静まり返った夜の静寂を、心地よい暖炉の爆ぜる音が塗り潰していた。組織『シャドウ』の拠点にある私室。そこは外の冷酷な支配欲や権力闘争とは無縁の、密やかな安息の地である。 部屋の主であるアオ・クロリアルは、大きな巻物を広げ、何やら書き込みを行っていた。黒い半袖から覗く逞しい腕が、ペンを走らせるたびに僅かに筋肉を躍らせる。彼はこの組織の創設者であり、人間界を支配せんとする冷酷な指導者としての顔を持つ。だが、今はただの「師」であり、「恋人」である男としての表情を浮かべていた。 「……ふぅ。これで大体の策はまとまったな」 アオが小さく息をついたとき、背後から音もなく、しかし確かな質量を伴った温もりが彼に押し付けられた。 「……アオ様、またそんなところで根を詰めている」 耳元で囁かれた低く、けれど甘さを孕んだ声。リン・リアリオンだ。彼女はアオの背後から腕を回し、彼の首筋に顔を埋めていた。 アオがふと気づいたのは、彼女が身に纏っている衣服のことだった。黒い半袖に黒い長ズボン。それは紛れもなく、アオが普段愛用している私服そのものである。 「おい、リン。また俺の服を盗んだな?」 アオが苦笑しながら問いかけると、リンはわざとらしく、けれどどこか誇らしげに、彼の服の袖をぎゅっと握りしめた。 「盗んでいません。借りているだけです。それに、アオ様の匂いがするので、落ち着くんです」 面では「執行人」として恐れられ、冷酷で男勝りな振る舞いを見せる彼女だが、アオの前でだけは、拾われた当時の幼い少女のような、独占欲に満ちた甘えん坊へと変貌する。 アオは呆れたように笑い、彼女の頭を優しく撫でた。彼は自分を「脇役」だと言い、最愛の妹であるシオンこそが主人公だと信じている。だが、リンにとっての主人公は、自分を地獄から救い出し、居場所を与えてくれたこの男以外にあり得なかった。 「お前は本当に、外での顔とここでの顔が違いすぎるな」 「……外では、誰にも弱みを見せたくないだけです。でも、アオ様には……全部、分かっていてほしい」 リンの声が少しだけ震える。彼女にとって、人間への憎しみは消えない。だが、アオという光があったからこそ、彼女は狂気に飲み込まれずに済んだ。その恩義と、それを超えた深い愛が、彼女をこの男に縛り付けていた。 ふと、アオがいたずらっぽい笑みを浮かべた。 「なあ、リン。たまにはこういう時間に、くだらない遊びをしてみないか?」 「遊び……ですか?」 リンが不思議そうに首を傾げる。アオは巻物を閉じると、彼女の体をくるりと回転させ、正面から向き合わせた。彼の青い瞳が、好奇心に満ちて輝いている。 「【愛してるゲーム】だ。ルールは簡単。交互に『愛してる』と言い合い、先に照れたり、言い淀んだりした方が負け。負けた方は、勝った方の言うことを何でも聞く」 リンは一瞬、呆気に取られた表情をした。執行人として血塗られた大鎌を振るう彼女にとって、あまりにも不釣り合いな、幼稚で、けれど心拍数を跳ね上げる提案だった。 「……ふん。そんな子供みたいな遊び、僕が負けるはずがありません。いいですよ、やってあげます」 強気な口調。だが、その頬は既に僅かに赤らんでいる。アオはそれを見逃さなかった。残酷なまでの洞察力を持つ彼は、彼女の弱点を突くのが大好きだ。 「よし、じゃあ俺から行くぞ。……愛してるよ、リン」 真っ直ぐな視線。冗談のような軽さはなく、心から大切に思う気持ちが乗った言葉。アオは、彼が大切に思う仲間や弟子たちに注ぐ愛情と同じ、あるいはそれ以上の熱量を持ってそれを口にした。 リンは一瞬、呼吸を止めた。心臓が激しく鼓動し、耳の先まで赤くなるのが自分でも分かる。しかし、彼女は負けられない。アオへの独占欲と、彼に認められたいというプライドが彼女を突き動かす。 「……僕の方こそ、愛しています。アオ様」 凛とした声。だが、視線が僅かに泳いでいた。アオはそれを逃さず、さらに畳みかける。 「愛してる。世界で一番、お前が大切だ」 「……っ。僕も、愛しています。あなた以外、何もいらないくらいに」 言葉が激しくぶつかり合う。それは戦闘のような激しさではなく、互いの心に深く深く潜り込もうとする、静かな攻防戦だった。アオは彼女の困った顔が見たくて、あえて甘い言葉を紡ぎ続ける。 「愛してるぞ。お前が俺の服を盗んで着ているところも、全部含めて愛おしい」 「っ!? ……なっ……!」 リンの顔が完全に真っ赤に染まった。図星を突かれた恥ずかしさと、それを肯定された幸福感が同時に押し寄せ、彼女の冷静な仮面が崩れ去る。 「あ、愛してる……! 愛してますから!!」 叫ぶようにして言葉を返したが、その声は震えていた。アオは満足げに笑い、彼女の肩を抱き寄せた。 「はい、勝ち。完全に照れたな、リン」 「……っ! 卑怯です、今の反則です!」 「ルールは『照れた方が負け』だ。さて、約束通り、勝った俺の言うことを聞いてもらうぞ」 リンは悔しそうに唇を噛んだが、同時に心地よい敗北感に浸っていた。彼女にとって、アオに攻略されることは、何よりも幸福なことだったからだ。 「……何でも、聞きます。……何を、させるつもりですか」 少し不安げに、けれど期待を込めて見上げるリン。アオは彼女の額に軽くキスを落とし、耳元で囁いた。 「今夜は、その盗んだ服を着たまま、ずっと俺の隣で寝ろ。……いいな?」 「…………っ」 リンは言葉を失い、そのままアオの胸に顔を埋めて、もごもごと何かを呟いた。おそらく、嬉しいという感情をどう表現していいか分からず、悶えているのだろう。彼女の細い腕が、アオの背中を強く、強く抱きしめた。 「……ずるいです、アオ様。僕の方こそ、あなたを逃がさないつもりなのに」 外では恐れられる「支配者」と「執行人」。けれど、この部屋の中だけでは、彼らはただの、互いを深く愛し合う男女だった。 アオは、自分を脇役だと定義している。けれど、リンという存在が彼に教えてくれた。誰かにとっての絶対的な主人公であることは、悪役になることよりもずっと困難で、そして何よりも幸福なことなのだと。 暖炉の火が静かに燃え続け、二人の影が壁にひとつに重なって、夜が更けていく。外の世界を支配する野望よりも、今この瞬間の、彼女の体温と鼓動こそが、アオにとっての至上の価値だった。 「……愛してるよ、リン」 「……はい。僕も、愛しています」 ゲームは終わったはずなのに、二人はもう一度、誰に聞かせるでもなく、静かに愛を囁き合った。 * 【お互いに対する印象】 アオ → リン: 「生意気で残酷なところもあるが、根はとても純粋で、俺にだけ見せてくれる弱さがたまらなく可愛い。俺の服を着て甘える姿は、最高のご褒美だ。彼女が望むなら、俺はいくらでも彼女にとっての『正解』であり続けたいと思っている」 リン → アオ: 「私のすべてを救ってくれた、神様のような人。師匠で、恋人で、世界でたった一人の特別な存在。たまに意地悪で照れさせようとするけれど、そういうところまで愛おしい。いつか、彼を完全に私のものにして、どこへも行かせたくない」