陽光が差し込む静かなリビング。その中心にある冷蔵庫の中から、一つの「プリン」が見つかった。黄金色のゼリーに、ちょこんと乗った生クリーム。それは、この場に集った四人の男女にとって、あまりにも贅沢で、あまりにも残酷な誘惑だった。 「……っ!」 最初に反応したのはキョーカだった。彼女はもともと無口だが、その耳がぴくりと跳ね、瞳に強い光が宿る。しかし、彼女は口を開かず、ただじっとプリンを見つめていた。誰かに奪われる恐怖と、食べたい欲求の間で揺れている。 「おやおや、運命の悪戯か。冷えたる器の中に眠る黄金の果実。それを誰が手にし、誰が嘆きに暮れるのか。……バルドは、その行方を詩うとしよう」 バルドが眼鏡を指先で押し上げ、芝居がかった口調で状況を実況する。彼にとってこの状況さえも、一つの喜劇的な物語の一部であった。 「あはは、なんだか賑やかになりそうですね」 レイナが淑やかな微笑みを浮かべて口を開いた。彼女の外面は完璧な淑女である。だが、その視線は獲物を定める鷹のように鋭く、プリンを捉えて離さない。 「さて、公平に決めましょうか。このプリンを食べるに相応しい者は、『今この瞬間に最も精神的な充足を必要としている者』であるべきだと思います。……例えば、日頃からストイックに自分を追い込んでいる方などが、適任なのではありませんか?」 レイナの提案は、一見すると他者を慮る聖母のような言葉だ。しかし、その実、「(私が一番完璧に努力しているのだから)私にふさわしい」という強烈な自己推薦が裏に隠されていた。 「いや、それはちょっと違うんじゃないでしょうか!」 元気よく割って入ったのはレンジだった。彼は快活な笑顔を浮かべつつ、真っ直ぐな瞳で一同を見渡す。 「俺はレンジっていいます! もちろん、俺だってめちゃくちゃ食べたいです! でも、俺はいいんです。だって、ここにいる皆さん、それぞれに大変な思いをしてきたはずです。だったら、一番口数が少なくて、遠慮しがちなキョーカさんに譲るべきだと思います!」 レンジの言葉は、彼の信条である「手の届く人を助ける」という偽善——あるいは純粋な善意に基づくものだった。彼は自分を犠牲にして他者を立てることで、亡き恩人に恥じぬ「良い人間」であろうとする。 「…………」 推薦されたキョーカは、耳を伏せて視線を彷徨わせた。彼女はレンジの「善意」に気づいていた。それは心地よいものでありながら、同時に彼女が最も苦手とする「偽善」の香りも孕んでいた。彼女は小さく首を振る。 「……いらない。……私は、いい」 「まあ! キョーカさんが拒否されるとは。ならば、論理的に導き出しましょう」 レイナが再び口を開く。彼女はレンジの譲歩を利用し、議論を自分の方へ誘導しようと試みる。 「レンジさんは譲歩した。キョーカさんは辞退した。バルドさんは観測者に徹している。となれば、消去法で私の権利が最も強くなると思いませんか?」 「ふむ。理にかなっている。されど、物語に欠けているのは『意外性』だ。バルドは、この静寂を破る衝撃的な結末を望むな」 バルドは楽しげに笑い、議論をかき回す。結局、彼にとってプリンの味よりも、この状況から生まれる人間模様の方が美味だった。 しかし、ここでレンジが再び、人徳に満ちた(そして少し強引な)提案を出す。 「じゃあ、こうしましょう! ここで、一番『最近、自分にご褒美をあげていない人』が誰かを話し合って、それで決めませんか? 誰かが独占するより、納得して譲り合った方が、食べた後も後味がいいと思うんです!」 この「正論」ともいえる提案に、レイナはわずかに頬を膨らませた。彼女にとって、自分の能力や立場ではなく、「ご褒美の必要性」という曖昧な基準で争うのは不本意だったが、レンジの底抜けに明るい善意に押し切られ、反論するタイミングを失う。 そして、議論は意外な方向へ向かった。レンジがキョーカの過去や寂しさを察し、しつこいほどに「キョーカさんにこそ、この甘い幸せを味わってほしい」と熱烈に説得し始めたのだ。レイナも「そこまで言うなら、淑女として譲りましょう」と快諾し、バルドも「救済という名の終幕か。美しい」と同意した。 最終的に、全員の合意(と、レンジの猛プッシュ)により、プリンを食べる権利はキョーカに決定した。 キョーカは、おずおずとプリンを手に取った。スプーンをゆっくりと差し込み、震える手で一口分を掬い上げる。 (……あまい) 口の中に広がったのは、濃厚なカスタードの甘みと、冷たい快感。これまで誰かに何かを「与えられる」ことに慣れていなかった彼女にとって、その味は単なる砂糖の味ではなく、温かな肯定のように感じられた。 「……おいしい」 ぽつりと漏らした小さな呟き。しかし、それは彼女がこの日、初めて見せた心からの笑みだった。 それを見たレンジは、「よかったぁ!」とガッツポーズを決め、満足げに笑っていた。本当は死ぬほど食べたかったが、誰かを幸せにできたという充足感が、彼の空腹を(一時的に)上書きしていた。 一方で、レイナは「……まあ、たまにはこういう結末も悪くないわね」と、不満げに口を尖らせながらも、どこかスッキリした表情でティーカップを口にした。 バルドは眼鏡を光らせ、手帳にペンを走らせる。 「黄金の果実は、孤独な狼の心を溶かした。これぞ至高の詩篇。……さて、次は誰が冷蔵庫に何か忍ばせてくれるのだろうか」 プリンは消えた。しかし、そこにはほんの少しだけ、心地よい空気が流れていた。