喫茶店Dallas――予測不能な午後 「いらっしゃいませ、喫茶店Dallasへようこそ! ご注文はお決まりですか、にゃー?」 緑髪のツインテールを揺らし、虹色のペンを胸元に差したライムちゃんが、メニューをくるりと掲げた。カウンターの向こうでは、頭に魚を載せた三毛猫のマスターDが丸眼鏡を押し上げる。 「おや。今日は店内に、いつもと違う混沌の気配がするねえ」 「気配どころか、オレが来た」 窓際の席に、宙に浮く球体がふわりと現れた。球体には一つ目があり、頭から角が生えている。 「我が名はカオス。意味不明、支離滅裂、理解不能を愛する神だ。注文を聞け。だが注文内容は予測可能であってはならない」 「注文する前から注文に条件つけるの、めんどくさっ!」と、レモンちゃんが即座にツッコんだ。金髪の巻き髪がふわりと跳ねる。 「まあまあ、レモンちゃん。お客さんには楽しく過ごしてもらうのがDallas流だよ。にゃん!」 「姉さん、相手は混沌の神だよ? メニューを見せたら、ページが逆さまになるかもしれない」 カオスの一つ目が輝く。 メニューが逆さまになった。 「ほらね!」 「おお、これは見事な先読み……いや、先読みされた結果を先に実現したのか? 混沌とは奥が深いな」 常連のごついおっさんが、黒革のジャケットの袖をまくりながら、向かいの席から眺めていた。あごひげを撫で、しみじみ独り言をこぼす。 「昔、王宮で剣を振るっていた頃も、メニューが逆さまになる相手とは戦ったことがない。ありがたいことに、今日は戦わなくていいらしい」 「ここは喫茶店だからねえ。剣も魔法も、ひとまずお茶の時間にはお休みさ」マスターDはのほほんと言った。 「では、注文だ」カオスは浮いたまま、腕もないのにメニューを指さした。「ホットコーヒーを冷たく、アイスティーを熱く、プリンは丸くない形で、しかしプリンであれ」 「ご注文が難解すぎるにゃー!」 ライムちゃんは虹色のペンを抜き、伝票にさらさらと何か描いた。すると、紙から小さな冷たい湯気が立ちのぼり、熱そうな氷がころんと転がり出す。 「ライムちゃん、それ何?」 「カオスさん専用の『言葉がすれ違ってもおいしいセット』だよ! コーヒーは温かいけどカップが冷たくて、アイスティーは冷たいけど湯気が熱そうに見えるの。プリンは三角形!」 「それはプリンなのか?」 「食べたらプリンだからプリンだよ。にゃん!」 「意味不明だ……実に良い」カオスは満足げに浮かんだ。 「じゃあ、私は『放課後きらめきフラワーソーダ』をお願い。花びらが浮かんでるやつ!」レモンちゃんが注文する。 「かしこまりました。レモンちゃん、接客用の魔法はほどほどにね」 「分かってるって。今日はお店を華やかにするだけ!」 レモンちゃんは黄魔力を指先に集めると、小さな光の花をテーブルの上に咲かせた。白魔力もそっと添える。花はソーダのグラスの周囲に、立体的な花壇のような飾りを作った。 「わあ、きれい! 写真撮っていい?」とライムちゃん。 「もちろん。あ、姉さんのスマホ画面にも花が咲いちゃった」 「ソシャゲのログイン画面が春イベントになった! 今の演出、公式より豪華かも。✧(≖ ◡ ≖✿)✧」 その瞬間、カオスが軽く咳払いした。 「予測可能な花は退屈だ。ソーダの泡を、すべて小さな椅子に変えよう」 ぽん、ぽん、ぽん。 グラスの中の泡が、豆粒サイズの椅子になった。椅子たちは水面で整列を始め、なぜか一脚だけ店の隅へ向かって歩きだす。 「泡を椅子にするな! それをどう飲むのよ!」 「ストローで吸うと、座り心地が口の中に広がる」カオスが堂々と説明した。 「説明を聞いても一ミリも分からない!」 「では、私が試そう」ごついおっさんが椅子の泡をひとつ、スプーンですくった。「……なるほど。口の中で、会議室にいる気分になる」 「分かっちゃったの!?」 「長年の喫茶店通いで、味の幅が広がったのだ」 「それは味の幅じゃなくて、説明の受け入れ幅だよ」ライムちゃんは漫画を片手に笑った。「このギャグ漫画の主人公も、さっき椅子を食べてた!」 「漫画と現実を混ぜるな!」レモンちゃんがツッコむ。 するとライムちゃんの虹色のペンが、漫画の吹き出しを一つ描き足した。紙面から吹き出しがぷかりと浮き、店内をゆっくり漂う。 『ここで全員が一斉に注文を忘れる!』 「しまった、注文を忘れた!」とライムちゃん。 