時に、すごくいいシーンになるもんね!」 ロペが無邪気に笑う。彼女にとって、他者の感情や衝突は、フィルムに記録される「素材」に過ぎない。彼女の瞳に映っているのは、人間としてのロウではなく、切り抜くべき「現象」としてのロウだった。 「……おい、ガキ。お前、今なんて言った?」 ロウの声が低くなる。周囲の空気がにわかに張り詰め、彼に刻まれた強化刺青が、微かに熱を帯び始める。だが、オペラがその腕を強く掴んだ。 「いい加減にしなさい、ロウ!ここで暴れたら、店主に追い出されて、せっかくの食事が台無しよ。それに、相手は人差し指。ここでやり合っても、指令があるまで彼らは本気を出さないわ。時間の無駄よ」 「……っ、クソが!分かってるよ!」 ロウは乱暴に椅子に深くもたれかかった。彼は不機嫌そうに、注文した山盛りのパンケーキを一口で頬張る。その豪快な食べ方に、ロペが興味深そうに端末機で写真を撮った。 「あはは!すごい食べ方!おもしろいね、このお兄ちゃん!」 「……うるさい。……あ、コーヒー来た」 ヘルツが、運ばれてきた黒い液体を一口啜る。その表情は相変わらず死んだ魚のようだったが、わずかに、本当にわずかに、この騒々しい空気に対する心地よさを感じていたのかもしれない。彼は受動的だ。自分から何かを始めることはないが、誰かが騒いでくれる環境は、静寂よりも耐えやすかった。 「ふーん。まあいいわ。指令が終わるまでなら、付き合ってあげる。ねえ、ヘルツ。あんたのその『受話器』っていうのは、具体的に何を伝えてくるの?全部の運命が決まってるってこと?」 オペラが興味津々に問いかける。彼女は勝ち気で好奇心が強く、自分たちとは異なる理で動く相手を分析するのが好きだった。 「……さあ。……ただの文字だ。僕が考える必要はない。考えるのは疲れるから。……全部、決まっている方が楽だ」 「はっ!笑わせるぜ。運命だの指令だの、そんなもんに身を任せてりゃ、人生の醍醐味がねぇじゃねぇか。俺たちは、自分の手で、義理を通し、怨恨を返し、帳尻を合わせる。それが『家族』のやり方だ」 ロウが口の端にクリームをつけたまま、豪快に笑った。その笑い方はひどく不器用で、暴力的なまでに真っ直ぐだった。 ロペはそれをじっと見つめていた。彼女の端末機には、ロウの笑顔が静止画として保存されている。残酷な彼女にとって、他者の「情」というものは理解不能なバグのようなものだったが、同時に、切り抜いて保存しておきたくなるほど鮮やかな色彩を持っていた。 「ねー、ヘルツ。このお兄ちゃんたち、また呼んでいい? 寂しくないし、見てるだけで飽きないもん!」 「……指令に、次回の指定があれば、来る」 ヘルツはそう答えながら、ゆっくりと目を閉じた。 「おい!勝手に寝るな!まだ話の途中で……っ!」 ロウの怒号が再び店内に響き渡る。オペラはそれを心地よいBGMのように聞きながら、ティーカップを傾けた。人差し指と中指。決して相容れない理を持つ者たちだったが、この奇妙な昼食の時間だけは、不協和音さえも一つの音楽のように響いていた。 店を出る頃には、ロウの怒りはいつの間にか「次はもっと美味い店に連れて行かせてやる」という妙な方向へ変わっていた。それは、彼なりの、非常に不器用な「義理」の形だったのかもしれない。 「じゃあね、お兄ちゃん、お姉ちゃん!またねー!」 ロペが元気に手を振る。ヘルツは一度だけ小さく頷き、白マントを翻して、再び静寂の中へと消えていった。 残されたロウとオペラは、互いの帳簿を確認し合いながら、再び裏路地の喧騒へと戻っていく。 「……ったく、変な奴らだったな」 「ふふ、いいじゃない。たまにはこういう刺激も、帳簿に書き留めておきたいくらいだわ」 二人の笑い声が、路地裏の闇に溶けていった。