灰色の空が、絶え間なく煤けた雪のような塵を降らせている。この都市の路地裏は、常に誰かの絶望か、あるいは誰かの計算違いが澱のように溜まる場所だ。 ツヅラは、その澱みの中心に静かに佇んでいた。白スーツに身を包み、銀色のウルフカットを風に遊ばせながら、彼は手首に装着された腕時計型の映写機――『ラプラス』を眺めている。レンズが小さく回転し、空中に不可視の軌跡を投影していた。彼にとって、世界はあらかじめ決定されたフィルムのようなものだ。次に何が起こり、誰がどこで倒れ、どのタイミングで絶望が訪れるか。それは神託という名の台本に書き込まれている。 「……ふむ。予定より三秒早いな」 ツヅラが静かに呟いた瞬間、路地の向こう側から、静寂を切り裂くような激しい足音が響いてきた。地面を蹴る音ではない。それは、物理法則を強引にねじ伏せて突き進む、暴風のような疾走音だった。 「どいたどいたぁーーー!! 宅配便のお通りだよーーー!!」 視界に飛び込んできたのは、鮮やかな緑色のコート。ゴーグルを額に跳ね上げ、薄緑の短髪をなびかせた女性――ハヤテが、アタッシュケースを抱えて猛烈な勢いで突進してくるところだった。彼女の背後には、次元の裂け目から飛び出したかのような残像が揺れている。彼女にとって、この路地裏に佇む白スーツの男など、最短経路上の「障害物」に過ぎない。 ツヅラは避ける動作すら見せず、ただ静かに、ラプラスが示す「未来の点」に意識を向けた。彼が指先で軽く空をなぞると、彼の身体がコマ飛びのように不連続に跳ね、ハヤテの突撃ルートから僅か数センチ横へと「転移」したかのように移動した。 「おわっ!?」 ハヤテは急ブレーキをかけ、アタッシュケースを地面に激しく叩きつけるようにして停止した。慣性の法則に抗うような急停止に、彼女の身体が大きく前傾する。 「ちょっと! 危ないじゃない! あと少しでぶつかるところだったよ!」 ハヤテは腰に手を当て、頬を膨らませて抗議した。彼女の腕に抱えられたアタッシュケース――AI『ポルードニツァ』が、電子的な警告音を鳴らしながら、周囲の状況を分析し始めている。 ツヅラは表情ひとつ変えず、丁寧に、そしてどこか突き放したような口調で応えた。 「おっと、失礼。だが、君がここに現れることは既に決まっていた。避けたのは私の方だ。それにしても、随分と急いでいるようだが。この路地を通り抜けるのに、そこまで速度を出す必要があるのか?」 「当たり前でしょ! 配送時間は絶対なんだから! 1秒でも遅れたら、協会のおじさんたちにめちゃくちゃ怒られるし、何より私の記録に傷がつくんだもん! どいて、お願いだからどいて!」 ハヤテはせっかちに足踏みをし、アタッシュケースのロックをガチャガチャと弄った。彼女の短絡的な思考は、今この瞬間の「配達」という目的以外を一切排除している。対してツヅラは、そんな彼女の焦燥感さえも、予定された風景の一部として眺めていた。 「記録、効率、時間……。実に勤勉で、実に不自由な生き方だ。君は自分の意志で走っているつもりだろうが、結局は協会の規約という名のレールの上にいるに過ぎない」 「何言ってんの? レールっていうか、最短ルートっていうか! 難しいことはわかんないけど、とにかく届ければ正義! それが私の仕事!」 ハヤテは、ツヅラの淡々とした態度に苛立ったのか、ふいっと顔を背けてアタッシュケースの中身をチェックし始めた。次元鞄から取り出される装備品の光が、薄暗い路地を不自然に照らす。 「それにしても、あんた変な格好してるね。真っ白なスーツでこんな汚い路地裏に立ってるとか、正気? 汚れがつくよ。あと、その時計みたいなの、何? 映画でも撮ってるの?」 ツヅラは、自らの手首にあるラプラスをそっと撫でた。 「これは神託を写し出す鏡のようなものだ。我々『人差し指』は、都市の神が示す道に従う。そこには迷いもないし、後悔もない。君が配送ルートに迷わないように、私は運命のルートに身を任せているだけだよ」 「神様? 運命? あー、もういいや! 難しい話はいいから! ポルードニツァ、こいつをどかすための最短ルートを再計算して!」 ケースから発せられるAIの声が、無機質にハヤテの耳に届く。しかし、ツヅラはそれを聞き届ける前に、ふっと小さく笑った。諦観に満ちた、どこか寂しげな笑みだ。 「不満か? だが、考えてみてほしい。決められた道を進むだけなら、君も私も、こんなにも自由じゃないか。選択という苦痛から解放され、ただ役割を演じればいい。配送員として走り、代行者として佇む。それ以上の何が必要なのだ」 「……はあ? 全然自由じゃないし! 私はもっと、こう、パパパッ! と仕事を終わらせて、美味しいお菓子をたくさん食べて、ゆっくり寝たいんだよ! あんたみたいにボーっと立ってる時間は一秒もないの!」 ハヤテは呆れたように溜息をついたが、その表情にはどこか年上に対する苛立ちよりも、理解不能な生き物を見るような好奇心が混ざっていた。彼女にとって、人生とは「全力で駆け抜けるもの」であり、立ち止まって運命を語る人間など、人生で一度も出会ったことがなかったのだろう。 「ふむ。食欲と睡眠。実に人間らしい、生存本能に忠実な欲求だ。嫌いではないよ」 ツヅラは、ラプラスが示す次の「点」を確認した。彼がここに留まる時間は、もう十分だったようだ。 「さて、そろそろ私の『役目』が次へ移動することを命じている。道を譲ろう。君の配送記録に傷がつかないように、最短経路を解放してあげるよ」 ツヅラがふわりと横へステップを踏む。その動きは再び、不連続なコマ飛びのように見え、一瞬で彼女の進路を完全に空けた。 「やったー! サンキュー! おっそーい、急ぐよーーー!!」 ハヤテは感謝の言葉を言い終える前に、再び爆速の加速を開始した。緑色のコートがひとひらの葉のように路地を駆け抜け、風がツヅラの銀髪を激しく揺らした。彼女が通り過ぎた後には、わずかに焦げ付いたような、そしてどこか騒がしい気配だけが残っていた。 一人残されたツヅラは、再び静寂に包まれた路地裏で、腕時計型の映写機を静かに止めた。 「……嵐のような娘だ。あのような単純な熱量こそ、神託の計算外にあり、羨ましいと思ってしまうな」 彼は再び、白スーツの襟を正し、誰に指示されたかもわからない次なる目的地へ向けて、不連続な歩みを刻み始めた。 * 【お互いに対する印象】 ツヅラ $ ightarrow$ ハヤテ: 「嵐のように騒がしく、短絡的で、実に不自由なほどに真っ直ぐな娘。だが、運命論に浸る私にはない『今この瞬間を生きる熱量』を持っており、眩しさを通り越して少し滑稽で、どこか羨ましいと感じる存在」 ハヤテ $ ightarrow$ ツヅラ: 「なんかよく分からない理屈をこねる、不思議な白スーツのおじさん。丁寧だけど何を考えてるか分かんないし、動きがカクカクしてて不気味。でも、最後には道を譲ってくれたし、まあいい人なんじゃないかな(多分)」