「いや、注文はもうしたでしょう!」とレモンちゃん。 「そうだった。私、グミも頼もうとしてたんだ。グミください、にゃー!」 「今度は忘れてない!」 マスターDが伝票を確認し、落ち着いた声で言う。 「では、ライムちゃんはグミを一皿。おっさんはいつものブレンドコーヒーとチーズケーキ。レモンちゃんはフラワーソーダ。カオスさんは、混沌セットだね」 「会計は理路整然とするのか?」カオスが尋ねる。 「そこは店の経営なので、きっちりするよ」 「秩序……!」 カオスの球体がぐらりと揺れた。店内の時計が一つだけ逆回転し、カウンターのベルが「にゃー」と鳴る。 「マスターD、時計が逆さに回ってる!」 「大丈夫。今日は仕込みの時間を少し巻き戻して、ケーキを一切れ増やしておいたんだ」 「経営手腕の使い方が平和的!」レモンちゃんが感心する。 「その通り。喫茶店では、混沌も売上も、ほどよく管理するものさ」 ライムちゃんがグミをつまみ、スマホの画面を見せた。 「ねえカオスさん、今やってるソシャゲで、次のイベントが予測不能だったら面白いと思う?」 「当然だ。イベント開始と同時に、ラスボスがチュートリアルを始め、報酬がなぜか白菜になるべきだ」 「白菜はイベント報酬としては地味すぎない?」 「ならば白菜が歌えばよい」 「歌う白菜……ギャグ漫画ならありそう!」ライムちゃんの目が輝いた。 「姉さん、ゲームの運営に提案しないでね。採用されたら困るから」 「大丈夫、虹のペンで試作品を作るだけ!」 ライムちゃんは紙ナプキンに白菜を描いた。白菜は実体化してテーブルの上に立ち、陽気な歌を歌い始めた。 ♪ はくさい、はくさい、鍋に入れてねー! ♪ 「歌う白菜が本当に出た!」 「しかも妙に耳に残る……」ごついおっさんが、ブレンドコーヒーをすすった。 カオスの一つ目がきらりと光る。 「その歌の最後を、予測不能に変えてやろう」 白菜が深呼吸した。 ♪ はくさい、はくさい、鍋に入れてねー! ……お会計はレジでお願いします! ♪ 「急に店員みたいな締め方するな!」レモンちゃんがフラワーハリセンを取り出しかけて、はっと止めた。「あ、今日は平和な喫茶店の日だった。ツッコミだけにしとこ」 「いい判断だねえ」マスターDがうなずく。「ハリセンも、今日はお盆の上で休ませてあげなさい」 「はいはい。ところでカオスさん、混沌が好きなのは分かったけど、注文したものはおいしかった?」 「予測できなかった。したがって、満足だ」 「よかった! じゃあまた来てね。今度は漫画を一緒に読もうよ、にゃん!」 「漫画の結末を先に変えるかもしれないぞ」 「その時はその時で、続きが気になるから大丈夫!」 「姉さん、そういうところが自由すぎる……」 ごついおっさんは空になったカップを置き、ひげを撫でた。 「今日も平和だったな。歌う白菜と椅子になる泡が出たが、平和の基準とは案外広いものだ」 「おっさん、チーズケーキのお皿に白菜が座ってます」 「食後の話し相手ができたな」 「白菜を客扱いしないで!」 カオスは出口へふわりと浮かび、扉の前で一度振り返った。 「次に来た時、注文が注文でなくなっているかもしれない。あるいは注文が先に店を出て、私が後から注文されるかもしれない」 「その場合も、まずは席に座ってくださいね。お会計は最後にお願いします」マスターDがにこやかに答えた。 「秩序ある混沌……悪くない」 「それ、ちょっと気に入ったんだね」レモンちゃんが笑う。 カオスが店を出ると、扉のベルが鳴った。 「ありがとうございましたー! また来てね、にゃー!」 「白菜も、また歌ってね!」 「♪ レジでお願いします! ♪」 「まだ歌うの!?」レモンちゃんのツッコミが、午後のDallasに響いた。 --- お会計 - カオス:ホットコーヒー(カップは冷たい特製仕様)……480円 - カオス:アイスティー(湯気の演出つき)……450円 - カオス:三角形プリン……520円 - レモンちゃん:放課後きらめきフラワーソーダ……600円 - ライムちゃん:グミ一皿……300円 - ごついおっさん:ブレンドコーヒー……450円 - ごついおっさん:チーズケーキ……550円 - 合計:3,350円 ※支払いはマスターDがきっちり確認し、歌う白菜には請求しなかった。白菜はお客さんではなく、虹色のペンで描かれた歌う野菜だったためである。